
「最近勢いのある学校特集」
「今勢いのあるのはこの学校だ!」
こんなニュアンスの雑誌記事やネットニュースを見かけることがあります。
今回は、「勢いのある学校」について考察してみたいと思います。
※特定の学校を持ち上げる意図も貶める意図もありません。私の個人的な意見(偏見?)にすぎませんのでご容赦ください。
はじめに
最初に、私の立ち位置を弁明します。
私は、「志望校に合格したい」生徒を支援する仕事をしています。100人の生徒がいれば、100通りの志望校があります。その学校を揶揄する気持ちは毛頭ありません。どんな学校であれ、「その学校に憧れ」「努力し」「合格し」「満足して通っている」生徒がいるのですから。
「兄で懲りたので、弟には絶対にA中学には進学させません!」
そう聞くと、どうして「懲りた」のか具体的なお話は聞きますが、だからといって、A中学を志望する別の生徒に「A中学は止めたほうがいいですよ」とは言いません。
「B中学は最高!」という話を聞いても、どういう点が最高なのか具体的なお話は聞きますが、だからといって他の受験生に「B中学にしましょう!」と推奨することもありません。
また、学校は変化します。昔は「名前さえ書ければ受かる」とまで言われた学校が今や難関校であったり、またその逆もありますね。
したがって、今回記事にするのは、あくまでも私の「言いたい放題」の主観です。
新興校とは
「新興校」の定義はとくに定まってはいませんが、「創立から60年以内」と勝手に定義します。
その根拠は、私が唱えている「30年一周説」に基づきます。そんなに大仰な説ではなく、単に卒業生が自分の子供を母校に進学させるまでに30年くらい、そういう意味です。学校の真価は実際に6年間過ごした卒業生のみが知ります。その卒業生が自分の子供を通わせたくない学校は評価できません。60年もたてば2周しますので、「おじいちゃんの母校」「おばあちゃんの通った学校」に孫が通います。それくらいになれば評価も定まると思います。
2026-60=1966
手元にあった「学校案内」から、ランダムに1966年以降創立の学校をひろってみました。
私は学校名はその学校の重要なアイデンティティだと思っています。その長年慣れ親しまれた学校名を捨てるわけですから、そこにはものすごい勇気というか、変革への意気込みがあるのでしょう。したがって、学校名を変えた学校は、その時点が「創立」とみなしたいとおもいます。
また、学校名は変わらないとしても、男子校/女子校→共学化についても、やはりその時点が創立と同等だと思っています。そもそも「男子校/女子校」としてスタートしたということは、そういう「創立理念」があったはずですので、それを「捨てた」とみなすべきでしょう。
たとえば、「麻布学園」は、東洋英和女学校の姉妹校の東洋英和学校(男子校)が、江原素六によって分離独立したのが創立の経緯です。その歴史を考えると、将来麻布が共学化・校名変更するとは思えません。もしかして東洋英和と併合して共学化するというのなら「元鞘に収まる」ようで面白いですが、そんなことを言うと両校の卒業生から叱られますね。
ちなみに、東洋英和の旧校舎(1933建築)は、名建築科ヴォーリズ氏の手になるものでしたが、校舎の細部の造作に、麻布学園の校舎(1932年建築、古橋柳太郎設計)と似ているところがあったのが面白いですね。東洋英和の校舎は、1984年に「一粒社ヴォーリズ建築事務所」によってオリジナルのデザインを踏襲して建て替えられ、旧校舎は1993に解体されてしまいましたが、麻布学園の校舎はまだ現役です。
◆都市大付属(2009)
この学校は、ご存じのように1956年創立の武蔵工業大学付属中学がリニューアルしました。この学校の場合は、中高が校名変更に踏み切ったわけではなく、武蔵工業大学が東横学園女子短期大学と統合し「東京都市大学」に校名変更したのが理由ですから仕方がないのかもしれません。
◆早稲田大学高等学院中学部(2010)
この学校を「新興校」扱いするのは若干無理があるような気もします。「早稲田大学附属早稲田高等学院」が開校したのは1949年です。しかし、従来高校からしか募集していなかった学校が中学受験に参入したのは16年前からです。
◆大妻多摩(1994)
大妻は1908年創立と歴史の古い学校ですが、大妻多摩は、高校が1988、中学が1994開校という学校です。
◆大妻中野(1995)
