元SAPIX 中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

思い出に残る中学受験風景 B君の涙


今回は、徒然なるままに過去の受験風景を語るだけの記事になります。

お気軽に読み流していただければ。

 

A中学に進学したB君の思い出

 

B君は、いわゆる「帰国子女」でした。

小6になる直前に帰国し、私の教室に通い始めたのです。

英語圏からの帰国生でしたので、英語は相当できたのでしょうけれど、B君は、英語力を生かした入試には臨みませんでした。一般受験生と分けた特別枠として「帰国生入試」を行っている学校には行きたい学校が無かったのです。

B君が目指していたのは、「A中学」でした。

A中学は自由闊達な校風で知られる男子校です。

制服も校則もなく、生徒の自主性に任せています。

「自由」「自主性」を標榜する学校は多くありますが、その中身はそうではないことが普通です。生徒の生活全般を細かく規定していたり、校内模試の結果を廊下に貼りだしたり。また頻繁に保護者会があり、家庭との連携を密にする学校も多くあります。

最近は「自由放任」な学校よりも、管理型教育が好まれている傾向があります。子供をきちんと学校が管理し、結果として大学進学につなげる、そうした学校が好まれるのですね。

ある意味A中学は時代に逆行しているとも言えますが、別に時代によって変わることが良いとは限りません。A中学にはその学校にしか無い良さがあり、熱烈なファンも多い学校なのです。

また、この学校は、戦後一度も「東大合格者数高校別ランキング」のベスト10から外れたことのない唯一の学校でもあります。

 

B君は、海外の自由な環境で過ごしていたためか、日本の学校の「息苦しさ」が嫌だったのです。

大学附属校なら、かなり「自由」で「のんびり」とした雰囲気の学校も多いのですが、逆に生徒が羽目を外し過ぎないように生活面の指導が強化されている場合も多いのです。「希望の学部」に入るための競争もあります。

いろいろ考えた結果、B君が選んだ学校は、A中学でした。

もう1校、やはり自由な校風で知られるC中学も気にはなりましたが、通学の便を考えると候補から外れたのです。

B君曰く、「あそこはヤギの匂いがする学校だから嫌だ」そうです。確かにヤギが飼われているのですが、B君としては、もっと都会的な匂いのする学校に行きたかったのですね。

さらに、5月のゴールデンウィークに行われたA中学の文化祭に行ったことで、B君の志望は確定しました。

A中学の文化祭は、学校が一切かかわらず、完全に生徒たちの自主的な運営で実施されます。中高の文化祭というよりは、どちらかといえば大学の学園祭のようなイベントです。一言でいえば「カオス」です。B君はそこに惚れたようでした。

 

こうしてA中学目指したB君の受験勉強が本格的にスタートしました。

ただし問題が1つありました。

成績が全く届いていなかったのです。

4科目トータルの偏差値では15以上も足りません。

4・5年生の時ならいざ知らず、6年生の段階で15ポイントも不足している学校は、合格できません。目標を持って努力することは素晴らしいことですが、無謀なチャレンジをすることは愚かです。夢が実現するためには、現実を見据える必要があるのが受験の厳しい世界です。

そうした現実を両親に話したところ、「本人に任せています」とのことでした。普通は、中学受験に関しては「本人に任せる」ことはまずいのです。子どもの自立というものは、段階を経て育てていくべきものです。そうした文化の無い日本で、いきなり「あなたの受験なのだから自分で決めなさい!」と放り出すことは、ただの親の責任放棄でしかありません。

しかし、B君の両親は、もっとしっかりした考えのようでした。

「小さいころから、自分の行動は自分で考えて決めるように教えてきた。今回の中学受験についても、本人の希望である。志望校も本人がA中学を目指すのなら、親はそれを支援はするが反対はしない。そうして成功すれば本人の手柄だが、失敗してもそこから本人が学ぶものはとても大きい」

なかなかこれは言えるセリフではありませんね。もしかして海外での教育環境が良かったのかもしれません。

そこで私は、B君とじっくりと話し合ってみました。

B君の成績は、算数と理科はそう悪くなかったのですが、国語と社会が壊滅的だったのです。低学年でも知っているような知識すら欠けています。そして、残念なことに、A中学の入試問題は、高度な思考力と記述力を要求するものだったのです。つまり入試問題の相性からいえば、絶対に受けてはならないタイプの学校でした。

