私見・偏見シリーズ? 3回目の今回は、「武蔵」について語り散らかします。
私は、今までは、なるべくニュートラルな立場を心がけ、特定の学校を持ち上げたり貶したりすることのないように気を遣っていました。しかし、そうした記事は、書いていておもしろくないのです。そこで、リミッターを外し、好き勝手に書くシリーズを始めることにしました。それが、「私見・偏見シリーズ」です。何のことはない、私が自分の勝手な意見や偏見を書き散らかすだけのコーナーです。あくまでも「私個人の感想」レベルの記事ですので、これを読んで、「〇〇中学はそんな学校じゃない!」「私は君の意見に反対だ!」などと怒らないで、広い心で読んでいただければ。
ブログですから。記事を読まない自由は常にあなたにあります。
記事内の情報の正確さは保証しません。これはそういう記事です。
環境
武蔵の良さを語るには、まずその環境について触れる必要があります。
「学校内に小川が流れている」
というのは有名な話ですね。
学校公式HPに見やすい俯瞰図がありましたので、ぜひ見てください。
それより、ぜひ実際に足を運んでいただきたい。守衛さんに一声かけると、校内を自由に見学できます。
流れている小川は、水を循環させていますが、実に良い雰囲気の小川です。
武蔵大学と隣接していて、小川がゆるい境界線になっています。
武蔵大学と合わせた面積は7.8万㎢、中高部分だけでも3万㎢はあります。都内私立男子校では最大レベルです。開成が2.45万、麻布が2.0万といったあたりですから。
もちろん、都内を離れれば、栄光の11.1万、聖光の4.9万など広い学校はいくつもありますが。
私の基準では、都内の学校の場合、1万㎢では息が詰まる、2万㎢あれば合格ライン、と思っています。学校というのは、中高生にとっては、ほとんど世界の全てといいたくなるくらいに長時間過ごす大切な場なのです。その世界があまりに狭いのは考え物ですね。都心一等地のビル学校よりも、少し離れてもゆとりのある校地というのが私の価値観です。校地のゆとりが、生徒の心のゆとりを生むと思うのです。
理念
建学の理念『三理想』
東西文化融合のわが民族理想を遂行し得べき人物
世界に雄飛するにたえる人物
自ら調べ自ら考える力ある人物
これが1922年に創立の武蔵の理念です。もともと旧制高校でしたので、戦前はそのまま帝国大学への道が開かれていました。
ちょっと長いのですが、3代目校長の言葉を引用します。
将来、世界の文明が二つ現れるだろう。一つは東洋文明と西洋文明が東の方を廻って、日本で東西文明が新しい実を結ぶ。もう一つは東洋文化が太平洋を渡って、アメリカで実を結ぶだろう。文明と言えば西洋の文明と言うような考えが日本には満ちていた。これをどうしても壊さなくてはいけない。それで『東西文化』と言ったが、実を言えば東の方を拡げなければならないと考えた。また『世界に雄飛する』の意味は、日本の文化、東洋の文化を世界にもつと拡げなくてはいけない。そのような人間を作る必要があるという意味である。また、『自ら調べ自ら考える』は、従来の暗記中心の「注入主義的」な教育に対し、『自分の頭で考える』ことをすすめるもので、教えるとは人生に必要な一切の知識を与えることではなく、『よく自ら考え、自ら判断する』ための力を養うことが肝要である。
「自調自考」をかかげている学校は他にもありますが、武蔵の自調自考は本物です。それは入試問題を見ればわかります。
入試問題には、その学校が求める生徒像が反映します。いくら言葉を飾ったところで、入試問題を見れば学校の本音は透けて見えるものなのです。
例えば、「グローバル人材の育成」を標榜しているのに、帰国生入試や英語入試に力を入れている学校があります。自分の学校でグローバル人材を育てるよりも、手っ取り早く英語ができる生徒を獲ろうとしていることが明白ですね。
また、「思考力の育成」を謳っているのに、入試はつまらぬ記号選択問題で埋め尽くされている学校もあります。本気で思考力を育てる気があるのか疑わしいですね。
武蔵の入試問題は癖の強い個性的なものですが、思考力を重視している姿勢が見てとれる問題です。
2025 社会入試問題
江戸以降の運輸労働の変化、とくに第二次世界大戦前後の運輸労働者の実態についての文章を読んだあとに、こんな記述が出題されました。
運輸作業の機械化は確かに運輸労働者の負担を軽減させましたが、最近では情報通信技術の進歩や情報端末の普及があり、また翌日配送のようなサービスも提供されて、労働量や労働時間の増加という形で運輸労働者の負担を重くしています。
①多くの労働者が自分たちの負担がどんどん重くなるにもかかわらず、このような状況を受け入れているのはなぜだと思いますか。
②運輸労働者の幸福追求を実現するという観点から、①の働き方が含む問題点を指摘しなさい。
なかなかの記述問題ですね。
かつての武蔵の社会科といえば、行き当たりばったりというか、社会科の先生が好き勝手に作ったとしか思えぬ問題ばかりでした。それはそれで「武蔵風」でおもしろかったのですが、最近は真面目というか、こうした社会問題にもしっかり向き合った出題が増えている印象があります。
私は、こうした記述問題が大好物なもので、もうそれだけでこの学校が好きになります。
伝統
卒業生の顔ぶれをみてみましょう。
この学校も、歴史のある学校の例にもれず、実に多士済々な人材を輩出しています。
政治・行政畑や経済界で活躍する人材も多いのですが、目立つのが学究畑で活躍する人材です。
こういうのって、学校のカラーが表れるのが不思議ですね。
学問畑に進みたい人物が武蔵に惹かれるのか、武蔵の薫陶を6年間受けることで学問に目覚めるのか。
いずれにしても「アカデミック」な伝統があるのでしょう。
別に、卒業生にどんな人物がいようと今の自分には無関係だ、という考えもあるでしょうが、私はそうは思いません。表面に現れることのないこうした「伝統」が、学校の校風となり、生徒に多大な影響を与えると思うからです。
「もはや武蔵は御三家の名に値しない」などという意見も耳にします。
実に浅薄な論評ですね。受験産業が勝手に「開成・麻布・武蔵が御三家」と名付けようとどうしようと、武蔵の魅力は色褪せていないと思います。
この学校も、「東大実績」で選ばれる学校ではありません。そうした方は、筑駒にお進みください。
以前にも武蔵についてはとりあげています。
こちらもぜひお読みください。