元SAPIX 中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

思い出に残る中学受験風景 発表会場で同窓会


ずいぶん昔の話で恐縮です。

まだWEB発表が主流ではなかった時代の話です。

その日私は、都内国立最難関校の筑駒の合格発表を見に行きました。

この学校の合格発表にはさほどドラマはありません。

例えば桜蔭中の場合なら、2月2日の午前中、たしか11時頃に、校門をはいったすぐのところの掲示板に張り出されるのです。そこには発表を今か今かと待ちかねる保護者・生徒(&塾屋)が集まっています。やがて、学校の方が、巻いたポスターのような紙を持ってやってきます。そして、掲示板の左から紙をほどきながら貼っていくのです。その瞬間に、悲鳴とも歓声ともつかない声がおこります。若い番号から見えてくるこの発表、緊張しましたね。

しかし、この筑駒中の発表はそんな雰囲気ではありません。何せこの学校を受験する生徒の大半は、すでに他の学校の合格をとっているのです。2月5日ですので、開成・麻布・駒東・栄光・聖光・渋幕・渋渋といった最難関校の合格がすでに出ている生徒ばかりです。逆にいうと、これらの学校に受かる力が無ければ、この国立中には合格は見込めない、そうした学校でした。

また、発表人数も120名募集のところ130名程度の発表ですから、掲示もコンパクトです。私が行くと、すでに張り出された後で、掲示板前で記念撮影している生徒や、さっそくグラウンドを偵察に行く生徒などが見受けられました。

そこにやってきたのが、A君です。私も番号でA君の合格を確認済でしたので、すぐに私のそばにやってきたA君にお祝いの言葉をかけていました。その時、A君の横にいたA君の父親にこう言われたのです。

「お久しぶりです。覚えてますか?」

実は、この仕事を長くしていると、よくこうした場面にぶつかります。小学生の面影などなくなった高校生や大学生、そして社会人にばったり遭遇するのです。あちらは私のことを覚えてくれているのですが、私は瞬時に誰かわからなくて往生します。いつかなど、某女子校の文化祭の会場で声をかけてきた小学生をつれたお母さまが、私の教え子でした。

さてこの時にも、「誰だ?」というフレーズが脳裏を駆け巡ります。年齢からいっても教え子ではないだろう、それなら、A君のお兄さんかお姉さんを教えたのか? A君には兄弟はいないと思っていたが。

すぐに判明しました。私の高校の同級生だったのです。

珍しい苗字ではなかったこともあり、A君の父親が同級生だったことにそれまで全く気が付きませんでした。

「それならそうと早く言ってよ!」ですね。

談笑するうちに、B君が父親と発表を見にやってきました。B君も合格は確認済です。そして、B君も、私の高校の同級生でした。これは以前から知っています。

思わぬところで昔の同級生が3人集まり、他の懐かしい友人たちの消息など話し合うことになったのでした。

A君の父親も、B君の父親も、高校時代は私と違って優秀でした。国立最難関大学に進学したはずです。その時しみじみ思いました。やっぱり優秀な親の子は優秀に育つのだなあ、と。

もちろんこれは遺伝ですべてが決まるといった話ではありません。おそらくは、勉強をするのが当たり前の環境が大きかったのだと思います。親の背中を見て育った彼らなら、まじめに中高生活を送るだろうことは容易に予想できました。

 

ところで、さらに後日談があります。

それから何年も過ぎたある日、A君の父親から連絡があったのです。

「息子が弁護士になりました」

素晴らしいですね。

「やはりあそこであの中学校に進学できたのが大きかった。ありがとう」

こうも言ってくれました。

私など微力なお手伝いしかできていませんが、それでもそういわれると嬉しいものですね。

人生の数多ある分岐点の一つが、中学進学です。他の道を選ぶことができない以上、選択が正しかったのかどうかを知ることは不可能ですが、少なくともA君にとっては、法曹の道に進む正しい分岐点だったといえるでしょう。