今回は、さきごろ行われた麻布中 社会科の入試問題を見てみたいと思います。
この学校の入試問題は、私の中では思考力・記述力系の入試問題の最高レベルだと思っています。
特に社会は、時代の変化を反映しながらも流行に流されないテーマの良問が出されます。今回も実に良い問題でした。
- 問題文
- 問3 奈良時代の製紙
- 問4 大宰府について
- 問7 大阪・京都の版元
- 問9 印章について
- 問10 黙読と鉄道
- 問11 議事録の重要性
- 問12 出版と科学の発展
- 問13 技術の進歩の問題
- 問14 書店の立地
- 問15 読書の意義
問題文
君は本を読むことが好きですか。家にはどのような本が置いてありますか。本が好きな人も、そうではない人も、小学校や地域の図書館にたくさん並んでいるのを目にしたことがあるでしょう。図書館には本以外にも、雑誌や新聞などがあります。それらのほとんどは束ねた紙に文字が印刷されたものです。最近では画面上の文字を読む機会も増えてきています。私たちは文字で記されたいろいろなものを読むことで多くの情報を手に入れてきましたが、なぜ私たち人間は、これほどまでに文字を読むことを大切にし、ずっと昔から続けているのでしょうか。ここでは古くから人間が残してきた書物や文字、それを伝える技術と社会の関係について考えてみましょう。
書き出しから痺れますねえ。
この学校の社会科は、数千文字におよぶ長文を読みながら答えていくスタイルが特徴です。今回のテーマは、ずばり「文字と書物」でした。
私の信念として、読書量=教養の深さ というものがあります。
本を読むことで教養が深まる。実に当たり前のことです。しかし、昨今の学生の読書量の貧弱さを考えると、心配になってきます。
そういえば先ごろ「ゲーテはすべてを言った」で芥川賞を受賞した鈴木結生氏は、年間1000冊は本を読むそうですね。
この受賞作、必読です。私は好きな作家のイタロ・カルヴィーノをふと想起しました。
問3 奈良時代の製紙
奈良時代の朝廷は、10月から3月ごろにかけて各地から都に人を集め、技術者の指導のもとで紙を作らせていました。しかし、しだいに朝廷は紙を都で作らなくなり、各地で生産された紙を都に運ばせるようになっていきました。なぜ各地で紙を作ることが可能になったのでしょうか。説明しなさい。
最初の記述がこれです。なかなか受験生を悩ませますね。
そもそもこの知識など小学生にはありません。一所懸命推理するしかないですね。
ここで注意したいのは、都で紙を作らなくなった理由ではなく、各地で紙を作ることが可能になった理由を聞かれているという点です。
単純に考えましょう。
最初は「技術者の指導のもとで」都で作らせていたのです。つまり、製紙にはそれなりの高度な技術を持つ技術者が必要だということなのですね。
それが各地でも製紙が可能になったのは、どう考えても各地に「製紙の技術」が広がったということになります。
文章中には、「中国や朝鮮半島の技術をよく知る人達を中心に紙は生産され、しだいに書きやすさや丈夫さなどを追求した和紙の製法が編み出されていきました」とあります。
なるほど、この技術が各地に伝わったのでしょう。
しかし、文章はこう続きます。
「ただし、紙は高級品だったので、日本では木や竹を薄く板状にした木簡、竹簡とよばれるものがおもに使われました。」
この木簡、竹簡はよく出土しますね。「木簡」を答えさせる問題など定番です。
このあたりで疑問を持ってほしいのです。
「せっかく作った紙は高級品だった。それじゃあいったいどこで、何を書くために使われたのだろう?」
このあたりで、聖武天皇が741年に出した「国分寺建立の詔」を思いつければしめたものです。
実は、この当時の高級=高価な紙は、おもに写経のために用いられました。聖武の時代、都には官立の写経所まで設けられていたほどです。
全国に国分寺を作るということは、急ピッチで写経も進められたはずです。そのためには、各地で製紙させる必要があり、製紙技術を各地に広げる必要もあったのではないか。
こんなことを思いついてまとめれば良い問題だと思います。
問4 大宰府について
全国の特産物は税として都に送られていたが、九州各地の税は大宰府に集められていた。税の大部分を都に送らずに使うことが大宰府にだけ認められた理由を説明せよ。
なかなか面白い問題です。
