中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

【中学受験】国語の入試問題の題材について

国語の入試問題作成は、題材選びから始まります。

そして最も苦労するのがこの題材選びです。

題材選びのセオリー

 

とくにセオリーなどありません。各中高の国語の先生が好きに選べばよいのです。国語教師たるもの、常に書店と図書館を巡回しており、職員室のデスクには本が山積みになっているのです。これは学校も塾も同じでしょう。

 

とはいうものの、なぜか横並びの傾向というものはあります。

 

◆最近出版されたばかりの本

 これは、おそらく過去問演習を積み重ねてきた受験生への嫌がらせ?なのでしょう。受験生が解いたことのある問題と被ってしまうと有利になり過ぎることを警戒しているのだと思います。

 そこで、なるべく新しい本、できれば入試前年に出版されたばかりの本がよく使われます。まだ書籍化していない、文芸誌に掲載されたばかりの小説が使われる場合もありますね。

 ただ、みな考えることは一緒であり、似た選択となることも多いため、複数の学校で同じ題材から出題されることはよくあります。

 男子校と女子校のように離れていればよいのですが、例えば同じ女子校、それも受験生の層がかぶるような学校で同じ本から出題されるというのはどうなんでしょう。

「あ、この物語、昨日受験した〇〇中と同じだ!」となってしまいます。

 

◆青春小説

 主人公は小学生・中学生、せいぜい高校生。何かの問題を抱えています。そしてちょっとした事件(出来事)が起きます。それをきっかけに、主人公が問題を乗り越えていくのです。

 

 もう、青春小説の定番中の定番の筋書きですが、こうしたストーリが好んで選ばれます。本来なら、ここに「恋愛」要素も入ってくるのが青春小説の定番なのですが、なぜか入試で選ばれる題材・部分には恋愛要素は入ってくることはほとんどありませんね。さすがに小学生には理解できないからでしょう。

 

 さて、塾屋の中には、来年度の国語の出題本を当てることに燃えている国語教師というのが必ずいますね。

「〇〇中の国語の入試問題的中!」とでもいいたいのでしょう。

テキストやテストの素材として使ったものが、たまたまどこかの学校で出題される、そんなことは普通だと思います。

要は、占いの的中と一緒で、言った者勝ちの世界です。

 

私自身は、こうした「予想」が大嫌いです。どんな初見の文章でも読解できる力をつけるのが王道ですから。そもそも、こうした「青春小説」が好きではないのです。

生徒にもなるべくこうした薄っぺらい青春小説は読ませたくありません。

毎年大量に中学入試の題在となっている青春小説のいったいどれくらいが、50年後、100年後に生き残っているのかわかりません。

 

小学生が読むべき本は、古典に限ると思っています。少なくとも、彼らの心に「何か」を残す、大人になってからでもその読書体験を振り返ることができる本でなければならないと思うのです。ほとんどの青春小説にその重みはありません。

 

今年の入試問題検証

 

 あえて出題校は書きませんが、とある都内女子校でこの本が題材として扱われました。2024年に出版された本が2025年の入試に使われるという王道パターンです。

 

「八秒で飛べ」坪田侑也

 

作者の坪田侑也氏は、慶應普通部の労作展のために中3夏休みに書いた小説「探偵はぼっちじゃない」でデビューし、この本が2作目です。

現在慶應大医学部に在学中とのことですね。

優秀かつ多才な方です。

 

さて、入試問題はこうなっていました。

まず、冒頭に「それまでのあらすじ」が書かれています。

数校合同でのバレーボール部練習合宿に参加していた明鹿高校の「僕」は、一か月半ほど前に怪我をして以来どうすれば元のようなプレーにもどれるかとなやんでいた。「僕」と同じ高校のエース「遊晴」は、稲村東高校の主力選手「和泉」と同じ中学出身であった。そんな中、強豪稲村東高校との練習試合で惨敗した「遊晴」に対し、「和泉」は「がっかりさせないでほしい」と冷たく言い放つ。明鹿高校と稲村東高校との試合は翌日にも予定されている。その夜、合宿所の洗面所に一人でいた「僕」は、偶然「和泉」と鉢合わせし、「和泉」が「僕」に話しかけてきた。

 

私は、入試問題の本文前に、このような「あらすじ」がついているのが嫌いです。

これでは読解にならないからです。

本来ならもっと長い小説の一部を切り取るのは入試の宿命です。

それでも、その限られた情報の中から、登場人物や背景を探っていくのが、入試における「読解」です。

本文を読む前に、このような「あらすじ」を見せられるのは、興醒めというか何というか、受験生を馬鹿にしているような気がして嫌なのです。

あるいは、こうした「あらすじ」を添付しなければ読解できない文章だとすれば、それは入試には不適な文章であるということです。

 

この後、「僕」と「和泉」の会話が続きます。「和泉」という高校生は、高校生離れしているというか、機械的なしゃべり方をする人物です。

「明鹿の何セットかライトで出ていた選手か」

「洗面所に来るときは持っておくべきだ」

「使った面を内側にして畳んでなかったら、俺は別の洗面所を探していた」

「明鹿は春高予選で見てる」

「それに、バレーしている人間の顔は基本的に全員覚える」

こんな調子です。

会話は、「僕」が強豪校有名選手の「和泉」から、スランプ脱出のヒントをもらうという内容でした。

 

私はこの文章を読んだとき、あるアニメを想起しました。10年以上前に少年ジャンプで連載され、やがてアニメ化された「ハイキュー!!」というバレーボールのアニメです。実はこのマンガもアニメもよく知らないのですが、こういう「流行り」の漫画・アニメについては、生徒から情報が入ってくるため、見てはいなくとも何となく知ってはいるのです。

