中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

【小学生・中学生】今から間に合う、3時間で仕上げる読書感想文 その2

夏休みも残りわずかとなりました。

このタイミングでこの記事にたどり着いたということは、本当にせっぱつまっているのですね。

そこで、3時間で何とかする読書感想文を伝授します。

 

幸福の王子

 

ご存じ、オスカーワイルドの童話です。

オスカーワイルド、中高生の頃に「ドリアン・グレイの肖像」「サロメ」くらいしか読んでいませんでしたが、そういえば小学生の頃に「幸福の王子」も読んでいましたね。

原題は、 The Happy Prince and Other Tales 、1888年に出版された短編集の一作品です。

ところでオスカーワイルド、なかなか波乱万丈の人生を送った人なのです。詳細は子どもにふさわしくないので紹介は割愛します。

 

調べていると、「幸福王子」のタイトルが一般的なようですね。

 

この作品は、青空文庫でも読むことができます。

結城宏さんと言う方が、新たに翻訳して、公開してくださっています。

もう感謝しかありません。

その翻訳のタイトルが「幸福王子」でしたので、ここは訳者に敬意を表してこのタイトルで紹介します。

「な」「の」微妙な違いですが、そこは私も気になります。

内容からすれば、「幸福の王子」のほうが良いと思います。

 

※ただし、読書感想文として学校の先生に提出するのなら、やはり「紙の本」を持っておく必要があると思います。

先生によっては、「デジタル系の本は読書ではない!」という古典的かつ硬直思考の方も多いからです。kindle本ですら否定されます。

まあ一冊書棚にあっても悪くない本なので、買うとよいと思います。

実は、この本は、やたらに翻訳の種類が多いのです。最新の翻訳は岩波文庫らしいのですが、岩波文庫は文字が小さくて読みにくいので私は好きではありません。

昔からの定番は、新潮文庫版でしょうか。

※子ども向きに易しく書き改めたものや、イラストがあるものはやめましょう。

イラスト・絵は、物語世界への没入を阻害するからです。

例えば、「不思議の国のアリス」は、最初からルイス・キャロル自身がイラストを描いていました。しかし本格的に出版するにあたり、プロのイラストレーターのジョン・テニエルが起用されました。私たちが「不思議の国のアリス」のイラストとして想起するのはテニエルの手になるものです。

このように、最初からイラスト前提で出版されたものならともかく、文章しか無かった物語に後から付け加えられたイラストは、ただのノイズです。

オスカーワイルドの原著に、作者公認のイラストがあったのかどうかまではわかりません。ウォルター・クレインの表紙画は見ましたが、原著にもあったのかどうか確認できませんでした。

しかし、この作品にはイラストは不要でしょう。

 

 

小学生向きの書き方

 

本作品のテーマは、ずばり「自己犠牲」です。

黄金の像だった幸福の王子像が、自分の宝石や黄金を貧しいものに分け与え、最後は溶かされてしまいます。

また、それを手伝ったツバメも結局死んでしまうのです。

 

それだけだとあまりにも救いが無いのですが、最後に神様に救われて天国に行く、とまあそんな内容でしたね。

 

◆幸福の王子は、黄金の立派な像で、町の人の誇りだった

◆王子は貧しい人々に心を痛めていた

◆南(エジプト)に行くはずだったツバメが、王子が貧しい人々を救うのを手伝ってくれた

◆王子は自らを犠牲にしてでも、人々を助けようとしたのだ

◆ツバメもまた、南に行かずに、自らを犠牲にして王子を手伝った

◆僕には、そんなことはできそうもない。何て立派な行為なのだろう

◆これからは、僕も王子のように、他人のために何かできるようになりたい

◆これからは、僕もツバメのように、誰かの助けになれるようにしたい

 

まあ、こんな流れが普通でしょうか。

いかにも「あざとい」ですが、大人から求められている感想はこれでしょう。

 

中学生向きの書き方

 中学生にもなれば、もう少し深い読み方をしなければなりません。

中学生の読書感想文として、あえてこの童話をとりあげましたので、幼稚な作文では呆れられてしまいますので。

 

◆王子の自己犠牲は、本当にこれで良かったのだろうか?