現代の私たちは、どうしても東京を中心とした視点から逃れられません。東京(とその近く)に住む私たちにとって、京都や大阪ですら「遠いところ」「地方」と見えるのです。まして九州など遠い「田舎のほう」くらいのイメージでしょうか。すいません、ずいぶん失礼な物言いをわざとしています。
また、大宰府のイメージとして、菅原道真が左遷されたところ、という印象も強すぎます。大宰府というと、「都から遠く離れた寂しいところ」くらいのイメージが定着してしまいました。
しかし、奈良時代は異なります。
政治・文化・技術等全てを、大陸から導入しようとしていた時代です。その最先端の中国に最も近い大宰府こそ、外国からの玄関口として重要な意味を持っていたのです。
外国からの賓客をもてなすためにも、大いに「見栄を張る」必要があったのですね。
そこに気づけば、解答の流れも見えてきます。
問7 大阪・京都の版元
江戸時代、江戸で売れた本があると、大阪や京都の版元がその本の作者と新たに契約し、同じ内容の本をそれぞれの場所で印刷、販売していました。なぜ江戸時代の本はそれぞれの場所で印刷、販売されていたのでしょうか。説明しなさい。
これは難しいですね。
このことに関する知識も皆無だと思います。
すぐに思いつくのは、「大阪・京都の地元向けにアレンジした? たとえば関西弁で出版するのか?」というものでしょうか。しかし「同じ内容の本」とありますので、これは違うでしょう。
となると、江戸で印刷したものを大阪・京都まで輸送するより、現地で印刷したほうが安上がりなのでは、という至極当然な結論を思いつきます。
本は結構かさばりますし重いです。湿度にも弱いですね。これを船で輸送することを考えると、それなら現地で印刷を、ということになりそうです。
おそらく解答としてはこのあたりを書けば良いのだと思います。
ただ、もう一つ加えてほしいです。
製紙の歴史は都から始まったと文章で説明されていました。やがて各地に製紙の技術が広まり、その紙が都に運ばれていたと書いてあります。つまり、京にはすでに紙が集積するルートが確立していたのですね。
そもそも、印刷・出版業は、江戸以前に京都・大阪で発達しました。
つまり江戸はこの業界の後発組なのです。
井原西鶴など大阪で売れた本を書いているのですね。
つまり、すでに大阪・京都には紙も優れた印刷技術も流通販路も整っているのです。わざわざ江戸から完成本を輸送する必要はなかったのです。
これも、江戸(東京)中心の視点を一旦捨てないといけない、そういう問題なのかもしれません。
問9 印章について
江戸時代に広まった印章は、明治時代以降も契約を結ぶときに使われていましたが、明治政府は本人を特定しやすいなどの理由で、署名(サイン)を使わせようとしました。これに議会は反対し、従来の印章を使うことを主張しました。なぜ議会はこのような主張をしたのでしょうか。議員の役割を考えて説明しなさい。
悪名高い日本の印鑑カルチャーに関する問題ですね。
海外で少しでも生活したことのある方なら同意いただけると思うのですが、日本の印鑑カルチャーは異様です。本人の自署サインより工業製品の印鑑が優先されるなんて意味がよくわかりません。印鑑を使っている国は、日本以外には韓国と台湾くらいらしいですが、韓国も廃止しつつあるようです。
さて、私の文句はどうでもよいとして、この問題はどう考えればよいでしょうか。
すぐに思いつくのは、字が書けずにサインできない国民の存在ですね。
きちんとしたデータは無いのですが、当時の文部省の限定的な調査によれば、男性で50~60%、女子では30%程度しか自署できなかったようです。
問題に指示されている、「議員の役割」をどうとらえるかは難しいですが、シンプルに(理想的に)国民の代表者であると考えれば、当然自筆サインを推奨できない立場であったのだろうと推察できます。
このあたりをまとめればおそらく正解なのでしょう。文章中にヒントがあります。
実際には、この論争には、当時の役所間の勢力争いもあったようですね。サインを司法省が、印章を大蔵省が推そうとしたようですが、さすがにそこまでは書く必要はないと思います。
そういえば、「日本の印章制度・文化を守る議員連盟」通称「自民党はんこ議連」という組織が一時話題に上りました。竹本直一IT政策担当大臣がこの議連の会長であったことが報道されたからです。もちろんこの議連は印章業界の利権を代表しています。
問10 黙読と鉄道
黙読が広がったころ、鉄道を利用して長距離を移動するひとも増えていきました。黙読の広まりと長距離移動者の増加の2つが互いに影響しあって大量の出版物をうみだし、読書が広がるきっかけになったといわれています。なぜそのように考えられるのでしょうか。説明しなさい。
