中学受験のプロ peterの日記

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【入試問題研究】2026 武蔵中 社会

2026年武蔵中の社会の入試問題を見てみましょう。

テーマは歌舞伎

今年のテーマは「歌舞伎」でした。文章には、猿楽・田楽から能・狂言への進化、さらに出雲阿国の「かぶき踊り」が江戸時代の「歌舞伎」へと変化したことについて書かれています。

このあたりの知識については、普通に授業で教えます。観阿弥・世阿弥、能・狂言、そして出雲阿国は頻出です。

ただし、「かぶき踊り」が「女歌舞伎」になって広まり、「風紀を乱す」から1629年に幕府により禁止された事情については教えません。「風紀を乱す」具体的な内容について触れるわけにはいきませんので。また、若い男性による「若衆歌舞伎」が同じ理由で1652年に禁止されたことも教えるわけにはいきません。江戸時代は何ともおおらかな時代で、「衆道」(男色)も普通でしたが、そんなことは絶対に教えられません! そういえば江戸時代は銭湯が大いに流行りましたが、混浴が普通だったのですよね。

ところで、江戸時代には、内湯を持てる裕福な商人でも銭湯に行くのは珍しくはなかったのですが、その理由については良い授業ネタになりそうです。

答えは・・・広い浴槽につかりたかったから! ではなくて、家から火事を出すのを避けるためでした。江戸時代の銭湯は、いわゆる「蒸し風呂」で、つまりスチームサウナのようなものだったのが、やがて今と同様の風呂になったのです。

 

 さて、こうして歌舞伎は、若くはない男性によるお芝居である「野郎歌舞伎」へと変化して、江戸時代の庶民の娯楽の頂点になったのです。

 

問題文には、今泉みねの「名ごりの夢」が引用されています。おもしろい資料に目をつけましたね。江戸時代に蘭学者の娘として生まれた彼女が、幕末から明治にかけての周囲の様子を口述の形で晩年に残した作品です。1937年に83歳で亡くなる直前の作品ですが、戦前とはいえ、昭和の時代に生きていた女性が、14歳まで江戸時代に生きていた、と考えると、江戸時代が実はそんなに遠い昔のことではないことに驚かされます。

 

文章は、明治以降に地方に歌舞伎が広がったこと、政府によって統制されたこと、伝統演劇として庶民と乖離していったこと、現在は新しい試みもあること、そういうまとめとなっています。

 

さて、最初から最後まで歌舞伎だけをネタとした文章から、こうした問いがありました。

 

問1:観阿弥・世阿弥を保護した室町幕府三大将軍を答える

 これはさすがに解けます。様々な学校で頻出です。

問2:「曽根崎心中」「国性爺合戦」の作者を選ぶ

 これも常識ですね。ところで、近松門左衛門といえば、心中ものですが、「心中」という語句を知らない小学生が大半なのです。

「先生、心中って何?」

必ず聞かれます。

「愛し合う男女がこの世で結ばれることができずに、あの世で結ばれるために一緒に自殺することだ」

いちおうこう説明はしますが、当然理解はしてもらえません。

「ふうん、変なの」

これが通常の反応です。それはそうでしょうね。

「江戸時代は、身分制度が厳しく、結婚は親が決めるものだったからな」

いちおうこう補っておきます。

「心中」、嫌な単語ですが、現代でも、ここ20年で「親子心中」が原因で亡くなった子どもが600人以上いるそうですので、「知らない」では済まされないと思います。

また、「国性爺合戦」は、鄭成功をモデルとした作品ですね。日本人の母と中国人の父の間に平戸で生まれた鄭成功は、中国で明王朝の存続に力をつくしましたがかなわず、台湾をオランダの支配から奪って支配しました。実は江戸幕府にも、明朝復興の援助を要請したのですが断られました。このあたりの事実は日本でも知られていて、この「国性爺合戦」は大ヒットしたそうです。もちろん上演にあたっては、人物名や設定を改変しています。

 

