中学受験のプロ peterの日記

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【中学受験】2026 芝中(1回) 社会 記述問題考察

今回は、2026年実施の芝中学 1回 社会科の記述問題について考察します。

問題の構成は例年通り、標準的な知識問題の最後に、長文記述(100字)があるというものでした。その記述問題を取り上げます。

 

「ほんとうに生きんがために、今、この食をいただきます。

 あたえられたる天地の恵みを、感謝いたします。」

浄土宗 食作法「食前のことば」

 

長文の冒頭にこう書かれていました。

 

ご存知のように、芝中学の歴史は、江戸時代に増上寺内に僧侶養成と徒弟教育の機関を整備したことがルーツです。

やがて1906年(明治39年)に、宗門外の一般子弟の教育に門戸を開放し、私立芝中学校が設立されました。

宗教をバックボーンとした学校というと、すぐにミッション系(カトリック・プロテスタント)が思い浮かびますが、実は仏教系の学校もけっこうあるのです。

世田谷学園・淑徳与野・藤嶺学園藤沢・国府台女子といった名前がすぐに思い浮かびます。

さらに問題文を読み進めてみます。

 

わたしたちが食事の前に唱える「いただきます」には、こういう意味があったのか、という気持ちになりませんか。わたしたちはほかの生き物の命を「いただく」ことで、自分の命をつないでいます。

・・・・・・

「生きるために」命をいただくという観点から視野を広げれば、食べることが目的でなくても、自分の安全をおびやかす存在から身を守ることも認められなければなりません。近年では、人里に現れるクマがしばしば問題になっています。

 

なるほど。今回のテーマは「人里に出てきたクマ」でした。

 後の文章はだいたい予想が付くと思います。どうしてクマが人里に降りてきたのか、そしてそれにどう対処するのが正しいのか。そうした正解の無い問いについてつづられた文章でした。

 

 クマは、食べるものがないということがわかっても、それが異常気象のせいなのか人のせいなのかということは考えません。畑の作物を食べることや、そこで出くわした人間におどろいて攻撃することを悪いことだとは思いません。そう考えると、「クマに出会わない方法」を考えることは、きわめて人間的だと思うのです。

さて、問いはこうでした。

問 下線部について、筆者がこれを「きわめて人間的」と考えるのはなぜでしょうか。以下のことばを必ず使って100字以内で答えなさい。

< 観察 原因 検討 >

 

これだけ見ると難しそうに見えますが、文章の最後に思い切りヒントが書かれています。

 

・・・トラブルの原因そのものに目を向け、わかっていることをもとにして、落ち着いて結論を出すことは、人間にしかできないことなのです。

 

もうこれはほとんど答といってもいいですね。

観察し、原因をさぐり、対策を検討する。まさに人間にしかできない、少なくともクマにはできない行動です。

 

あとは、文章中の内容を反映させながらまとめるだけでした。

 

あれだけ「アーバンベア」の問題が報道されていましたから、それに関連した出題はいくつもの学校で見られました。そう考えると芝中のこの問題も、タイムリーな出題とみなせます。

 

ただし、私が気になったのはそこではないのです。

 

そもそも、この問題は「社会科」とは言えません。「国語」です。

例えば、こういう出題だったらよかったのです。

「文章をよく読んで、人里に現れるようになったクマの問題について、私たちは今後どうしたらよいのかあなたの考えを書きなさい」

あるいは、アーバンベア出没の原因をまとめさせてもよいですね。

これを「社会科的」に記述するのなら、やはり里山の消失あたりがまとめやすいでしょう。クマの生息域と人里との緩衝地帯の役割をはたしていた「里山」が失われたことも、アーバンベア出没の原因の一つであることは間違いないからです。そして、どうして里山が失われていったのか、それについては、農村の荒廃や高齢化、農業の近代化、宅地開発、といった「社会科的」な問題について書くことができます。

さらに、猟師・ハンターの減少も指摘されています。

広くもない日本で、そもそもクマと人間の共存など可能なのか、考えさせられる問題ですね。

 

しかし、今回の芝の問題はそうではありませんでした。

「・・・筆者が「きわめて人間的」と考えるのはなぜでしょう。」

こう問われています。

つまり、「筆者の考えた理由」を記述しなくてはならないのです。

このように、文章の筆者の考えたことをを書かせるのは、社会科的思考ではありません。思い切り「国語」です。

 

別に社会科の入試問題に国語を出題してはいけないというルールはありません。しかし、普通はやりません。それでは「四科目」に分けている意味がないからです。

この問題は、社会科的素養がゼロでも書けてしまうのです。国語力だけで書けてしまう問題を社会科で出題してほしくはありません。

 

しかも、おそらくこの文章は、芝中高の社会科の先生が書かれた文章なのだと思われます。

ということは、筆者=作問者、ということになります。

「私の考えは何でしょう?」

これ、普通出題しますか?

 

バランスのとれた良問が多い学校ですが、今回のこの問題だけは一言いいたくなりました。