中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

【中学受験】なぜ否定的な意見が目立つのか

先日、こんな声を見かけました。

「小学校では、キレやすい受験生たちに配慮して、『今日帰りに〇〇公園集合な!」といった遊びの約束を大声でしないように気をつかっている」

小学生の男子の声を装っていますが、そんな子どもがいるとは思えません。おそらく中学入試に批判的な大人の「作文」なのでしょう。

私が気になったのはもちろん、「キレやすい受験生」の部分です。中学受験生たちが「キレやすい」、つまり情緒不安定なことが当たり前のような前提とされているところです。

これだけ中学受験が「普通」になってきても、まだ世の中には批判的な意見がたくさんあるのですね。

否定的な意見あれこれ

 

「子どもの意志を無視して無理やり受験勉強をさせている」

ああ、これは良くみかける意見ですね。

この意見の前提としては、「無理やり」勉強させることに対する批判があるのでしょう。

つまり、勉強は「無理やり」させるものではない、「自主的」にするものだという考えです。

そもそもここが根本的に間違っています。

子どもは、「無理やり」やらせなければ勉強はしません。

もし、生まれてから一度も親が勉強させないでいたらどうなるでしょう。さすがに実験はできませんので、わが子の顔を思い浮かべて思考実験してみてください。

ああ、もちろん小学校にも行かせません。だって「無理やり」授業を受けさせられますので。子どもが行きたいときだけ行かせることにしましょう。

中学校はどうしましょうか。小学校以上に「無理やり」授業が進みます。そこで、これも好きにさせましょう。幸い、今は不登校の子も増えたため、学校も理解があります。高校入試でも出願書類に「欠席日数」を書かせる欄はなくなったそうですから。

こうして、まったく勉強をしなくても、中学校の温情によりたとえ1日も出席しなくても卒業はできるでしょう。

ただし進学できる高校はありません。

定員割れの高校でも断られると思います。

通信制高校なら可能ですが、卒業できるかどうかは別問題です。だって「無理に」勉強させられたくないのですから。

 

こうして考えると、小学生時代での「強制される」ことで身に着く学習習慣がいかに大事かが明らかになりますね。

 

このあたりの事情についてはこの記事をごらんください。恐ろしい現実が浮き彫りになっています。

peter-lws.net

 

「小学生のうちは外で友達と遊ぶほうが大切だ」

さすがにこの声は絶滅したと思ったのですが、今でもそうおっしゃる方はいるのです。勉強より外遊び優先主義ですね。

「俺の子どものころは毎日暗くなるまで外で遊んでいた」

「学校から帰るとランドセルを玄関に放りだして公園で遊んでいたものだ」

「今の子たちは外で遊ばないからひ弱になった」

「子どもどうしの遊びの中から人間関係を学んだ」

「そのころ一緒に遊んだ友達とは今でも仲が良い」

そうした「楽しかった思い出」は素敵ですが、それを現代の子どもに当てはめるのには無理があります。

まず、子どもたちだけでの外遊びには、危険が一杯です。変質者による犯罪や交通事故など、子どもたちを取り巻く環境は安全ではないのです。薄暗い公園に「子どもだけ」で遊んでいる姿を見かけると、「親は何を考えている?」と不思議です。

「ご近所の目」もなくなりました。「もう遅いからおうちへ帰りなさい」などと声掛けしてくれる近所のおじさん・おばさんもいません。地域全体で子育てをする文化は都会には残っていません。

そして、一緒に遊んでくれる友達も少なくなりました。みな塾や習い事があるからです。たとえ自分の子は「自由放任で外遊び第一主義」の教育方針だったとしても、相手は違います。アポをとって親の目の届く範囲で遊ぶのが今の常識です。

また、遊び方も大きく変化しています。ゲームが主流を占めるようになっています。遊び、とくに男子の遊びとしては、誰かの家に集まってゲームをするか、公園に集まってゲームをするのです。

「ドラえもん」の連載開始は1969年だそうです。高度経済成長期真っ只中が舞台です。そんな「外遊び」時代はもう終わっています。

 

「中学受験生は周囲の受験しない子たちを馬鹿にして見下すようになる」

これもあきれた意見です。

周囲の子を見下し馬鹿にする子は、中学受験とは無関係に存在します。

それはその子の性格であり、親の躾によるものなのです。

 

