
「うちの子はケアレスミスが多くて。いつになったらなくなりますか?」
とても多いご相談です。
ケアレスミスは無くならない
冒頭から夢も希望もない結論ですいません。
しかし、子どものミスは、なくなりません。
例えば記号選択問題。「誤ったものを選ぶ」問題で、正解はウだったとしましょう。
「アを選んだ人」
そう聞くと、何本も手があがります。
「どうしてアが誤っていると考えた?」
こう私が聞いた瞬間、手をあげた全員が「あっ!」といって固まるのです。
「まさかとは思うが、正しいものを選んだのか?」
みなうなずくのです。
これが4年生ならわかります。
100歩譲って、5年生なら許しましょう。
しかし、入試本番まで数か月となった6年生がこんな状況なのですから。
私の説教が始まります。
「どうして問題文を読まなかったんだ?」
「・・・・・・」
「仮に問題を勘違いして正しい物を選ぼうとしたとしても、どうしてイを読まなかった?」
「・・・・・・」
「イを見れば、これも正しいとわかったはずだ。その時点で、正解が2つあることになる。変だと思わなかったのか?」
「・・・・・・」
もうわかりますね。
◆問題文を読まないで解いている
◆全ての選択肢をチェックしないで答えを書いている
問題をきちんと読まずに解き始めて、アの選択肢を読んだ瞬間、「あ、これこれ!」
そう思って解答欄にアと書くのですね。
こんな調子では、いつまでたっても、ケアレスミスは無くなりません。
こんな問題もあります。
「誤っているものを一つ選びア~オの記号で答えなさい。誤っているものが無い場合には〇を記入しなさい。」
これは、消去法を使えなくすることで難易度を上げる場合に使われる作問手段の一つですね。
「それではアを選んだ人?」
手が数本あがります。
「イを選んだ人」
やはり手が上がります。
こうして最後のオまで確認します。
「それでは〇と答えた人」
私がこういった瞬間、悲鳴があがるのです。
「〇だって?」
「問題をよく見なさい!」
「あ、ほんとだ!」
こんな調子では、いつまでたっても、ケアレスミスは無くなりません。
ケアレスミスの原因
いつまでたってもミスがなくならない原因は簡単です。
本人が、ミスを悪いこととは思っていないからです。
「ちょっと勘違いしただけだよ。僕、ちゃんとわかってたから」
こうやって、自分のミスを矮小化するのです。心の中で、ミスで間違えた問題を、「出来ていた(はずの)問題」に分類するのです。
反省なきところに改善はありません。
いつまでたっても同じミスを繰り返す道理です。
また、こういう場合もあります。
「先生。うちの子はまたケアレスミスで20点も落としたんですよ。それさえなければ、合格点をクリアできたんです」
子どものミスを嘆いているように聞こえますが、実は違います。
「ミスをしなければ合格点をクリアできた」
→「合格点をクリアできる学力はあった」
こう脳内変換されています。
やはりここでも、ミスの矮小化が行われています。
学力はあるのだから、ミスさえしなければ大丈夫なはず。
こう考えるからこそ、冒頭の質問になるのです。
「いつになったらケアレスミスはなくなるのでしょう?」
ミスをする子はミスをし続けます。
つまりこう考えなくてはならないのです。
「うちの子は、常にケアレスミスで〇〇点以上落とす子だ」
これを前提にしなくてはいけません。
できること
ミスはなくならないとしても、減らす努力はしなくてはなりません。
それは2つです。
(1)厳しく叱る
例えば、地図中から記号を選ぶ問題だったとします。瀬戸市のところにはA、四日市市のところにはB、豊田市のところにDと書いてあります。その隣の矢作川にウと書いてあります。
「地図中から自動車の生産がさかんな工業都市を選び、A~Fの記号で答えなさい。」
生徒の解答はこのようになっています。
タロウ:「A」
ワタル:「B」
ゲンタ:「ウ」
ノビタ「豊田市」
ハナコ:「 」(空欄)
もちろん全員×ですね。
では、どの答案が最もダメな答案かわかりますか?
「タロウでしょ。豊田市の位置も知らずに瀬戸市を選んでいるのだから。そもそも陶磁器と自動車工業を勘違いするなんて」
「ワタルでしょ。四日市では、県すら違うじゃないか」
「ゲンタは惜しかったね。せっかく豊田市の場所はわかっていたのに、隣にあった矢作川の記号を選んでしまったか」
「ノビタは惜しかった。せっかくわかっていたのに、都市名を答えてしまったか」
「ハナコはわからなかったのかな? 変な答を書くよりましかな」
もしこのように考えたとしたら、それは違います。
全員が×、つまり全員がこの問題はゼロ点です。
零点に、良い零点も悪い零点もありません。
ただの零点があるだけです。×がつき、得点がゼロとなる、ただそれだけです。
つまり全員等しく、「ダメ」だったのです。
ここでは、一人一人に厳しく注意をしなくてはなりません。
知識不足、知識の曖昧さ、問題文の読み落とし、記号の勘違い、そして答える努力を放棄したこと、すべて「厳重注意」案件です。
大人が甘やかすことは子どもにとってプラスにはなりません。
常に厳しく注意し続けなくてはならないのです。
(2)演習量を増やす
出題のバリエーションは限られています。たくさんの入試問題を解くことで、何度も同じミスを繰り返し、やがて間違いが減ることを期待するしかありません。
私が以前、ピアノの難曲を練習していたときのことです。
鍵盤上を両手が激しく動き回るような曲で、右手も左手も、何オクターブも離れた鍵盤に瞬時に飛ばさなくてはなりませんでした。当然、目で見て弾く位置を調節することなどできません。何度やっても間違った音になります。いったいどうやったら弾けるようになるのか、師匠に相談しました。
「ああ、それは無理なんです。目で位置の確認なんか、私でもできませんから」
「ではどうやったら?」
「ひたすら練習するのです。ミスタッチの連発はしかたがない。それでもひたすら弾き続けると、徐々に精度があがってきます。正しい位置に指がくる確率を上げていくのですね」
わかりにくい例で恐縮です。
子どもたちのケアレスミスはしかたがない。それでも大量の入試問題を解くことで、少しでもミスの確率を下げていく。
それしかないのです。