この問題は簡単すぎて逆にとまどいますね。設問でほとんど答えを言っているからです。
さすがに列車内で音読はできません。
そういえば、私も中高生時代は片道1時間の通学距離だったため、いつも鞄には本を2冊入れていました。途中で1冊読み終えた場合に備えて2冊目を携帯するのです。
おかげで読書量は多かったですね。
問11 議事録の重要性
議会で話し合われた内容を議事録に残すことはが民主的な政治を実現するうえで大切とされる理由の記述です。
後から検証できることが非常に重要なのは言うまでもありません。どうも日本の政治においてはこの重要性が十分に認識されていないような気がしますね。
麻布らしい出題といえるでしょう。
問12 出版と科学の発展
現代の日本社会では、どのような内容の本でも出版が許されるべきだとされています。このことは例えば科学の発展にとって大きな意味があり、まちがいを含む内容の本であっても、それが出版されることは科学の発展につながると考えられています。なぜそのように考えられるのでしょうか。説明しなさい。
これは面白い切り口ですね。
科学の発展は試行錯誤と切り離せないものであり、他の科学者がどのように間違ったのかを知ることは当然他の科学者の前進にとって意味があります。
問13 技術の進歩の問題
点字を使っている人が現代の社会で情報を得るときにどのようなことを新たな障壁と感じているのか、具体例を挙げて説明する問題でした。
すぐに思いつくのは駅の券売機でしょうか。
最近はタッチパネル方式が主流となったため、かえって視覚障碍者が困っているというのはニュースにもなっています。
昔ながらの押しボタン式なら、その脇に点字表記もありましたからね。
おそらくは、受験生の大半がそれを書いたと思います。
もっとも、最近の子どもたちは、スイカ・パスモしか使ったことがないため、券売機での切符の買い方を知らないという話も聞きました。
問14 書店の立地
日本の書店数・面積の推移と、八王子市の書店の立地の史料を見ながら、現在の八王子市の書店の特徴を考える問題です。
これはどの学校でも出題されるパターンの問題で、とくに麻布らしさを感じるような出題ではありませんでしたね。
問15 読書の意義
「文字を読むこという行為は、単に個人が情報や知識を仕入れることだけを目的とするものではありません。そこには文字の記され方、販売の在り方、そして読み方など、いろいろな人間の行為が形作ってきた文化が含まれています。」
この文章部分に下線が引かれていました。
そして設問はこうなっています。
2023年度に文化庁が行った調査によると、一か月にまったく読書をしないと答えた人が6割以上にのぼることが明らかになり、問題となっています。一方で、インターネットで読む情報を含めると、文字を読む量が以前と変わらない、もしくは以前よりも増えたと答える人は7割以上いました。文字を読む量が増えているにもかかわらず、読書離れが問題になるのはなぜでしょうか。本を読むことが私たちにとって持つ意味を考え、100字~120字で説明しなさい。
正面からの直球ストレート勝負のような出題ですね。
スマホで読むヤフーニュースが紙の新聞とは全く異なるように、インターネットで見る文字情報と読書は別物です。
その違いを明確にして説明することが求められています。
読書が、ただ文字情報を入手する手段であるのなら、紙の本ではなく、ネットを使って手早く情報を拾い集めてもいいわけです。
しかし、読書の意義は情報入手手段だけではありません。
本を読むということは、筆者の思考を追体験することだと思っています。
例えば、冒頭に紹介した芥川賞から、「ゲーテってどんな人なんだ?」という疑問が生じたとしましょう。
ネットで調べれば、ゲーテの生い立ちやおもな著作名などすぐに調べられます。またゲーテの思索の抜粋もわかりますし、名言も拾い集めることができます。
実際にゲーテを読まなくても、「わかったような」気になりますね。
しかし、そんなやり方では、ゲーテの思索の道筋を体験することなど不可能です。
まずは、つべこべ言う前に、1冊読むべきでしょう。
「若きウェルテルの悩み」でも「ファウスト」でもいいですので、読まないことには始まらないと思うのです。
きっと麻布の先生も、そういうことが言いたかったのではないかと思います。
こちらに本について記事にしました。ぜひお読みください。