中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

ロジカルライティングとは何か

今回は、「ロジカルライティング」について説明します。

essay writing

みなさんは、TOEFLを受験したことがあるでしょうか。留学経験があるでしょうか。

そこで必ずぶつかるのが、essay writingという壁です。

「エッセイ」といえば、日本語では「随筆」のことですね。自分の身の回りの出来事や感じたことなどを取りとめもなく綴る散文のことです。実は、英語でいう「essay」と、日本語でいう「エッセイ」は全く異なるものなのです。

その違いを認識するところから説明しましょう。

 

エッセイ

日本のエッセイは、つまり随筆ですから、とくに決まった形式もありません。主張があっても無くてもかまいません。一般的な傾向としては、古典的な随筆のほうが、筆者の主張が根底にしっかりとありましたが、現代のエッセイは「軽妙さ」が評価される傾向があるように思います。

現代人が疲れていて、筆者の主張を欲していないのかもしれません。ちなみに、日本の随筆の歴代ベストセラー1位は何だと思いますか?

私はてっきり「枕草子」だと思っていたのですが、違いました。「窓際のトットちゃん」(黒柳徹子)だそうです。580万部(単行本)はダントツ1位の国民的ベストセラーなのだとか。すいません、実は私は未読です。筆者に興味が無いことと、天邪鬼な性格が理由です。流行り物にすぐに手を出さないという損な性分です。そのおかげで、興行収入歴代邦画1位の「鬼滅の刃」も、洋画1位の「タイタニック」も見ていません。まあ別に見なくても困らないかな。

 

今回のテーマとは逸れますが、随筆(エッセイ)を読むなら、まずは3大随筆を押さえましょう。

 

『枕草子』清少納言

 今さら私が言うまでもありません。随筆文学の最高峰です。今読んでも清少納言の感性にうならされます。私は、「春はあけぼの」の章を始めて読んだときに清少納言に惚れました。

 

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる 雲のほそくたなびきたる。
 夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、 ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
 秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行く とて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などの つらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音、虫の 音など、はたいふべきにあらず。
 冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のいと白きも、また さらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて渡るもいとつきづきし。 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。  

いいですねえ。実にいい!

言われてみれば、確かに春はあけぼのが素敵です。夏の夜もいいですね。秋は夕暮れが似合います。そして冬は早朝! 普通に考えれば、冬の早朝は最悪です。寒いですから。そこをあえて取り上げる清少納言の感性に痺れます。

 

『徒然草』吉田兼好

 枕草子をとりあげたなら、こちらも取り上げるほかありません。

つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

有名な出だしです。まさに随筆というものが的確に表されています。

 

 

『方丈記』鴨長明

 文学作品というよりは、時代背景を知る資料です。冒頭の一文を読むだけでも、無常観に浸れます。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

こういう文を読むと、日本語は日々退化しているような気がしてしまいます。

800年以上の時を経て残っていく文の力というものはすごいですね。

 

私はいつも授業で冒頭を暗唱して無常観を説明し、そこから鎌倉仏教へとつなげる講義をするのですが、まったく理解してはもらえません。

 

そんな古典的名著以外にも、思いついたものをいくつか紹介します。

 

『父の詫び状』向田邦子

方丈記の次に取り上げるのもどうかと思いますが、昭和の家族の様子を背景とした名エッセイです。

 

『暢気眼鏡』尾崎一雄

これはエッセイというより「私小説」というジャンルでしょう。そもそも「私小説」は日本特有のジャンルだと思います。フィクションの割合が高くなると「私小説」になるようです。もっとも私はこの作品を「随筆」のつもりで読みました。

「私小説」には暗いものが多いのですが、この作品は何とも言えない可笑しみのようなものがあります。

 

『 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ

 私の中ではここ数年のナンバー1エッセイです。イギリスで暮らす著者と子どもの何気ない会話を主軸に、格差社会が浮き彫りになります。テーマは重いのですが、描写は軽妙です。中高生にはぜひ読んで欲しい本ですね。タイトルも絶妙です。