これはどう見ても漫画のノベライゼーションに違いない。

そう確信して確認しましたが、そうではありませんでした。

そう思えるほど、ありきたりの舞台設定・登場人物・会話だったのです。

 

残念ながら、原著を読んでいないので、これ以上この作品についてコメントする立場にはありません。

この切り取られた文章の部分を読む限り、本を購入してまで読む気は起きませんでした。

 

小中学生くらいの、それもバレーボールをやっている子どもが読むと、また印象も変わってくるのかもしれません。私のような感性の摩耗した大人には刺さらなかっただけなのでしょう。

 

出題については、記号選択・記述問題とも、きわめてオーソドックスな出題であり、難易度も高くはありませんでした。

 

女子小学生が受験する女子校の入試問題に、あえて高校生男子スポーツの世界観を投入した意図はわかりませんが、このように感情移入が困難な文章は、かえって客観的に読解しやすいものです。もしかしてそれを狙ったのかもしれません。

 

青春小説の古典

 

 たまたま目についた入試問題をとりあげましたが、どうしても「新しい」作品を使うと、文章に深みの無い作品になりがちだという問題がありますね。

登場人物の所作一つ、セリフ一つにもこだわっている作品が読みたいものです。

 

青春小説にも古典とよばれるものはあります。

思い付いた例をいくつか出してみます。

 

◆『少年の日の思い出』(ヘルマン・ヘッセ)

 これは、中学1年の国語の教科書で読む人が多いと思います。

 主人公に感情移入できるかできないか。そうした試金石のような小説ですね。短編ですので、小学生でもじゅうぶん読めると思います。

 

◆『車輪の下』(ヘルマン・ヘッセ)

 「少年の日の思い出」でヘッセに触れたのなら、ぜひこちらも読んでほしい。おそらく主人公に感情移入は全くできないでしょう。それとも一部の天才・秀才君には刺さるのか? 大人にまるまでに必ず読む必要がある本というものがあるのです。そんなに長くないですし、題材とストーリーの割には意外と読みやすい小説ですね。

この光文社の古典新訳文庫シリーズは読みやすくてとてもお勧めなのですが、「車輪の下」が個人的に気になります。何でこのタイトル? 原題ドイツ語は「Unterm Rad」ですから、文字通り「車輪の下」でいいと思うのですが。

 

◆『初恋』(イワン・ツルゲーネフ)

 さすがに小学生には薦めません。中学生でも、今時の子はわかるのかな? 内容が内容ですので、中3か高1くらいが良いかもしれません。ロシア文学の静かで暗くて未来が見通せないような雰囲気をぜひ味わってほしいものです。この新訳はお薦めです。

 

 

◆『ライ麦畑でつかまえて』(J・D・サリンジャー)

 こういう本こそ、中学生くらいで読んでおかないと、たぶん一生読まないと思います。内容は、正直言って、おもしろいとは思えません。むしろ読みづらい文体です。

しかし、教養の一環として必読です。

昔ながらの翻訳でもよいと思いますが、ここは村上春樹訳をお勧めしておきます。

村上春樹訳でも読めなければ、たぶん一生読めない本になってしまうでしょう。

実をいうと、私は中学生のころに読んではいますが、私には全く「刺さり」ませんでした。

 

◆『悲しみよこんにちは』(フランソワーズ・サガン)

 名著です。私も中学生の頃に読みました。ただ、感動したかといえば・・・・。これは、女性が読むべき本なのでしょう。サガン19歳のときの処女作だそうです。

 

◆ 『若きウェルテルの悩み』ゲーテ

 こちらも読んでおかないと大人になって「恥ずかしい」レベルの古典です。ただ、本好きの卒業生の子曰く、「すごく読みづらかった」そうです。そうだったかな?

 

◆『三四郎』夏目漱石

 これも、読んでおかないと「恥ずかしい」レベルです。「夏目漱石で何が好き?」と聞かれて、「吾輩は猫であるしか読んだことない」ではあまりにも格好悪いですから。

 

◆『赤毛のアン』L.M.モンゴメリ

 これも、読んでおく必要がある本ですね。男子はまだしも、女子なら必ず。

 この本については、子ども用に易しく書き改めた「あらすじ本」が多数あるので要注意です。そんなものを読んで「読んだつもり」になるのは一番まずいのです。

これは、文庫でも600ページくらいになる長さです。

探していると、「モンゴメリが巻頭に掲げた英米詩に始まる、日本初の全文訳。従来訳で省略された文章、改変された衣食住の品々と草花、各章の章題を、モンゴメリの原文に忠実に翻訳。」という本を見つけました。これが良いと思います。本当は、英語の原著をお勧めしたいところですが、とりあえず日本語版を読んでおきましょう。

「赤毛のアン」は続編があり、全8冊となります。さすがにここまで読むのは相当な「アン好き」だけでしょう。とりあえず1冊だけ読んでおけばよいと思います。

 

◆『女生徒』太宰治

 最後に、これをとりあげましょう。

 短編集の一篇です。太宰といえば「走れメロス」しか知らないのは恥ずかしいですね。太宰治は、中学生くらいに一度はまる作家です。「ヴィヨンの妻」「人間失格」「斜陽」「津軽」あたりが定番ですし、「新ハムレット」「御伽草子」もおもしろくて蔭のお勧めですが、まずは「女生徒」を読んでみましょう。それにしても女性心理にここまで精通しているとは。もてる道理です。

いちおう表紙が今風(ただし内容とは乖離)なので角川文庫版をあげておきます。

 

 それにしても、「青春小説」というくくりだけでも、いくらでも古典的名著がありますね。

 この続きはいずれまた記事にするとしましょう。