
今さらの話題で恐縮です。
何気なくいろいろな学校のHPを見ていたら、藤村女子中高が共学化することが載せられていたのです。
別にこの学校に何の思い入れもこだわりもないですし、実のところ教え子で進学した生徒は皆無でしたのでノーマークでした。
しかし、あらためて女子校の共学化について考えさせられてしまったのです。
共学化の理由
一般に、共学化の理由は、たった一つです。
生き残るためです。
具体的には、生徒を集めるためです。
その他に理由はありません。
女子校のままでは、定員割れが止まらない。あるいは、現在は安泰だとしても将来が見通せない。激しい少子化の続く中、動けるうちに手を打たないと大変なことになる。
学校の経営陣が熟考を重ね、討論を重ね、そうして出した「起死回生」の一手、それが「共学化」です。
それは、他の学校法人の傘下に入ることや、大学の系属に入ることも含まれます。
その苦渋の決断に対して、私ごときに意見を述べる資格などありません。
それでも、つい考えてしまうのです。
それは、本当に生徒のためなのだろうか?
藤村女子の場合
私は、この学校の説明会にお邪魔したことも、教え子が受験したことすらありませんので、学校についての情報は、間接情報だけであることはお断りしておきます。
【沿革】
1932 財団法人井之頭学園女学部設置
藤村トヨ、井之頭学園長・女学部長に就任。
並びに初代理事長兼校長に就任
1933 学校法人井之頭学園創立。
井之頭学園高等女学校設置
1948 学制改革により藤村女子高等学校となり、新制中学校を併設
公式HPだけではよくわかりませんね。
そこで、「東京女子体育大学」の沿革も見てみましょう。
1908 藤村トヨ、学校設立者に加わり第四代校長となる
1950 学制改革に伴い、東京女子体育短期大学(修業年限2年)となる、藤村トヨ初代学長就任
1951 学校法人藤村学園設立、藤村トヨ、初代理事長就任
どうやら、この藤村トヨ氏は、日本の女子体育教育の草分けの方のようですね。現東京女子体育大学に就職後校長となり、体育大学の附属女子校として井之頭学園を設立し、そこが藤村女子をつくった、そういう流れだと私は理解しました。
関係者の方、間違っていたらすいません。
現在は、「学校法人藤村学園 東京女子体育大学」
「学校法人井之頭学園 藤村女子中学高等学校」
となっていて実に紛らわしいですね。
両校のHPを穴のあくほど見たのですが、両校の関係をうかがわせるものは、「藤村トヨ」の名前のみでした。
もしかして、現在両校は、法人も異なりますし、もはや「無関係」なのかもしれません。少なくとも関係性をアピールするつもりはなさそうです。
しかし、藤村女子といえば、新体操・器械体操および柔道の有力選手を輩出していることはつとに有名です。
HPのトップに理念がこう書かれていました。
どこにいくかではない。
どう生きるかだ。
今、12歳の子どもたちが社会に出る頃、6割は今はない仕事に就くといわれます。
予測不可能な時代を生きる彼らにとって、画一的に偏差値上位校を目指すことは、生きる力を高めることにはなりません。
どこの大学に行くか、どこの会社に入るかではなくどう生きるかをみつけるために。
その子が心身ともにいちばん輝く角度から光をあてて6年間かけて大切に育み、支え続ける。
それが<熱量ある人間>を育む私たちの教育です。
おお、偏差値至上主義を真向否定しましたね。
大学進学や就職も否定しましたね。
私の価値観とは相いれませんが、こういう考えも私は嫌いではありません。何も世の中の子どもたち全てが偏差値というものさしにしばられる必要はないと思うのです。
とくにこの学校は「スポーツ」という大きな軸を持っています。そのために創立された学校です。
これだけしっかりした軸があるのなら、偏差値至上主義に反旗を翻すのもアリだと思います。
こういう学校は生き残っていけるのだろうと勝手に思っていたのですが、そうではなかったのでしょうか。
吉祥寺湧水中学校・高等学校
2027年から共学化し、新校名となります。
詳細は不明ですが、公式HPにはこうなっていました。
私の私見がノイズとならないよう、そのまま引用します。
学校法人井之頭学園 藤村女子中学・高等学校(東京都武蔵野市)は、2027年4月より、現「藤村女子中学・高等学校」の名称を「吉祥寺湧水(キチジョウジユウスイ)中学校・高等学校」へと改称いたします。