問3:「歌舞伎が民衆の娯楽として発展したことは、内容や表現にどのような特徴をもたらしましたか。」

 なかなか面白い問題です。文章中にヒントがいろいろ書かれていますので、そんなに難しくはないと思います。「風刺」まで書ければ素晴らしいですが、それはさすがに難しいかな。

 

問4 「江戸時代の歌舞伎で、基本的に同時代に起きた事件やその人物をそのままのかたちで演じることをしなかったのはなぜですか」

 これも、幕府の規制を逃れる目的と、あくまでも娯楽を追求したことの両方が考えられますね。おそらくは、エンタメ目的の方向の解答が求められていると思います。

 

問5 歌舞伎の興行場所(芝居小屋)が幕府により移転させられた理由を、資料の地図を参考に応える問題です。

 もともとの芝居小屋は、日本橋や銀座あたりの江戸城近くでした。天保の改革で水野忠邦が「ぜいたく禁止」のために芝居小屋を取り潰そうとしたところ、江戸町奉行遠山景元の進言により、江戸城から離れた遠い浅草に移転させることで決着をみたのです。江戸中心での庶民の暴動を避け、火災を避ける目的もありました。浅草寺の裏手、北西あたりが「浅草・奥山」として、遊興の一大中心地として発展することになりました。

ところで、遠山景元といえば、いわゆる「遠山の金さん」として芝居・ドラマの主人公になった人物ですね。若いころの放蕩生活から、世情に通じていたそうです。入れ墨があったという説もあります。町奉行として、水野忠邦や鳥居 耀蔵と対立しました。鳥居 耀蔵は、「蛮社の獄」で渡辺崋山・高野長英らを弾圧した人物です。

 

問7 歌舞伎の改良運動がすすめられたころ、政府が抱えていた外交上の問題とはどういったものですか。

 文章中に明治の「欧化政策」のヒントがあります。

 

問8 「新派の登場と関係の深い政治運動は何ですか」

 さすがにノーヒントでは無理ですね。「・・・明治時代中頃から盛んになった政治運動の思想を人々に広めるために行われました」と文章にあります。

もちろん「自由民権運動」です。新派劇の創始者川上音二郎は、自由民権運動をすすめたため180回!も投獄されたとか。そこで、オッペケペー節という歌に乗せて政治批判をしたのだそうです。

 

権利幸福嫌ひな人に 自由湯をば飲ましたい

オッペケペ オッペケペ

オッペケペッポーペッポッポー

固い裃角取れて マンテルヅボンに人力車

いきな束髪ボンネット 貴女や紳士のいでたちで

外部の飾りはよいけれど 政治の思想が欠亡だ

天地の眞理がわからない 心に自由の種を蒔け

オッペケペ オッペケペ

オッペケペッポーペッポッポー

 

ううむ。なんともおもしろいですね。

そういえば、江戸東京博物館に行ったとき、館内で、演出としてこれをやっていました。3月のリニューアルオープンが待ち遠しい博物館です。

 

問9 「娯楽の多様化は、歌舞伎など伝統演劇の継承にどのような問題を生じさせていますか。」

 戦後の娯楽の多様化が、歌舞伎のような伝統芸能の存続に危機となっていることを考える問題です。難しくはありませんが、これが「社会科」かというと疑問ではあります。

 

問10 「インターネット配信や動画サイトの利用は、歌舞伎など伝統演劇の普及と継承にどのような影響を与えているか、利点と課題の両面から説明しなさい。」

 定番の問題ですね。利点はもちろん「多くの人の目に触れる」ことであり、課題は、知的財産権のことでしょう。

 

狭いテーマで出題するのは武蔵らしい問題でした。テーマや記述の方向性が「出題者の趣味」の匂いがするのも武蔵らしいといえるでしょう。もっとも武蔵の社会の問題も昔にくらべればだいぶ「普通」になりましたので、今回の問題くらいなら、武蔵を志望する受験生ならクリアしなくてはいけませんね。