
たまにこうした意見を耳にすることがあります。
「小学校低学年から塾に行って必死で勉強してやっと合格できるような、そんなにも勉強しないと入れない高レベルの中学校に入っても結局落ちこぼれるのなら、意味ないでしょ?」
私の大嫌いな考え方です。思い切り反論させていただきます。
意味のない勉強などない
全ての勉強は本人の血肉になります。勉強に「無駄になる」ものなどないのです。算数も国語も理科も社会も、まさに「教養教科」として、中学生のみならずその後の人生にとっても(大げさではなく)役立つ学びに満ちています。
勉強の目的は、近視眼的には「中学合格」ですが、実はその将来につながる勉強の第一歩を学んでいるのです。
偏差値だけが学校を測る尺度ではないものの
例えば偏差値68の学校が48の学校よりも「優れている」「良い」学校だということはありません。
とはいうものの、そこに差があることも事実です。
例えばSAPIX偏差値68の開成と、46の巣鴨を考えます。
巣鴨の大学実績を見てみます。
東大:13、京大:5、一橋:7、科学大:7名でした。
なかなかの好実績ですね。同偏差値帯の芝の実績を見ます。
東大:21、京大:4、一橋:4、科学大:7名でした。
また同偏差値帯の攻玉社は、
東大:15、京大:3、一橋:2、科学大:4名でした。
立地も理念も校風も異なる3校ですが、大学実績は素晴らしいですね。
そして開成の実績はこうなっています。
東大:198、京大:15、一橋:11、科学大:25名でした。
もちろん卒業生数が異なります。開成は高校入試もありますので、卒業生はおよそ400名と大所帯です。しかしその半数が東大に進学する、そういう学校です。
つまり開成に進学するということは、そうした同級生たちと机を並べることを意味するのです。そこに開成に進学する価値があると思います。
おそらく「鶏口牛後」ということなのでしょうが、あまりにも狭い考えですね。そもそもこの言葉は、開成と芝/巣鴨/攻玉社の両方に合格し開成を選ばなかった者にしか口にできないと思います。
中学受験時の成績と高校卒業時の成績の相関関係
どの学校の先生も、「相関関係は無い」とおっしゃいます。
それは当たり前ですね。勉強の質も内容も大きく変わるのですから。
一部の青天井に優秀な生徒は別として、入学後の頑張りで大きく変わります。せっかく難関中学に進学しても深海魚化する生徒は、その後の努力が足りなかった、ただそれだけのことです。
進学後に「落ちこぼれる」ことを怖れて、ゆる受験に切り替えてそれなりの学校に進学する、という発想は私には理解できません。
中受の最大のメリットは、「努力の価値を身をもって体験する」ことにあるのですから。