1941年創立の前身の学校が大妻の傘下に入ったのが1972年、中学校の開設は1995年です。
◆共立女子第二(1984)
高校は1970年、中学校は1984年に開校しました。
◆品川女子学院(1991)
前身の学校は1925年開校ですが、現校名になったのは1991年です。
◆田園調布学園(2004)
1926年に「調布女学校」、1947年に「調布中学・高校」でしたが、2004年に「田園調布学園」になりました。「調布」と「田園調布」ではずいぶんイメージが違いますね。学校の住所は「世田谷区東玉川」ですし、環八沿いで「田園調布感?」はない立地です。田園調布にうるさい人からは、「あそこは田園調布じゃない!」といわれそうですが、野暮なことを言うのはよしましょう。最寄り駅は「田園調布駅」徒歩8分ですから。
◆東京純心女子(1986)
戦前創立の学校ですが、中学が開校したのは1986年です。
◆日大豊山女子(1986)
高校が1966年、中学が1986年開校です。
◆郁文館(2010)
1889年創立の男子校が2010に共学化しました。
◆穎明館(1987)
1985年に高校が、1987年に中学が開校しました。
◆開智日本橋学園(2015)
1905年に創立の「日本橋女学校」が、1948年に「日本橋女学館高校」に、そして2015年には開智学園の傘下となり「開智日本橋学園中学校」になり共学化しました。
◆かえつ有明(2006)
1903に創立の私立女子商業学校が1952に「嘉悦女子中高」に、そして2006には江東区東雲に移転して校名変更&共学化しました。
◆工学院大学附属(2002)
1888に「工手学校」が築地に創立、1928に「工学院」に校名変更、1996年に付属中学開校、2002に共学化しました。
◆國學院久我山(1991)
1944に「岩崎学園久我山中学」として開校し、1952に國學院大學と合併、1985年に中学校が開校しました。1991年に「女子部」を開校しましたが、この学校は「共学」ではなく「男女別学」です。以前は「かえつ有明」も共学ながら授業は別学というスタイルでしたが、今は完全共学です。この、「共学校だが男女は分ける」というスタイル、昔は他にもありました。桐蔭もそうでしたし、青山学院も「男子高等部」「女子高等部」に分かれていましたね。しかし今ではすっかり見かけなくなりました。
◆サレジアン国際学園(2022)
1947年創立の「星美学園小・中」、1948創立の「高校」が、2022に校名変更&共学化しました。
◆サレジアン国際学園世田谷(2022)
1960年目黒星美学園中学開校、2023年校名変更&共学化です。
サレジアンの両校は、どちらも学園長が大橋 清貫氏です。大橋氏は、広尾学園&広尾学園小石川の元理事長、三田国際学園の学園長として采配をふるい、これで4校(5校)目の「立て直し」です。順心女子や戸板女子をリニューアルしたその手腕は見事なものでしたが、正直いって今回のサレジアンのリニューアルにも名前が出てきたのには少々驚きました。星美学園・目黒星美とも、カトリック修道会のミッションスクールであり、少人数ながら面倒見の良い教育に定評があったからです。「大橋流」の改革で今後この学校がどうなっていくのか、また30年待たないとわからないのでしょう。
◆品川翔英(2020)
1932年に「京南家政女学校」として創立され、1957に「小野学園女子中高」になりましたが、2020に校名変更&共学化しました。
◆芝浦工業大学附属(1982)
1922年創立の学校ですが、中学校開校は1982年です。2017に豊洲に移転しました。
◆芝国際(2023)
1903「東京高等女学校」、1948「東京女子中学・高校」、1991「東京女子学園中学・高校」と変遷してきましたが、2023に共学化&校名変更しました。
◆渋谷教育学園渋谷(1996)
1924「中央女学校」、1934「渋谷商業実践女学校」、1943「渋谷女子商業学校」、1946「渋谷高等女学校」、1960「渋谷女子中学校」、1963「渋谷女子高等学校」、1996「渋谷教育学園渋谷」と目まぐるしく校名が変わっています。
この学校の変遷は非常にわかりづらいのです。こうした学校沿革を調べる際に頼りになる公式HPに、「渋谷女子高校」時代のものが全く出ていないので調べるのに苦労します。「学校法人渋谷学園」を、「学校法人田村学園」が併合し、「学校法人渋谷教育学園」として渋谷渋谷を運営、という理解でいいのかな?
