気のせいかもしれないのですが、最近中学入試問題で「読書」をテーマとした出題をよくみかけるようなのです。
今回はそうした記事となります。
2025 麻布中 社会
今年の麻布社会は、「読書」がテーマでした。そして最後の記述はこれです。
2023年度に文化庁が行った調査によると、一か月にまったく読書をしないと答えた人が6割以上にのぼることが明らかになり、問題となっています。一方で、インターネットで読む情報を含めると、文字を読む量が以前と変わらない、もしくは以前よりも増えたと答える人は7割以上いました。文字を読む量が増えているにもかかわらず、読書離れが問題になるのはなぜでしょうか。本を読むことが私たちにとって持つ意味を考え、100字~120字で説明しなさい。
言っておきますが、これは「国語」ではなく「社会」の問題です。
読書=情報入手手段、そうとしかとらえられない「現代の読書」へ警鐘を鳴らす問題です。
そういえば、以前電車で見かけた光景です。
首を上下に小刻みに一定のリズムで動かしながら凄いスピードでページをめくって本を読んでいる男性を見かけました。「変わった人」だなあ、と思って見ていると、次に鞄から別の本をとり出し、今度は左右に首を振りはじめました。読んでいた本のタイトルは「速読術」でした。
なるほど、縦書きと横書きで首を振る方向が違うのか。ああして首を振る読み方が推奨されている本なのだな。腑には落ちましたが、これは「読書」とは呼べないですね。
※麻布の入試問題についてはこちらで詳しく分析しています
2024 貞静学園中 国語
「なんで、そんなに本が好きなの?」
そう聞かれるたびに考えるのですが、きっといろんな理由がある中で、まず1つわかっていることは、ページに並んだ活字から自分の想像で物語の世界を作り上げていく楽しさです。
芦田愛菜が書いた、本にまつわるエッセイです。賢い人だとは思っていましたが、文章も上手ですね。
さて筆者は、読書の魅力として2つあげています。
・自分の想像で物語の世界を作り上げていくこと
・自分とは違う誰かの人生や心の中を知ること
実にもっともですね。そして、「おすすめの本」を問われても答えられない、その理由として、「その時に自分自身が惹かれて選んだ本が、その人の人生を変えてしまうような『運命の一冊』になることが多い」と書かれていました。
きっと今までもそうした『運命の一冊』に出会ってきたのだろうと思います。
さてこの入試問題の最後の記述はこうでした。
A:あなたにとって「本を読む楽しさ」とはどのようなものか。また、なぜそう思うのかその理由も書きなさい。
B:あなたにとって最も印象に残っている本を紹介してください。本の内容、その本を読んだことで学んだことも書きなさい。
A、Bのどちらかを選んで150字以内で書くこととなっています。
難しい問題ではありませんが、直球ストレート勝負のような問題ですね。
日頃読書をしない中学生に悪戦苦闘している国語の先生の顔が浮かんできます。
ところで、芦田愛菜はまだ若干20歳です。言動はとてもそうは思えない。人生何周目かだとしか考えられません。
そんな彼女が15歳のときに書いた本がこちらです。
小学生から高校生にかけて読んだ本の中から100冊ほど紹介されています。
絵本・童話・児童文学・定番の青春小説から、谷崎潤一郎・泉鏡花・島崎藤村といった文豪まで。
いいですねえ、実にいい! この年代でここまで本を読んでいるなんて! 生徒たちに彼女の爪の垢でも煎じて飲ませたいですね。
そういえば、彼女は中学受験して、女子学院と慶應中等部に合格し、慶應に進学したのでした。
子どもに何を読ませようか、迷った際には大いに参考になると思います。
横浜市立南・サイフロ 適性検査Ⅰ
横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校附属中学校(長いのでサイフロと略します)と横浜市立南高等学校附属中学校(長いので市立南と略します)は、適性検査Ⅰの問題が共通、適性検査Ⅱの問題が独自問題となっています。
共通問題のⅠは、言ってしまえば社会と国語です。融合もせずに、大問1が社会、大問2が国語となっています。わざわざ「適性検査」などと大仰に名乗らなくても、社会と国語でいいじゃないか、と思いますね。まあこれは「公立」であることの建前、つまり教科の「試験」ができないということが原因です。
この「国語」の問題では、「読書」がテーマの文章が2つ引用されています。
「シンプルで脳科学的に正しい読書法」茂木健一郎
茂木健一郎氏の著作も入試に多く使われています。やはり論理的で読みやすい文章だからでしょう。
