
今回は国語力の重要性について語ります。
そもそも「国語力」って?
「国語力」、当たり前すぎて定義しづらいですね。
たとえば日本語を使ったコミュニケーション力と考えると、それは小学生でほぼ完成しています。しかし小学生が「国語力」が完成したとは誰も思いません。高校を卒業すれば「国語力」が完成しているはずですが、大学の専門書が読めない学生の話も耳にします。
文部科学省によるとこうなっています。
(1)考える力,感じる力,想像する力,表す力から成る,言語を中心とした情報を処理・操作する領域
(2)考える力や,表す力などを支え,その基盤となる「国語の知識」や「教養・価値観・感性等」の領域
これらが、「これからの時代に求められる国語力」なのだそうです。ただし、これは国語力一般の「全体像」ではないのだとか。
詳しくは、文部科学省のHPをご覧ください。
詳しくは、文部科学省のHPをご覧ください。
皆がよく知っている「国語力」、しかも曖昧な力を再定義することは愚かですが、あえてこう考えてみたいと思います。
(1)日本語を操る力
(2)知識
(3)感性
この3つが混然一体となった力が「国語力」なのだと思います。
国語力は全ての基本
生徒によくいます。何を言っているのかさっぱりわからない子が。
「先生、質問していい?」
「何だ?」
「あの、ええっと、私のね、学校の先生が、お母さんも、それでね、殺されたじゃない? だけど、違うんですか?」
「学校の先生が殺されたのか?」
「違うよ!」
「それじゃあお母さんが」
「違うって!」
「誰が殺されたんだ?」
「だから、道路で。それでどうして違うのかなって」
「・・・・・。もしかして、安倍首相が演説中に殺された事件で、容疑者が無期懲役の判決が出たけれど、高速道路のあおり運転の加害者が4人も死傷したのに懲役18年となったのはなぜかってことか?」
「そう、それ!」
こんなかんじの生徒、たくさんいます。頭の中が整理されていないのに加えて、思い浮かんだ単語をすぐに口にするため、何がいいたいのかさっぱりわからないのです。教師にも鬼の推理力が要求されますね。
このレベルだと、国語はもちろんのこと、他の教科も点がとれていません。それはそうですね、おそらく問題文が読めていないのです。
問題文が読めないということ
子どもたちが「問題文を読めない」のには3段階あります。
(1)日本語が読解できない
国語の文章を除いて、問題文には、、難しい単語も言い回しも使われていません。ところがそれが理解できない。何を聞かれているのか、何を求められているのかがわからない生徒、実はけっこういます。
これは由々しき事態です。基本的な言語能力から鍛えなくてはなりません。
(2)語彙が乏しい
たとえば、「はかなげなまなざし」という表現があったとして、「はかなげ」「まなざし」この2単語の意味がわからないとつらいですね。
(3)推察力が低い
「はかない」=むなしい。あっけない
「まなざし」=目つき。
「はかなげなまなざし」=むなしい目つき? あっけない目つき?
ただ単語の意味が辞書的にわかったとしても、理解はできません。
「儚い」も、ただ単純に、
・束の間であっけない
・むなしく消えていく様子
・頼りにならない
・見通しがはっきりしない
といった「ネガティブ」な意味以外にも、
「満開の桜は儚いからこそ美しい」
「人の命は儚く尊いものだ」
といったように、「儚さ」に美を認める感性があります。
たとえば、「ハナコは儚げなまなざしでタロウを見上げた」とあっても、不治の病にあるハナコが看病する恋人のタロウを見た状況なのか、それとも一夜限りの恋を描いた状況なのか、それによって解釈は異なるでしょう。
国語力が軽視されるわけ
国語力が全ての基本であることに異論がある方はいないと思います。
それなのに、みなさん国語力を軽視するのです。
「うちの子は国語が苦手だから」
「本を読まないからしかたないよね」
「これからは英語でしょ」
「本の読み聞かせは無駄だったわ」
「とりあえず漢字だけはやって、読解は捨てた」
「日本人なんだから何とでもなるでしょ」
「私も学生時代国語なんて勉強しなくても点はとれたよ」
「私も学生時代国語は苦手だったから。遺伝なのね」
「国語なんか勉強する教科ではない。それより数学」
これ全部、言い訳にしか聞こえません。
日本に住んでいて、日本語でコミュニケーションを日々行っているからといって、国語力は自然に向上しません。
大人になってもいますよね。何を言っているのかわからない人って。
意識して計画的に向上させるべき力、それが国語力なのです。