また、子どもは、つまらぬことで優劣を競いたがります。スポーツであったりゲームであったり遊びであったり勉強であったり。そうやって人間関係を学んでいくのです。

 

私としては、「受験勉強」に多くの努力をはらっている子が、そうしないで遊んでいる子を、勉強に費やした努力量の面において「見下す」気持ちを持つのも当然だと思っています。ただ、それを表に出さない良識を持つべきなのです。

 

たとえば、3か月後の運動会の徒競走の選手に選ばれたとします。同じく選手に選ばれた友達と、毎朝早起きをして公園で走り込みトレーニングをする約束をしました。しかし、友達は「朝起きられない」といってトレーニングにはほとんど来ませんでしたが、自分だけは毎朝頑張って走り続けました。徒競走の結果は努力がそのまま反映する結果となりました。「どうして僕はビリなんだ」という友達に対して、「だって君は練習に来なかったじゃないか」というのはまずいのでしょうか。馬鹿にして見下す行為とみなされるのでしょうか。

あるいは、努力した自分がビリで、努力しなかった友達がトップだったとしましょう。友達がこう言いました。「何も努力しなかった俺が1位であんなに努力したお前がビリか」

「見下す」というのはこういうことなのです。

 

「教育虐待だ」

最近よく聞きますね。中学受験をやらせることは「教育虐待」なのだそうです。

実は、私にはどこからが「教育虐待」になるのかがよくわかりません。

・毎朝早起きして計算練習

・毎日塾で夜9時過ぎまで勉強

・日曜は朝から晩まで12時間以上勉強

・正月もゴールデンウィークも夏休みも勉強漬け

これが「教育虐待」ということなのかな?

 

私の大人になってから出会ったピアノの師匠は、音大を主席で卒業された腕前の持ち主です。今でも高みを目指して研鑽を続ける素晴らしい方なのですが、この方は、幼少期から家事は一切させてもらえなかったそうです。指を怪我するリスクがあるからです。家族旅行では、旅行先に必ずピアノ練習室を親が確保しました。客船の旅に出かけたときも、ラウンジのピアノを昼間貸し切って練習したそうです。

これも「教育虐待」なのでしょうか?

 

どうも世間で言われる「教育虐待」は、「教育」に名を借りた「虐待」、「教育」のふりをした「虐待」であるように思います。

「教育」と「虐待」を切り離して考えるべきではないのかと思っています。

「虐待」レベルまで子どもを追い詰める親は、たとえ中学受験をしなくても、別の形で「虐待」に走るのではないでしょうか。

 

「中学受験で子どもの心が壊れる」

ネットを見ていたら、「中学受験の専門家」を名乗る方がこのようなことを書いていました。

「中学受験は子どもの精神に大きな影響を与えます。いら立ちから物に当たったり突然泣き出したりということもめずらしくありません。」

うわ、そんなことあるのか?

少なくとも、私はこんな生徒を一人も知りません。一応これでも30年以上にわたり4桁の生徒を指導してきたのですが。

 

いらだって物にあたることなど、大人でもよくあります。ゴミ箱を蹴っ飛ばしたり、ドアをわざと乱暴に閉めたり。これは私の精神が「壊れて」いるのでしょうか?

突然泣き出す子、これはもしかして叱られて泣いたり、諭されて涙を浮かべていることなのかな? そんな子は大勢いますが、何もないのに授業中にいきなり泣き出す子なんか見たことありません。

 

どうも世間には、「中学受験は子どもの心に悪影響を与える」という思い込みが根強いようですね。

 

これを検証するためには、公立中学に進学した子と、私立中学に進学した子の「精神状態」を測定して統計的に検証する必要がありますが、それは不可能です。

 

開成や桜蔭や筑駒や麻布や女子学院や渋谷幕張や慶應中等部に進学した子たちは、中学受験生たちのなかでも「最も」勉強した子たちであることは間違いないでしょうけれど、彼らの心が壊れてしまったとは私には思えません。

 

根拠のない「何となくの風説」は無視するべきだと思います。

 

どんな人が何の目的で批判するのか

 

中学受験を批判する人、否定的な意見を言う人については、いったいどういう人達が何を目的として批判するのかを考える必要があります。

 

