今回から、「私見・偏見シリーズ」を始めます。
今までは、なるべくニュートラルな立場を心がけ、特定の学校を持ち上げたり貶したりすることのないように気を遣っていました。
しかし、そうした記事は、書いていて疲れるのです。
「それでpeter先生は本当のところどう思うのですか?」
と聞かれることも多いのです。
そこで、リミッターを外し、好き勝手に書くシリーズを始めることにしました。
名付けて、「私見・偏見シリーズ」です。
何のことはない、私が自分の勝手な意見や偏見を書き散らかすだけのコーナーです。
あくまでも「私個人の感想」レベルの記事ですので、これを読んで、「〇〇中学はそんな学校じゃない!」「私は君の意見に反対だ!」などと怒らないで、広い心で読んでいただければ。
ブログですから。記事を読まない自由は常にあなたにあります。
記事内の情報の正確さは保証しません。これはそういう記事です。
麻布中学校・高等学校
今回は、私が好きな男子校として麻布をとりあげます。
この学校もなかなか癖の強い学校ですね。しかし、そこが魅力的だと思います。
簡単に学校の紹介だけしておきますね。
麻布の自由
◆沿革
1895年創立です。学校HPによるとこうなっています。
麻布尋常中学校創立。校長 江原素六。東洋英和学校内に校舎。
麻布学園の創立者江原素六は、1842(天保13)年貧しい幕臣の子として江戸、角筈に生まれた。幕末の動乱にさいしては、幕府軍の若き指揮官として、鳥羽伏見戦、両総戦などを戦った。1868(明治元)年徳川氏の駿河移封にともない沼津の地に移住した。同年、当時近代教育機関として最高の水準にあった沼津兵学校の設立に加わり、その経営・管理にあたった。
幕臣とか鳥羽伏見戦とかでてくると、歴史好きな私としてはワクワクします。
私が伝統校が好きな理由はそこにあるのかもしれません。
HPの沿革を見ていると、おもしろい項目を見つけました。
1969 第1次学園紛争
1970 山内一郎 校長代行に就任。第2次学園紛争。
「学園紛争」が公式HPに掲載されているのです。
「東大紛争」があったのは、1968~69でした。麻布→東大、という人材の流れを考えると、東大紛争の余波? と思いますよね。でも、少々違うのです。
大学紛争の影響を受けて学園紛争が始まったのですが、そこから先の経緯が、いかにも「麻布らしい」ものでした。
混乱をおさえるために同窓会組織から送り込まれた「山内一郎」が火元です。教員資格を持たないため「校長代行」だったのですが、とんでもない独裁政治を敷きました。
・自分に批判的な教員を解雇
・知人の息子を裏口入学させる
・山中湖の学校施設を売却し、2億5千万円を横領
これはさすがに酷いですね。
生徒&教員の一部が団結して、対抗しましたが、山内一郎は機動隊を校内に導入したのですね。
数百名の生徒が座り込む。その周辺を一部教師がスクラムを組んで生徒を守ろうとする。機動隊員が次々と生徒を引っ張り出して逮捕する。
よく、昭和を振り返る記録映像で、大学紛争で見ることのある様子ですが、まさか高校でこんなことになったとは。
結局、学校は無期限ロックアウトされ、最終的に山内一郎校長代行が排除されて終わりました。
その後山内一郎は横領罪で逮捕、実刑判決を受けています。
それ以来、山内一郎校長代行が定めた校則は破棄され、完全に自由な学校に再生しました。
「麻布の自由は学校が保障した自由ではなく、生徒自身が保障する自由だ」ということになったのですね。
このあたりの事情については、渦中の高校3年生だった方が記録を出版しています。聞くところによると、学校から新入生全員に配布されたときもあったとか。麻布にとって学園紛争の歴史は、忘れてはいけない歴史と言う意気込みなのでしょう。
「自由」を標榜する学校は多数ありますが、ここまで徹底した「自由」な学校を私は他に知りません。
例えば、開成や渋谷渋谷で同様の事態になったらどうだっただろう、と想像します。生徒や教師に、体制に歯向かうここまでのエネルギーがはたしてあるのかどうか。
創業者一族が理事を占めている学校など、ここの生徒からしたら信じられないだろうと思います。麻布の現校長は、麻布中高→教師を経た、生粋の麻布人です。理事長も、麻布卒業生の財界人ですね。
制服が無いのも、校則が無いのも、修学旅行の行先を生徒が決めるのも、全ては生徒自らが勝ち取った自由ということなのでしょう。