同時に、共学化および校舎リニューアルも実施し、次世代にふさわしい学びの場として生まれ変わります。新校名「吉祥寺湧水中学校・高等学校」について
この校名は、本学園が掲げるパーパス「多様な個性を輝かせ、熱量ある人間を育成する」という教育理念を象徴するとともに、創立の地・吉祥寺に根差した学校としての誇り、そしてこれからのAI時代をしなやかに生き抜く生徒たちの未来を見据えた願いが込められています。「湧水」に込められた意味
「湧水」とは、地中にしみ込んだ雨や雪解け水が自然に地表へ湧き出る、最も清らかな水のことです。
古来より“命の源”として神聖視され、京都・貴船神社などでは湧水自体がご神体とされています。また、学園名の由来である「井之頭」は、「水源となる清らかな水が湧く井戸のあたま」という意味を持ち、江戸時代には神田川の水源として、世界最大の都市“江戸”の暮らしを支えました。
「湧く」という言葉には、「アイデアが湧く」「勇気が湧く」「ワクワクする」など、人の心の中にある“想い”や“力”が自然にあふれ出すという意味があります。
新しい校名には、生徒や教職員、地域の皆さまが、この吉祥寺の地から自ら湧き出る力をもって、社会へ羽ばたくという願いが込められています。「豊かに生き抜く力」を育む
子どもたちは、これから先の世界をどう生きるかを模索しています。
その一方で、私たち大人もまた、これまで信じてきた「正解」が通用しづらくなった社会に直面し、未来に対して戸惑いを感じているのではないでしょうか。だからこそ、教育は変わらなければなりません。
新しい時代において必要なのは、知識の暗記ではなく、「自ら問い、考え、選び、行動する力」です。藤村女子中学・高等学校がこのタイミングで校名変更・共学化・新校舎整備を実施するのは、教育そのものを次の100年にふさわしく刷新するための挑戦です。
まず大人自身が変わることで、子どもたちと一緒に10年先、20年先の未来を豊かに生き抜く力を育むことができると、私たちは信じています。
私の読解力では、いったい何が言いたいのかよくわかりませんでした。
どうして共学化したのか?
どうして藤村女子のままではダメだったのか?
共学化することで、どういう教育を目指すのか?
従来の体育教育はどうなってしまうのか?
なぜ変わらなければならないのか?
今までの教育を否定するのか?
ティザーサイトを開くといきないこの文言が浮かび上がります。
「将来が不安なのは、大人のほうかもしれない」
ある意味正直ですね。
大人の事情
私が、女子校の共学化に批判的なのは、そこに大人の事情=お金の匂い が見え隠れしているからなのです。
生徒が集まらないから、共学化することで生徒を増やそう
その意図しか感じられません。
そこに後付けで、様々な「理念」で武装した、そういう学校ばかりだと思っています。
厳密にいえば、2種類に分けられるのかもしれません。
A:従来の経営陣そのままに共学化する場合
B:他からやってきた人たちによって共学化する場合
例えば、渋谷渋谷や広尾学園・三田国際等はBのパターンですね。
渋谷女子校・順心女子・戸板女子、こうした女子校が、他所からやってきた(招いた?)人たちによって共学化し別の学校へとなりました。
学校法人という殻は同じでも、中身は別物になったと私は理解しています。
この場合は、女子校が共学化したというより、新しい学校が作られたととらえたほうがよいのでしょう。
新しい教育を実践する場として、たまたま女子校の学校法人を利用した、そういうことなのかもしれません。新しく学校法人を設立するハードルは高いですからね。
その場合は、旧来の理念など継承する必要はありませんし、もともと「実現したい教育」がきちんと存在していたのかもしれません。
しかし、私はどうしても生徒目線でしか物事を考えられないのです。
そこに現在通っている生徒、卒業した生徒、そうした生徒たちの思いは、完全に無視されていますね。
それが嫌なのです。
さて、この「吉祥寺湧水中学校・高等学校」が、A/Bどちらのパターンなのか、そしてどのように生徒に向き合うつもりなのかはまだわかりません。
最近の時流に乗っただけではないことを願っています。