◆子どもの受験に失敗した人

 すぐに思いつくのはこの人たちですが、もし事実だとしたら哀し過ぎますね。そうでないことを願っています。中学受験は「合格してナンボ」の世界ではありますが、その努力・経験は決して無駄にはなりません。

 

◆中学受験できなかった人、させられなかった人

 これも寂しい人たちですね。考えられる理由は、経済的な理由と学力的な理由です。始めから中学受験が眼中になかった人たちは、そもそもこんな風説を流布するはずがありません。

学力的な理由については努力で解消すべきですし、解消は可能です。経済的な理由は切実ですが、それはそういうものですから受け入れるしかないと思います。

それでも、公立中高一貫校もありますし、高校の無償化も始まっています。学校によっては奨学金制度を設けているところもあります。例えば開成にはこのような奨学金があります。

「開成会 道灌山奨学金」は、開成中学校・高等学校で学びたいにもかかわらず、経済的理由でそれを断念している志ある若者を迎えるため、開成学園の同窓会である「開成会」の寄付により、入学金、授業料等を免除する奨学金です。

① 2026 年度開成中学校・高等学校生徒募集への応募資格のある者
② 年間所得 218 万円以下、または給与収入のみの場合収入額 400 万円以下の世帯の子弟
③ 入学試験に合格した際は、必ず開成中学校・高等学校に入学する意思のある者

 

そもそも、中学受験は首都圏や近畿圏などごく限られた地域のものです、首都圏でも、公立中学から高校受験するのがメジャーです。マイノリティの中学受験を批判する必要はありません。

 

◆中学受験を批判すると得する人

 おそらくこれが大多数なのだと思います。

・高校受験塾

・中学受験塾

 高校受験塾が「中学受験はやめよう」キャンペーンを展開するのはわかりやすいですが、中学受験塾が得をするのはどういうことでしょうか。

 おそらくは、「大手の〇〇塾のようなやり方では子どもたちはみな壊れてしまいます。うちは子どもの心のケアを考えながら寄り添った指導をします」とでも宣伝したいのでしょう。

 

・アクセス数を稼ぎたい人

 世間的に同調されやすい意見や、逆に批判を集めそうな意見はアクセス数を稼げます。ネット系の批判記事はこれが目的でしょう。

 

・売上を伸ばしたい雑誌

アクセス数稼ぎと同様の理由です。子育て系の記事は読まれるのです。だからいろんな雑誌で特集が組まれます。雑誌を売るためには、キャッチ―なコピーが必要です。

「中学受験で親も子どももハッピー」というタイトルよりも、

「子どもの心が危ない! 中学受験に潜む5つの罠」だとか、

「中学受験で情緒不安定にならない、子どもへの接し方」の方がいかにも読まれそうですよね。

 

◆他人をやっかむ人

 他人をうらやむ・やっかむ、そうした気持ちは自然な心理です。さもしい心の働きではありますが、誰にでもあるでしょう。例えば、目の前を超高級車が通り過ぎたとします。運転していたのは若い青年でした。「きっと親が金出して買ってくれたに違いない」と、つい私も思ってしまいます。もしかして本人の努力と才能で手に入れたお金で買った車なのかもしれないのに。そもそも「大きなお世話」です。

 大学入試、とくに国公立・医学部・有名私学、そうした大学入試においては、中高一貫私立が圧倒的に有利です。それを見るにつけ、中学入試でそうした私立に進学させる家庭に対するやっかみの気持ちが芽生えるのは無理からぬところでしょう。

 そうした心の動きを、普通なら口にはしません。仮に口にしたとしても、親しい家族くらいでしょうか。もし友人にでも話してしまえば、自分が「そういうことを考えているさもしい人」に見られてしまいますので。

しかし、匿名で情報発信ができるネット環境がそれを変えてしまいました。いくらでも毒を吐ける環境が人の考えや行動を変えてしまったのですね。

 

子どもの未来こそ最重要

 

当たり前すぎるほど当たり前のことです。

周りから何を言われようと、世間でどう思われていようと、気にすることはおろかです。

子供の未来への責任は親にしかありません。その親が「中学受験」を選んだのならば、それが唯一の正義です。

 

もちろん、「高校受験」を選んだのならば、それが正義となります。