
「うちの子はやればできる子なんです」
母親と面談しているとよく聞く言葉です。
今日はその幻想を打ち砕く、身もふたもない記事となります。
やる・やらない、できる・できないの二元論
「やればできる」、この言葉には、お子さんについて「やる・やらない」「できる・できない」の二元論で判断する危うさを感じます。
世界を「光と闇」「善と悪」に分類したゾロアスター教か?
子どもたちには、やる/やらない、の間に無限の色合いがあり、できる/できない、の間にもまた無限の状態があります。
あえて二元論で考えても
それでも、あえて二元論で考えてみても、「やればできる」は大きく間違っています。

この分類では、「やればできる」子は、まだやっていない状態であり、できてもいない状態、つまり④の状態です。
「やっていないしできてもいない」状態ということですね。
もしかして「やることができない」状態かもしれません。
そして、「やればできる」は、④から①に移行できるという判断ですが、そこには根拠はあるのでしょうか。
大半の子が③の状態です。
つまり、やってもやってもできるようにならない。それでもあきらめずにやり続ける、そうした子たちです。ところが弛まず努力し続けるうちに、少しずつ「できる」が増えていきます。③の状態を必死で続けた子だけが、やっと④に移行できる、それが勉強の世界です。
ところで、②の状態の子はいません。
やらなければ、できるはずもありません。
低学年のうちは、そうした子も少しだけいることは事実です。生まれつき頭の回転が速く、「〇〇ちゃんは賢いね!」と言われるようなタイプです。しかし、そうした根拠なき成功体験が邪魔をするため、努力の価値を知らない子が多く、やがて④の状態に落ち込んでいきます。
親の思い込みがプレッシャーとなる
「タロウ君はやればできるんだから、がんばりなさい」
こんな声掛け、まさかしてはいないでしょうね。
親がわが子を高評価するのは当たり前ですが、それが根拠のない幻想、わが子に理想を押し付けているだけになってはいけません。
卑近な例で恐縮ですが、私は大人になってからピアノを始めました。最初は自己流で、やがて素晴らしい師匠と出会って、みるみる上達、とはいかず、カメの歩で弾いています。ある時師匠にこう言われました。「赤嶺さんにはカプースチンを弾いてほしいな」
ニコライ・カプースチン。知らない作曲家でしたので、さっそくCDと楽譜を買ってきました。さて、譜面を見ながら曲を聞いた瞬間に、「無理!」となったのです。ショパンのエチュードにジャズの要素が付け加わったとでもいえばいいでしょうか。10本の指が独立してリズミカルに動くことが要求されるとんでもない難曲でした。
師匠がどんなつもりで私にカプースチンを弾かせようとしたのかはわかりませんが、無理なものは無理です。これは、がんばればできるようになるかもしれない、とすら思えない、頑張る前から不可能なことがわかるケースです。
それでも、崇敬する師匠の希望に応えることができない不甲斐なさに、しばらく落ち込みました。練習する気も起きなかったほどです。
過度な期待、根拠のない期待は逆効果なのです。
「やればできる子だから」この言葉は、はたしてお子さんにとってプラスになる言葉なのでしょうか。
やれない、やっていないの現状からスタート
まずは子どもの状態を正しく把握・認識しましょう。
そして、一つずつ「やる」ことを増やしていきましょう。
そうすることでやがて③の状態へ、もしかしてそこから①に移行できるかもしれません。