ところで、氏は「脳科学者」として著名ですが、氏が登場するまでは私は寡聞にして「脳科学」という学問をよく知りませんでした。もちろんなんとなく「脳の構造や働きを研究している」のだろうとは想像つきますが、医学なのか心理学なのか、曖昧だったのです。茂木健一郎氏は、学芸大附属高校から東大理学部物理学科を卒業し、東大法学部も卒業し、その後理学博士号をとられています。氏の脳の働きそのものが驚異的ですね。
さて、この文章は、EQ(心の知能指数)のうち、読書で鍛えられる「共感力」について書かれています。テレビや動画などの視覚情報から「パッシブ」に情報を得るより、「アクティブ」なほうが脳を活性化させるという論点です。「赤毛のアン」のアンが、想像の世界に浸ることで人生を楽しいものとすることについて触れ、読書による疑似体験の大切さを述べています。
文脈は、前述の芦田愛菜の文章と同じですね。
「読書について」ショーペンハウアー
この入試問題の面白いところは、ショーペンハウアーの文章を持ってきたところにあります。だってショーペンハウアーですよ? まさか中学入試問題で登場するとは思いませんでした。
19世紀ドイツの哲学者ショーペンハウアーの思想を簡単にまとめることなど私の手には余ります。それでも無理やりまとめるとこんなところでしょうか。
私達は「盲目的な意志」つまり無意識の欲望にとらわれている。
「世界とは意志と表象である」、これは私達が認識し生きている世界というものは、生存本能=欲望に動かされる「意志」を、私達が理性を通して描く「表象」として存在している。
すいません、なにせ最後に読んだのは〇十数年前なもので。うろ覚えもいいところです。
たしか私の印象として、ショーペンハウアーというのは、きわめて皮肉屋というか厭世的というか天邪鬼というか、そんな思想だったような。人生はどうせ苦しいものなのだから、それを認めない限り幸福にはなれないよ、そんなかんじ?
さて、この「読書について」も、きわめてショーペンハウアー的な論が展開されています。
「読書をするとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。他人の心の運びをなぞっているだけだ。」
いきなりこれですから。
読書をしている間は自分の頭で考えないから、楽しいけれど「自分の頭で考える能力がしだいに失われてゆく」と書いています。
学者は多読のために愚かになっているのだそうです。たえず他人の考えを押し付けられると、精神は弾力性を失うとあります。
「紙に書き記された思想は、砂地に残された歩行者の足跡以上のものではない」
「本を買うと、その内容までわがものとしたような錯覚におちいる」
うわあ、ショーペンハウアーですね!
しかし最後にこうあるのです。
「私達は食物で身体を養い、読んだ書物で精神をつちかう。それによって現在の私たちができあがっている。」
つまり、彼は決して読書を否定しているのではないのですね。本を詠み、反芻し、じっくり考えたことだけが、自分の血となり肉となると主張しているのです。
「とにかく本を読め!」と多読をすすめる風潮を批判しているのでしょう。
岩波文庫もありますが、古すぎて読みづらい(第一文字が小さすぎる)と思います。こちらのほうが、新訳なのでだいぶ読みやすいですね。
さてこの入試問題は、二人の文書を読み、それぞれがどのように本を読めばよいと考えているのかをまとめる記述でした。
茂木健一郎のほうは、だいぶ書きやすいでしょう。ショーペンハウアーのほうは、彼の主張の本質、つまり読書+思考が大切だという考えを見抜けるかどうかがポイントです。
読書量、とくに若い人達の読書量が激減しています。
たしかに、電車内で読書している人など、1車両に1人くらいですね。それもお年寄りばかり。たまに中高生が必死に参考書を見ていますが、あれは読書ではなくて「試験勉強」でしょう。
電車内では、ほぼ全員がスマホに見入っています。SNS・ゲーム・YouTube・yahoo・ショッピング、そんなところなのでしょう。
もうこれを批判的に語る段階は超えてしまいました。スマホに心を支配されている人のほうが圧倒的多数なのですから。
書店も減りましたね。町の本屋さんが次々と潰れています。大手書店も例外ではありません。しかも残った書店も「売れ筋」の本しか置いていません。
何気なく気になって手に取るという買い方はとても好きなのですが、特定の本を探しに書店に行くことは私ももうしなくなりました。どうせ売っていませんから。そこでアマゾンを愛用することになります。大の本好きですら書店から足が遠のいているわけですので、それは書店も潰れていくわけです。
この「現象」の行きつく先はどういう世界なのか、私には想像もできません。イメージとしては、荒涼とした枯れた大地のような?
ショーペンハウアー氏には悪いですが、せめて私が接する生徒たちには、「とにかく本を読め!」と言い続けましょう。