
今回は、2025開成中国語から1問とりあげます。
「世界の適切な保存」(永井玲衣)
永井玲衣氏は、1991年生まれ、若手哲学者です。「対話する哲学者」なのだそうです。
「水中の哲学者たち」
「さみしくてごめん」
といった著書があります。
永井玲衣氏は中学入試に好まれるようですね。いくつかの学校で出題されています。
また、東進ハイスクールの講師をしていますね。
筆者はなぜ「とんでもない」と考えていますか。
「だから伝えることは、本質的にあなたの領域を冒すことである。それはとんでもない試みだ。どんなに注意を払ったとしても、あなたの魂に腕を突っ込んで、わたしの欠片を届けようとすることになる。あなたの魂は、わたしの熱い腕でびりびりに破けて傷つくだろう。」
なかなか難しいですね。
表面的にはすぐに解答できます。
「伝える」ということについてのエピソードが2つ書かれています。
一つ目は、シンポジウムで「英語でなければ困る人?」と司会者が日本語で尋ねる話。もう一つは、非常に場所がわかりにくい事務所の地図が、やっと探し当てて入った事務所の受付に貼ってあったという話。
どちらも、大したエピソードではありません。たんに「間抜けていた」だけの話です。ここから展開させるなら、普通は「伝える相手、伝え方をきちんと考えなくてはならない」となります。それだけの教訓しかありませんから。
しかし、そこからいきなり話が飛躍するのです。
魚がまぶたを持っていないが人間は持っている。
人間は心を閉ざすことができるということがいいたいようですね。これは受け手についての話のはずです。
ところが、そこからさらに、伝えるということは、相手の魂の中に無理やり入りこむことだと展開します。
だから「とんでもない」のだというのです。
あれ? まぶたはどうした? 人間はまぶたを閉じることができるのではなかったのかな?
この文を読んでいて何となくこう感じました。きっと筆者は、言いたいことが頭の中に溢れているのではないか。そしてそれを次々と言葉にしているのではないか。読者である我々は、そうした筆者の「言いたいこと」を、散りばめられた言葉の中から再構築して理解していく、そうしたことが求められているのではないだろうか。
いろいろ突っ込みどころがある文章ですが、なにせ気鋭の哲学者の文章ですから、私ごときの浅はかな読解や突っ込みなど相手にもせず、文章が泰然自若として存在するのです。
・伝えるということは相手の領域を侵すこと
・相手の中に入り込みじたばたすること
・相手の魂に腕を突っ込むこと
・相手の魂の奥まで分け入ること
・相手の魂を傷つけること
・相手に痛みを与えること
・相手の心の狭く取り出せないところまで入り込むこと
文章中に述べられているものを列挙するとこうなります。
あとは字数に合わせて、それを調整するだけで解答は作れます。
ところで永井玲衣氏はお綺麗な方ですね。こんな方の講義なら私も受けてみたいものです。
※中学受験の入門書をやっと上梓しました。
中学受験についての常識を整理するのに役立つと思います。

