
つい先日行われた渋幕の問題を見てみましょう。
分析というより「雑感」なのはご容赦いただきたい。
入試問題の題材選び
国語の入試問題には、「誰の何を使うか」に、出題者のセンスが最大限に発揮されます。この題材選びが全てといってもいいくらいです。だから、国語教師は、毎日のように図書館と書店を巡回し、「次に使う題材」を探索し続けるのです。
少なくとも私の知る塾の世界はそうですね。おそらく中学校の国語の先生も同じだと思います。
しかし、題材として使う文章は、何でもよいわけではありません。いくつかの暗黙のルールというか、縛りのようなものが存在します。とくに物語文には注意が必要なのです。
(1)最近の作品
別に古典的名著から出題してはいけないことは全くないのですが、そうした「古典」は過去に使われ過ぎて手垢が付いているという問題があります。また「解釈」も確定しており、かえって出題に縛りが生じて扱いづらいのです。さらに、時代背景が古すぎて子どもたちの「共感」を呼びにくいという問題もあります。
かといって、中途半端に新しい(ここ10年以内)作品も使いづらいですね。過去問演習を徹底してきている受験生たちが、「あ、この文章知ってる!」「この問題解いたことがあるよ」となっては、入試としては不公平になるからです。
そこで、例えば2026年の入試問題だと、2025年に出版された本がよく使われます。
(2)小説の主人公の年齢
これも、別に何歳でもかまわないのです。過去にも、中年男性や老年の女性が主人公の作品などいくらでも出題されてきています。
しかし、あくまでも受験生が12歳であることを踏まえると、小学生か中学生、せいぜい高校生くらいまでが主人公の作品が選ばれる傾向にあります。
物語文の「読解力」を見るのですから、やはりそれくらいの年代の登場人物たちの心理を考えさせるほうが問題としては適切になるからです。
(3)ファンタジーは避ける
例えば「銀河鉄道の夜」「星の王子様」といった作品を題材とした入試問題を想像してみてください。多様な解釈が存在する作品のため、入試問題にはならないですね。したがって、大人向けのファンタジーは使えません。かといって子ども向けのファンタジーでは易し過ぎて使えません。
ただし、ファンタジー的な要素が含まれる作品は使われたことがあります。団地住まいの男の子が屋上でキリンを飼う話や、沖縄の海岸でウミガメの卵を食べて生きていた子が海に入ってウミガメになってしまう話など、過去に見かけました。どちらも難しい問題でした。「ファンタジー」の定義は難しいですが、「超自然的・空想的な世界を舞台とし、読者を非日常の世界に誘うことを目的とした小説」とでもしてみましょうか。例えば阿部公房の「壁」や、カフカの「変身」は、どちらも非現実世界の物語ですが、これをファンタジーとは呼びません。そう考えると、やはり入試問題にファンタジーは使えません。
(4)過激描写はNG
男女のドロドロとした憎愛や、悲惨すぎる境遇、あるいは凄惨な事象を扱った文章は使えません。小学生への出題ですから。たとえば武田泰淳「ひかりごけ」、大岡昇平「野火」、遠藤周作「海と毒薬」、いずれも高校生までには必読の作品ですが、もちろん入試には使えません。
(5)文学作品から選ぶ
純文学と娯楽小説を分ける境界線は曖昧ですが、書かれた目的が異なりますので、文学作品から選ぶのがセオリーです。したがって、推理小説・SF小説・探偵小説・冒険小説等は選ばないのが普通です。
こうして考えてみると、なかなか題材選びは大変ですね。だからどの学校も同じ作家・同じ作品を題材としがちなのでしょう。
さらに、論説文の題材にもセオリーがあります。
論説文の多くは専門家によって書かれています。この専門家の方々は、文章があまりお上手ではない方もいらっしゃいます。さらに専門用語を羅列されても困ります。
そこで、小学生でも読みやすく専門的な内容を書ける方、となると限られてきますので、こちらも同じ著者の文章が多用される傾向にあるのです。例えばゴリラが出てくると山極 寿一氏ですね。
今年の渋幕の題材
今回の渋幕は、論説文が1問、物語文が1問でした。
論説文は、難波優輝氏の「物語化批判の哲学<わたしの人生>を遊びなおすために」からの出題です。
最近哲学系の文章を出す学校が増えている気がしますが、さてこの文章はどうでしょうか。
筆者の難波優輝氏については、ご本人のHPのプロフィールを引用します。