 

『移動祝祭日』アーネスト・ヘミングウェイ

1920年代のパリで暮らす若い頃の追憶を、死の目前に綴ったエッセイです。ヘミングウェイという作家を知る一助にもなると思います。

 

今気づいたのですが、エッセイには、役者・芸人・漫画家といった、文学畑でない人が書いたものにも面白いものが多いですね。

 

エッセイライティングの作法

 

やっと本題に入ります。

essay writing、英語の世界でいう「エッセイライティング」は、随筆とは無関係です。

まず、主題(テーマ)があります。与えらえる場合も、自分で考えなくてはならない場合も。そしてその主題に対して、いかに説得力のある意見を展開するのか、そこが問われるのですね。説得力を持たせるためには、構成にはいくつかルールがあります。本当はルールを無視しても良いのですが、長年にわたって先人達が積み上げてきたものがありますので、その構成に従うのが定石です。

例えていえば、クラシックの交響曲におけるルールにも似ています。

 

第1楽章:(ソナタ形式)・・・メインテーマが提示され展開していく。壮大な物語がこれから始まることを予感させるような力強い楽章。


第2楽章:(緩やかなテンポ)・・・ゆったりとした美しい旋律からなる、感情豊かで静かな落ち着いた楽章。つまらない交響曲を聴きにいくと、このあたりで眠気が・・・。


第3楽章:(メヌエットまたはスケルツォ)・・・一転してにぎやかになります。軽快でリズミカルですね。眠気が飛びます。ここで覚醒できないような楽曲は、もう無理でしょう。

 

第4楽章:終楽章(ソナタ形式またはロンド形式)・・・速いテンポで、大団円を迎える華やかで活発なフィナーレ。 

 

ハイドン・モーツアルトによって確立し、ベートーベンが発展させた形式です。もちろん近現代はこの形式にとらわれない曲も多数ありますが、やはり聞いていて収まりの良いのは古典的なスタイルですね。

 

essay writing、にも同様のスタイルがあります。

 

◆Introduction(序論)・・・エッセイのテーマ(Topic)を明示し、それに対する自分の主張を主題(Thesis statement)として提示。

◆Body(本論)・・・通常は3パラグラフで構成します。それぞれのパラグラフでは1つのアイデアを書くのが原則です。
・Topic sentence(パラグラフの主題)
・Supporting details(詳細説明)
・Concluding sentence(パラグラフの結論)
このように、パラグラフごとにまとめていきます。
これを3パラグラフ作成するのです。

◆Conclusion(結論)・・・3つのBodyのTopic sentenceを要約します。そしてここで冒頭の主題文を結論づけるのです。

 

序論・本論・結論、この3部構成は、日本語の論説文でも定番です。しかし、これが日本語の特質なのか、あるいは多様性ともいうべきなのか、このルールがまったく守られていなかったり無視されていたりする文章が実に多いのです。とくに学者と呼ばれる人が書く文章に多い気がします。普段の学術論文で堅苦しいルールに縛られている反動なのかもしれませんが、一般向けの書籍の構成が乱れている(&文章も乱れている)ものが多く見受けられます。もっとも著名な学者の文章ですから、読み手である我々も、何とか理解しようと必死に読みますので問題はありません。読解できないのはこちらの能力不足というわけです。

 

しかし、みなさんが書く文章は、そうはいきません。自由に書く資格など無いのです。緻密な構成と文章で、読みやすく、説得力のある文章を書かなくてはならないのです。

 

これを私は「ロジカルライティング=論理記述」と名付けました。

 

残念ながら、このスキルが、従来の学校教育では完全に抜け落ちているのです。

それには理由があるのですが、それについては記事を改めることにします。

 

ロジカルライティングの実践についての本を書いています。

ぜひお読みください。

サブタイトルに「麻布受験生のため」とありますが、もちろん麻布限定ではありません。