そうした現状をB君本人に話し、彼の意思を確認しました。

「正直に言って、君がA中学に合格できる可能性は限りなくゼロに近い」

「それでもゼロではないのですよね?」

「それはもちろんそうだ」

「だったら僕はA中学を受けます」

「相当大変だぞ」

「わかってます。これから8か月半、頑張りますから」

「そうか、わかった。それなら全力で支援しよう」

私は内心、B君はわかっていないと思いました。この成績を巻き返すことの困難さについて。子供たちはみな現状認識が甘いものなのです。がんばればなんとかなると楽観的に考えますし、その割に頑張らないのが子供というものです。

しかし、1点だけ、私に希望を抱かせる言葉がありました。「あと8か月半」という言葉です。この話をしたのはゴールデンウィーク直後でした。そこから翌年の受験まで、9か月を切っています。その数字をきちんと認識しているのに少し驚きました。子供たちのほぼすべてが、この時期にはここまで受験本番までの残り時間を把握していないのものだったからです。

 

こうしてB君のチャレンジが始まりました。

A中学を希望する生徒だけが20名ほど集まった教室で授業を受けます。予想通り、常にそのクラス最下位の成績です。毎回の小テストでも苦戦します。

「満点だった者は?」

こう声をかけると、数名が手を上げます。

「それでは、自分が最下位だと思う者は?」

こう聞くと、クラス全員が一斉にB君のほうを見ます。そしてB君が手をあげているのです。点数を確認すると、他の生徒に大きく引き離されて孤高のビリでした。

少々残酷なやり方ではありますが、受験はぬるま湯の世界ではありません。常に自分の弱点を直視し続けなくてはならないのです。

また授業中に基礎的な知識について質問をするのもB君だけでした。

「あ、先生、今の〇〇ってどういう意味ですか?」

4年生でも知っていそうな簡単な知識をすぐその場で確認するのです。もちろんクラスの他の生徒たちは、「そんなことも知らないの?」と彼を見下します。B君はそれに臆することなく、毎回質問しつづけました。そして私の説明を小さなメモ帳に書き留めるのです。

 

こうして数か月が過ぎ、秋も深まるころ、少しずつB君の成績が上がってきました。もうクラスで最下位ではなくなります。彼のあらゆることを貪欲に吸収しようとする姿勢が実を結び始めたのです。

一般に、受験直前に上昇傾向にある子の受験はうまくいくケースが多いのです。しかし、さすがにA中学ですから。何とか届いてほしいとは思いますが、間に合わないでしょう。せめてあと半年早く帰国してくれていれば。そう思いますが、こればかりは何ともなりません。

そうして2月3日の合格発表を迎えました。A中学は2月1日に入試が行われる学校の中で最も遅い3日の午後に発表が行われます。おそらく記述問題が多い入試の採点を丁寧にするのでしょう。

3日といえば、国立最難関校等の他の学校を受験する生徒ばかりです。みなその入試が終わった足で学校にかけつけて掲示板を確認するのです。

WEB発表などない時代のことでした。私は生徒たちには、「発表は親ではなくて自分の目で最初に確認するものだ」と指導していました。合格の喜びも、不合格の悲しみも自分で受け止める。厳しいようですが、必要なことです。

3日の午後早く、生徒たちの受験番号を書いたメモを持って、私は発表会場に行きました。中庭の壁の掲示板、見上げる位置に合格番号が張り出されています。

合格番号の中に、B君の番号がありました。

私は中庭の隅に下がり、次々に中庭に駆け込むようにしてやってくる受験生たちを見守ります。合格の喜びを爆発させる生徒もいる一方、逃げるようにしてその場から去る子もいます。私の指導した生徒にもそうした子がいます。彼らの後ろ姿を見ながら、「来年こそはそうした思いをする生徒を一人もださないようにしよう」と心に誓うのです。

B君がやってきました。きっと飛び上がって喜ぶだろうな。そう思ったのですが、どうも様子が違います。掲示板の前に立ち尽くしたまま動こうとしないのです。おそるおそる近寄ってみると、B君は小さなこぶしを握り締めるようにして、静かに涙をこぼしていました。

皆に馬鹿にされながらも必死で頑張ったこの1年弱の努力を私も間近で見てきました。B君の心にどんな思いが去来していたのでしょうか。

あれから何年もたちましたが、いまだにあのときのB君の姿がはっきりと浮かびます。

そうした涙を見られるのなら、私の仕事もまんざら捨てたものじゃないな、そう思うのです。

 

中学受験が子供を成長させる。

 

本当のことです。ただし、その果実は、必死に努力した子だけが受け取れる果実です。