とある女子校の学園祭に招待された時、入口で並んでいると、真面目そうな男子高校生の背後に、だらしない服装で髪が金髪の集団を見かけました。間違いない、麻布生です。ちなみに真面目君は海城生でした。
大人としては、真面目君に一票入れたいところですが、自分が通うなら金髪学校ですね。
麻布の立地
6年間通うところです。学校の立地・環境は大切です。
この学校は住所でいえば元麻布二丁目、江戸時代は大名屋敷が多くあったところです。その後大使館が集まりました。
学校公式HPをみてください。
麻布十番・広尾駅から等距離に立地しています。六本木も歩いて行ける範囲です。
すぐ近くには有栖川記念公園があり、その奥には都立中央図書館が。校地も都心の学校にしては広め(2万平方キロ)ですので、恵まれた立地です。
都会、ですね。私は憧れますが、都会が苦手な方には向かない学校かも。
このあたりは、大使館や閑静な「超」高級住宅が並ぶエリアです。坂が多い地域ですが、その中でも麻布は高台の丘の上に位置します。
広尾駅方面から断面図を書くとこうなります。
生まれ変わったら、麻布の近くのお屋敷に住んで、歩いて学校に通いたいというのが私の夢です。
さて、生徒に聞いたところ、周辺に女子校が多いのも素敵なのだとか。
たしかに、東洋英和・聖心・聖心インターナショナル・女学館・実践女子といった学校があります。
同窓会が無い
同窓会どころか、生徒会すらありません。
「〇〇開成会」が日本どころか世界にもある開成とは対照的です。
そういえば、永田町・霞が関(つまり政治家&官僚)の開成出身者が作ったのが「永霞会」で、設立者は岸田文雄氏でした。
麻布では考えられないですね。
福田康夫・橋本龍太郎総理をはじめとして政治家・官僚も多数輩出していますが、安部譲二(元やくざ→作家、ただし中学校のみ)や山下洋輔(ジャズピアニスト)もいるところがいかにもです。そういえば渋谷教育学園理事長の田村哲夫氏も卒業生でした。
卒業生著名人リストを見ていて思いましたが、歴史のある学校はここが魅力なのだと思います。自分もそうした歴史の一員に連なるという意識は、生徒に多大な影響を及ぼすと思うのです。
通いたい・通わせたい学校
さきほど、生まれ変わったら歩いて麻布に通いたいと書きました。
さて、生徒に薦めたいのかどうか?
万人に薦められる学校ではないですね。
「何がなんでも医学部!」
「東大でなければ!」
「いい子ちゃんでいてほしい!」
そう考えるご家庭には全く向きません。ここはそういう学校ではないからです。
「多少寄り道をしても、失敗をしても、それも含めて成長なんだ。自分を律することで生じる自由について考えてほしい」
そういうご家庭向きです。
今どきの流行りではないですね。
それでも、戦後一度も東大ベスト10から外れたことのない唯一の学校ですし、やるときはやる生徒が多数いることも事実です。
開成や筑駒や聖光、憧れている生徒もたくさんいますが、成績次第で志望をあきらめる生徒もいます。しかし麻布については、成績によらず、志望が揺るがない生徒が多いのです。
それだけ、唯一無二の学校だということなのですね。
世の中の風潮が、おしゃれな校舎・共学校・グローバル・帰国生受け入れ・医学部実績・東大実績・海外大学実績・かわいい(かっこいい)制服・新しい(新しく見える)教育、こうしたものに流れています。
そんな軽薄なものに流されない、骨太の学校が残ってほしいと思います。
この学校を志望する場合は、必ず両親が説明会等に参加して意見を一致させてください。父親は希望するが母親が拒絶反応を示すことがよくある学校なのです。
また、本人にもぜひ見せてください。お勧めは5月のゴールデンウィークに開催される文化祭です。
この学校の文化祭は、まさにカオスです。
この文化祭を子ども本人が見て、この学校に憧れの気持ちを強くするのなら、向いているといえます。拒絶反応を示すのなら、向いていないのです。
ところで、この学校の入試問題は思い切り思考力・記述力に全振りした問題を出題します。とくに社会科の入試問題は、全国の入試問題で最良と私が評価する記述・思考力問題です。学校が欲しい生徒像が明確なのだと思います。
今までけっこう麻布関連の記事を書いていますね。
やはり私にとってお気に入りの学校だということなのでしょう。
私見・偏見シリーズ、もっとリミッターが外れるかと思っていましたが、案外小さくまとまってしまいました。
それはきっと私が本質的に小心者?だからでしょう。