
ご存じのように、大学生にとって論文が書けないと勉強になりません。そこで、大学入試でも論文を課すのです。
しかし、これはけっこう無茶ぶりだなあ、といつも思っています。
まず、彼らは小学生のときに、論文の書き方を学んでいません。書いたこともありません。まあ小学生ですから書けるはずもないのですが。彼らが書くのは「読書感想文」と「作文」です。みなさんに聞きたいのですが、小学生時代に「読書感想文」や「作文」を書くのが好きでしたか? おそらくほぼ全員が首を横にふることでしょう。
中学入試では、一部の学校の社会科で、ヘビーな記述を要求します。麻布・武蔵・栄光・海城・芝・鴎友といった学校です。これらの学校を目指す生徒たちは、特別な対策をしているでしょうからまだよいのです。
高校入試では、記述問題は出題されません。いちおう記述らしきものは出るのですが、模範解答が1通りに決まるような記述なので、あれは記述というより客観問題とみなすべきでしょう。
高校入試がそんな状態ですから、中学生のときにも論文を書くチャンスはほとんどありません。そして、高校生になると、あらゆる勉強が加速しますから、論文にじっくりと向き合うチャンスなどないでしょう。
それなのに、大学入試になると、とたんに800文字や1000文字の論文を書かされるのです。
そこで、迷える子羊?たちのために、「論文対策」という方法論が提供されます。ちょっと書店の大学受験参考書コーナーに行ってみてください。「小論文の書き方」「これが出る! 小論文のテーマ」といったたぐいの本がたくさん見つかります。
手に取ってみると、ほとんどが塾・予備校の先生方が執筆した参考書です。段落構成から、文体、盛り込むべき知識にいたるまで詳しく書かれています。
図表が出された場合のアプローチ法や、意見を求められた場合の対応のように、出題パターン別に書かれていて、これらをきちんと学べば、もう論文は怖くない、そう思えるほどです。
しかし、それらの本を見ていても、私には違和感しかありません。論文の本質って、そういうことなのでしょうか。
そもそも彼らは、中高生のときに読書をしてきませんでした。教養を高める努力をしてきませんでした。
論文は、その人間が持つ教養がすべてです。
そして、教養があるから、書くべき内容、テーマについて考えることができます。
最後の「書き方テクニック」など些末なことにすぎません。
もし私が大学受験を目指す高校生の論文指導をするのなら。
おそらく、本を1冊読んでもらうでしょう。そして、そのあとにその内容について討論します。
書くのは最後です。
おそらく、ペンを握る前に、すでに頭の中に書くべき内容が整理されているはずなのです。
それこそが、正しい論文指導の在り方だと思っています。