
前回の記事の続きです。
前回同様、「新興校」を、1966年以降設立の学校と定義します。
また、創立年については、
・校名が変更された
・男子校/女子校が共学化した
この場合も、この年度を「創立年度」と考えます。校名は学校の大切なアイデンティティであり、それを変えたということは、「新たな学校」としてスタートすることを意味すると思います。共学化についても同様です。
- ◆順天堂大学系属理数インター中学校(2024)
- ◆北⾥⼤学附属順天中学校・⾼等学校(2026)
- ◆青稜中学校(1995)
- ◆多摩大学附属聖ヶ丘中学校(1992)
- ◆多摩大学目黒中学校(1996)
- ◆中央大学附属中学校(2010)
- ◆東京都市大学等々力中学校(2010)
- ◆東京電機大学中学校(1999)
- ◆東京農業大学第一高等学校中等部(2005)
- ◆東洋大学京北中学高等学校(2015)
- ◆ドルトン東京学園中等部・高等部
◆順天堂大学系属理数インター中学校(2024)
1928「中野高等女学校」創立、2007「宝仙学園中学校 共学部理数インター」として共学化、2024年順天堂大学系属校となる。
この学校の経緯は少々複雑ですね。
女学校をはじめとして、幼稚園・保育園・小学校・高校・中学校・短期大学・4年制大学などが次々と展開されています。現在は、高校に「宝仙学園高等学校女子部」があり、そして共学校として「学校法人宝仙学園順天堂大学系属理数インター中学校・高等学校」があります。
◆北⾥⼤学附属順天中学校・⾼等学校(2026)
1834「順天堂塾」、1871「順天求合社」、1899「順天求合社中学校」、1900「順天中学校」、1948「順天高等学校・中学校」、1990「順天高等学校」共学化、1995「順天中学校」併設。非常に紛らわしいのですが、「順天堂大学」とは無関係です。そして今年、北里大学の附属校になりました。
◆青稜中学校(1995)
1938「青蘭商業女学校」創立、1947「青蘭学院中学校・高等学校、1995「青稜中学校・青稜高等学校」となり中学校が共学化。
◆多摩大学附属聖ヶ丘中学校(1992)
1937「学校法人田村学園・目黒商業女学校」創立、1988「学校法人田村学園・聖ヶ丘高等学校」開校、1989「多摩大学附属聖ヶ丘高等学校」に改称、1992「多摩大学附属聖ヶ丘中学校」開校。
「学校法人田村学園」と聞いて、気づかれた方はなかなか事情通ですね。
田村学園は多摩大学、多摩大学目黒中学・高等学校、多摩大学附属聖ヶ丘中学・高等学校、目黒・大森双葉・三宿さくらの3幼稚園から成る学校法人です。
田村学園は、田村國雄氏によって創立された目黒商業女学校をスタートとしました。田村國雄氏は、1962年に学校法人渋谷教育学園の理事長に就任しています。渋谷幕張・渋谷渋谷の学園長は、田村國雄氏の二男の田村哲夫氏です。

現在は、哲夫氏の長男田村聡明氏が渋谷幕張の校長、甥の田村嘉浩氏が多摩大目黒の校長、長女の高際(旧姓田村)伊都子氏が渋谷渋谷の校長となっています。
多摩大学聖ヶ丘の法人田村学園の現理事長は、田村哲夫氏の甥の田村嘉浩氏となっています。
このあたりの経緯については、以下の記事に詳しく書いています。
◆多摩大学目黒中学校(1996)
1996に共学化。現校長&理事長は、田村嘉浩氏です。
◆中央大学附属中学校(2010)
1909「目白中学校」創立、1935「杉並中学校」、1948「杉並高等学校・杉並中学校」、1952「中央大学杉並高等学校」、1963「中央大学附属高等学校」、2010「中央大学附属中学校」開校。
◆東京都市大学等々力中学校(2010)
1939東横商業女学校、1947「等々力中学校」、1955武蔵工業大学と合併、2009「東京都市大学等々力中学校・高等学校」、2016完全共学化。
旧校名「東横学園」でわかるように、創立者の五島 慶太氏は東急グループの事実上の創立者でもあります。
◆東京電機大学中学校(1999)
1907「電機学校」創立、1939「東京電機工業学校」、1949「東京電機大学」、1956「東京電機大学高等学校」、1996「東京電機大学中学校・高等学校」、1999共学化。
この学校は共学校ですが、男子が女子の倍ほどの人数構成です。
募集要項を見る限り、男女別の募集定員ではありません。
入試結果を見ると、全ての回の受験者数が、男子は女子の2倍~5倍となっていました。例えば2/2の4科では、女子が受験者19名で合格したのが14名、男子は受験者109名で合格者24名です。この回の合格最低点は男子が234点で女子が192点と40点以上も開きがあります。
おそらくは、女子を増やしたくてもそもそも受験者が少ないので、男子よりもハードルをかなり下げているということなのでしょう。学校の事情はわかりますが、これは、女子よりも点の高い男子が落とされることを意味しますので、不公平感はつのります。
そもそも「東京電機大学」が、男子が84%を占める大学です。