1994年生まれ。美学者、会社員。京都精華大学非常勤講師。立命館大学衣笠総合研究機構客員研究員、慶應義塾大学 サイエンスフィクション研究開発・実装センター 訪問研究員。修士(文学、神戸大学)。専門は分析美学とポピュラーカルチャーの哲学。
もっとも長期的なプロジェクトとして、「人間の美学」を研究しています。キャラクター文化、アイドル文化、配信者文化、歌手文化を総合的に扱えるような理論の制作を行いました。
とあります。
すいません、私の理解力では「分析美学とポピュラーカルチャーの哲学」というものがよくわかりませんでした。
新進気鋭の哲学者、というくくりでいいのでしょうか。
さて、今回の出題文章を見て見ると、とにかく「カタカナ語」が散りばめられているのに気づきます。
・リアル人生ゲーム・ハック・シミュレート・無理ゲー・ガチャ・MP・フラグ・ゲームメカニクス・RPG・アドベンチャーゲーム・キャラクター・イベント・アンロック・死亡フラグ・恋愛フラグ・メタファー・ステージ・クリア条件・ゲームオーバー・モンスター・レベルアップ・ボス・ゲームクリア・KPI・フォロワー・インフルエンサー・パラメーター化・ステータス画面・キャリアアップ・ミッションクリア・スキルアップ・チェスゲーム・フィルター・ノルマ・ライフハック・チート・スタートアップ・アルゴリズム攻略・公式ルール・バグ・バグ技・グリッチ・ゲームデザイン・プロセス・ゲームバランス・テストプレイ・アップデート・ゲーム的メタファー
もうおわかりでしょうか。ほとんどすべて「ゲーム用語」です。
一応文章末に13個の注釈が付いています。
そもそも、注釈が必要な文章は入試問題として不適です。
読解の妨げにしかならないからです。あくまでも小学生受験生の知識・教養範囲で理解できる語彙で書かれた文章を使うのが鉄則です。
もっとも論説文の場合はなかなかそうはいかないのですが、せいぜい注釈は5個以内というのが良識というものでしょう。
さらに、「ゲーム」についての知識が「常識」として書かれているのが不快です。
もちろんこの程度の語彙は、現代の子どもたちには「常識」なのでしょうけれど、こうした語彙を使いたがる子どもを私は好きではりません。
「それってチートじゃね?」などと生徒が口にすれば、即説教です。「親ガチャ」という言葉も嫌な言葉ですね。
アンチゲーム派の私としては、この文章を見た瞬間に、これを出題した先生が嫌いになりました。
まあ私が嫌いになろうがどうしようが、そんなことは些末なことですが。
問としては、「『人生はゲームである』というメタファーが何を際立たせ、何を隠すと筆者は考えているのか説明しなさい」というものでした。
筆者は、世間一般の多くの人が、「人生はゲームである」と考えていることを前提として論陣を張っています。
実にくだらない。
すいません、本当に私はゲームが嫌いですし、ゲームにはまっている人たちが嫌いなのです。これは、日々子どもたちに指導している立場の人なら共感してくれると思います。ゲームに費やす時間と労力を読書に振り向ければ、どれだけ人生が豊かになるだろうか、と思わずにはいられません。
物語文は、北村薫氏の「夜の蝉」からの出題です。氏は推理小説作家であり、この作品も【第44回日本推理作家協会賞】受賞作です。
別に推理小説から出題してはいけないわけではありません。
過去にも、「晴れた日は図書館へ行こう」(緑川聖司)、僕の神様」「神の悪手」(芦沢央)、「ペンギンは空を見上げる」(八重野統摩)、「あずかりやさん」(大山淳子)などが出題されていました。
ただし共通点としては、ミステリー仕立ての青春小説である点です。
今回の「「夜の蝉」は、いちおう女子大生が主人公ですが、青春小説ではありません。女子大生と噺家が日常のちょっとした謎を解いていく連作短編です。
ただ、出題された文章だけからは、大学生の妹(主人公)と5歳上の姉の人間関係がよくわからないのです。過去に何かあったのだと思うのですが、ものすごく不自然なのです。思わせぶりな「いかにも」な描写がくどいのですね。巧みな描写とみなすこともできますが。
これは明らかに、連作短編の最後の作品、しかもその一部を取り上げたことによる「わかりづらさ」です。
あえてこの作品を出題した理由は何なのでしょう。
他に、いくらでも「良質」かつ「適切」な文章は見つかったはずですが。