
最初に白状します。
私はかつて「怖い」教師でした。
社会人になった教え子に言われたことがあるのです。
「先生、人が変わったね」
生徒の学力向上に真剣だった
この仕事をはじめた若かりし頃、私は生徒の学力向上に真剣でした。(今でもそうですが)
どうやったら生徒たちの学力を上げることができるのか。
そのためにはどのような教材が必要なのか。
どのように指導すればよいのか。
その当時は、早朝から深夜まで塾にいて、ひたすら教材やプリントを作っていたものです。休みは二か月に1日くらいでしたね。正月もお盆休みも、自主的に仕事をしに行きました。そんな日々が何年も続いたのです。
今考えると完全に「アウト!」な仕事スタイルです。よく過労死しなかったものです。
生徒たちにも、真剣に勉強することを求めました。さぼる、怠ける、手を抜く。そうした生徒には厳しい態度で指導したものです。解答を丸写ししたり、カンニングする生徒には容赦しませんでした。
これらはすべて、生徒の学力向上を目的とした態度です。
したがって、相当「厳しく」「怖い」教師だったのだと思います。
ただし、確実に成果はあげました。指導した生徒たちの学力は確実に上げ、合格に導いた自負があります。
理不尽に怒ったことは無い
厳しい教師でしたが、絶対に守っていた鉄則があります。
それは、決して感情的に怒らない、ということです。
怒るのではなく叱る。
しかも、どうして叱られるのか、生徒がきちんと納得できる場面でしか叱ったことはありません。
大人と子どもですから、教師が大声を出すだけで生徒は萎縮します。まして、感情的に怒鳴り散らすなどもってのほかです。
教師が生徒を叱るのは、「叱ることで生徒の学力向上につながる」場面に限られます。
叱る勇気とエネルギー
生徒を叱るのには実は勇気とエネルギーが必要なのです。
誰だって、可愛いわが子を塾教師風情に叱られるのは、気分が良いものではありません。生徒を叱るときには、その背後にいる親のことも意識します。それでもなお叱るときにはきちんと叱る。なかなかに勇気が必要です。
私も過去に、父親から抗議されたことがありました。
「私は、一度もタロウ(仮名)を叱ったことが無いのですよ! それをあなたは・・・・・!」
心の声が聞こえましたね。(塾教師風情が、息子を叱って心を傷つけた責任をどうとるんだ!)
「怒る」「叱る」「注意する」
「怒る」は、感情をぶつける行為です。自分の気分をすっきりさせるのが目的で、相手の心情はどうでもいいのです。
「叱る」は、相手のことを考えてする行為です。教え導くのが目的です。
「注意する」は、ただ相手のミスを指摘する行為です。
この3つをきちんと区別しなくてはなりません。塾の教師は、基本的には「注意」しかしません。「叱る」ことができる教師はなかなかいないでしょう。
そして、残念なことに、「注意」も「叱る」こともできないのに、「怒る」ことだけをする教師がいるのです。
子どもは叱られることが減った
子どもたちは叱られる経験が少なくなってきました。
少し大きな声を出しただけで泣き出す子もいます。
また、自分が悪いことを自覚できない子も大勢います。
親の期待を裏切って塾を無断でさぼった子もいましたね。
しかも、「塾に行く途中で誘拐された」と、とんでもない嘘まで言って、警察が出る大騒動になったこともあったのです。
親の意識も変化します。
塾に、子どもの精神面の指導までは求めなくなったのです。
それに対応し、塾の指導スタイルも変化します。
親の苦情を受けるリスクを冒してまで生徒を「叱る」「厳しく指導する」ことはなくなります。
それは求められていないサービスです。
考えてみれば、塾は教科指導だけを行うサービス業です。生徒の内面の成長までは「営業項目外」ですね。
もちろん、それでいいのです。子どもを精神的に導くのは家庭であり、塾は学習面を導くだけでよいのです。
勘違い教師の存在
残念なことに、生徒を「怒る」ことが良い指導であると勘違いしている教師はまだ絶滅したわけではありません。何か偉くなったとでも勘違いしているのでしょうか。小学生相手に怒鳴り散らす教師を大勢見てきました。
完全に「勘違い」した教師です。
もしお通いの塾の教師がそうした人間だった場合、転塾の一択です。そうした教師に指導される意味がありませんし、そうした教師を野放しにしている塾にも問題があるからです。
ただし、指導力が抜群で、叱られても生徒がついてくるようなベテラン教師もごくわずかですが存在します。生徒相手に真剣に指導する立派な先生です。そんな先生との出会いだったら大切にして穂いいと思います。