いくら「理系人気」「リケジョ」などといっても、まだまだ時代の変革は遠いのでしょう。
◆東京農業大学第一高等学校中等部(2005)
1891「育英黌農業科」が榎本武揚により創立、1911「東京農業大学」、1950「東京農業大学附属第一高等学校開校」、1956女子部併設(男女別学)、1964男子部、女子部を共学として新発足、2005中等部開校。
大学実績も順調ですし、最近よく保護者から志望校の一つとして名前を聞く学校です。
◆東洋大学京北中学高等学校(2015)
1887「哲学館」設立、1899「京北尋常中学校」開校、1908「京北実業学校」、1948中学校は高等学校・新制中学校に、実業学校は商業高等学校となる、1988東洋大学と提携、2002京北商業高校を、京北学園白山高等学校に校名変更、2011学校法人東洋大学と合併して併設校となる、2015東洋大学京北中学高等学校と校名を変更
◆ドルトン東京学園中等部・高等部
1889年「東京商業学校」が創立、1973年「東京学園高等学校」に改称、2019年「ドルトン東京学園中等部・高等部」開校。
もともとは、実業家や学者たちが「高きに過ぎず、低さに失しない中等程度の商業教育を施し、社会の要請に応じる人材を養成する」という趣旨で作られた私立商業学校が母体です。志が高いのか低いのかよくわからない理念ですが、こういう理念があってもよいと思います。しかし生徒募集には苦戦したようですね。結局「学校法人河合塾」の傘下となり、2019年に「ドルトン東京学園」として生まれ変わりました。
学校法人は新規設立のハードルが非常に高いため、このように既存の学校法人の法人格を利用した開校は普通にみられます。
「学校法人河合塾」は、代々河合一族が理事長をつとめ、現在は創業者の曾孫河合 英樹氏が理事長を務めています。河合 英樹氏は、「ドルトン東京学園」の理事長も兼任しています。
この学校を知るためには、「ドルトンプラン」について理解しなくてはならないのですが、私の理解力では、何度資料を読んでも説明を聞いても、正直なところよくわかりません。そこで、学校HPから引用します。
ドルトンプランは、今からおよそ100 年前に、米国の教育家ヘレン・パーカストが、当時多くの学校で行われていた詰め込み型の教育に対する問題意識から提唱した、学習者中心の教育メソッドです。
「自由」と「協働」の2つの原理に基づく「ハウス」「アサインメント」「ラボラトリー」を軸とし、一人ひとりの知的な興味や旺盛な探究心を育て、個人の能力を最大限に引き出すことを大きな特徴としています。
個人的な見解としては、私は教育に「目新しさ」は不要だと思っています。どの国・地域にも、社会・文化を背景として長年培われて進化してきた「教育」があり、それが間違っているとは思えないからです。欧米で「話題」であったり「うまく行っている」教育をそのまま日本に移入しても意味はないと思います。このドルトンプランが、どのように日本に適合し進化していくのか、最低でも30年は経たないと評価はできないでしょう。
もっとも、最初から「日本」を視野に入れていないのなら話は別ですね。最近日本に次々と開校している、「Harrow International School Appi」や「Rugby School Japan」のような学校です。
ところで、こうして新興校のHPで沿革をチェックしていて気付いたことがあります。
「沿革」には、年表形式で、創立・校名変更・移転などの歴史がつづられているのですが、一部の学校の「沿革」には、校長・理事長の変遷がその中に詳細に書かれているのですね。私はそこに違和感を感じました。
そもそもHPですから、外部の人間、おそらくはその学校の受験を検討している人への情報提供が目的のはずです。また、私のように単に学校情報に興味がある人間もいますが。その私とて、「X山Y蔵が第6代理事長に就任、Z川P子が第8代校長に就任」などという情報を延々見せられても困ります。「誰?」という反応になってしまいますね。
△△年、〇〇◇◇初代校長に就任。
△△年、設立者〇〇◇◇、財団法人理事長に就任。校長兼務。
△△年、〇〇◇◇作詞による校歌制定。
△△年、〇〇◇◇校長職を辞し、理事長職に専念。〇〇××第2代校長に就任。
△△年、創立者〇〇◇◇永眠、〇〇◆◆理事長就任。〇〇▽▽校主となる。
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△△年、〇〇XX理事長、学院長に就任。〇〇◎◎校長代行、第11代校長に就任。
これは実際のある学校のHPですが、こんなかんじで延々詳細に書かれています。ちなみに〇〇のところには全て同じ苗字が入ります。
ここからわかることは、この〇〇一族がこの学校の校長・理事・理事長・学院長に代々就任していることですね。
また、この「沿革」がどちらの方を向いて編纂されているのかも何となく見えてきます。