理事長は田村哲夫氏です。1999には共学中高一貫校化し、人気校となりました。
◆淑徳中学校(1991)
1892創立の「淑徳女学校」が1991に校名変更&共学化しました。
◆淑徳巣鴨(1996)
1919「マハヤナ学園」設立、1925「巣鴨家政女学校」、1931「巣鴨女子商業学校」、1948「巣鴨女子高等学校」、1955「巣鴨女子商業高等学校」、1973「巣鴨女子高等学校」、1985「淑徳巣鴨高等学校」、1992共学化、1996中学校開校。「マハヤナ」とは大乗仏教の「大乗」のサンスクリット語だそうです。
◆順天中学(1995)
創立190年!の伝統とHPにありました。1834(天保5年)に大阪に開かれた「順天堂塾」がルーツだそうです。「天保」ときくと、1841年に老中水野忠邦がはじめた「天保の改革」を想起するのは職業病ですね。ただ、ここを「創立年」とすると、1592年設立の曹洞宗の学寮をルーツとする「世田谷学園」は430年以上の歴史がありますし、京都の洛南高等学校附属中学校にいたっては、828年に空海によって開かれた「綜芸種智院」がルーツです。
1990に順天高等学校が共学校となり、中学校は1995年に開かれました。
簡単にリストアップするだけのつもりでしたが、沿革を調べ始めると止まらなくなります。すでに4000文字となってしまったので、この記事はこのへんでいったんまとめましょう。
校名変更
調べていて気付いたのですが、「新興校」の多くが、目まぐるしく校名を変更しています。もちろん伝統校とされる学校でも、創立当初はそうした傾向はあります。例えば、日本最古の女子校の一つである「女子学院」(もう一校はフェリス)も、1870年設立のA六番女学校と、1874年設立のB六番女学校、1876年設立の櫻井女学校が統合する形で、1890年に「女子学院」として発足しています。そこから現在まで「女子学院」です。
私は、「校名」は大切だと思っています。よほどのことがない限り、安易に変更すべきではありません。学校は、現在通っている生徒、将来通ってくれる生徒に加えて、卒業した多くの生徒たちのものだと思うのです。
「中高はどちらの学校だったのですか?」
「A学園です」
「A学園?」
「今のB学園ですよ」
「ああ」
こんな会話、いやですね。
共学校化
私が指摘するまでもなく、「新興校」と定義される学校のほとんどが「共学校」です。男子校・女子校として創立された学校が、共学化にともない校名変更したケースばかりです。
男女平等・ジェンダーフリーの流れを考えれば当然の変化というべきかもしれませんが、こうも「共学化」の流れが大きくなると、天邪鬼な私としては疑問を持ってしまいます。
◆創立時の理念は捨ててはいないのか?
◆本当に、教育の観点からの共学化だったのか?
とくに、前身の女子校(男子校)時代に定員割れしていた、あるいは生徒募集に苦戦していた学校の「共学化」については、そこに経済面の事由だけがあるとしか思えないのです。
もっとも共学化の経緯はどうあれ、受験生にとって選択肢が広がることは歓迎です。伝統にあぐらをかいて旧弊な教育しか実践できない学校の中に、新しい風を吹き込んでいるのなら大歓迎ですね。