 なにせ王子の像は、町の人々を幸せにしていたのです。

「この世界の中にも、本当に幸福な人がいる、というのはうれしいことだ」 失望した男が、この素晴らしい像を見つめてつぶやきました。

「天使のようだね」と、 明るい赤のマントときれいな白い袖なしドレスを来た養育院の子供たちが聖堂から出てきて言いました。

Copyright (C) 2000 Hiroshi Yuki (結城 浩)

みずぼらしい姿になってごく1部の人だけを助けることで本当に良かったのか?

こう考えると、意見は2つに分かれそうですね。

・一部の人だけだったが、金・宝石を与えて現実に救ったのだから立派である

・一部の人だけしか救えない「援助」よりも、自らが丘の上に立ち続けることのほうがはるかに大勢の人の心に何かを与えることができたはずだ

 

◆ツバメの自己犠牲は、本当にこれで良かったのだろうか?

 結果として、ツバメは王子の宝石も黄金も人々に分け与える大切な役割を果たします。その挙句、寒さで死んでしまうのです。

 自己犠牲とは、自分の命を捨てるまでしてすることなのか?

この疑問がつきまといますね。

 

中学生ですから、これくらいの問題意識は必要でしょう。

さらに、無理解で愚か者として描かれている町の役人・政治家たちに触れてもよいですね。

 

私の感想

私がこの話を読んだのは、小学校低学年くらいだったはずです。おそらくは子供向けに易しく書き改めたものだったのでしょう。イラストがあったのも覚えていますので。

それ以来一度も読んでいないのに、内容は何となく覚えていました。それだけインパクトがあったのでしょう。

◆王子は人を助けるために結局最後は溶かされてしまったのが納得いかない。可哀そうだし、意味がわからないよ

◆ツバメだって、すぐに南国に行けば死ななくてすんだのに

◆でも、最後は天国で幸せになったから、ま、いいのかな?

 

何となくですが、子どものころはこんな印象を持っていました。

 

しかし、今回改めて読み直してみると、どうやら違う話だと思うのです。

でも、とうとう自分は死ぬのだとわかりました。 ツバメには、王子の肩までもう一度飛びあがるだけの力しか残っていませんでした。 「さようなら、愛する王子様」ツバメはささやくように言いました。 「あなたの手にキスをしてもいいですか」

「あなたがとうとうエジプトに行くのは、私もうれしいよ、小さなツバメさん」 と王子は言いました。 「あなたはここに長居しすぎた。 でも、キスはくちびるにしておくれ。 私もあなたを愛しているんだ」

「私はエジプトに行くのではありません」とツバメは言いました。 「死の家に行くんです。 『死』というのは『眠り』の兄弟、ですよね」

そしてツバメは幸福の王子のくちびるにキスをして、 死んで彼の足元に落ちていきました。

Copyright (C) 2000 Hiroshi Yuki (結城 浩)

ツバメは、自由人(鳥)でした。勝手に葦に恋をして、勝手に失恋して、そしてエジプトに行くつもりでした。

そんなツバメが、幸福の王子像に出会ってしまったことが、不幸だとしか思えません。

ツバメは、何度も何度も、「自分はエジプトに行くから」といって王子の頼みを断ろうとするのですが、その都度、王子は強引に自分の頼みをツバメに押し付けます。

そのことで、ついにツバメは凍死するのです。

自分ひとりが犠牲になるのを「自己犠牲」といいます。それもどうかと思いますが、ここで善良で単純なツバメの命まで巻き添えで犠牲にさせる王子ってどうなんでしょう?

私には「傲慢の罪」しか感じません。

しかも最後のこの王子のセリフ。

「あなたがエジプトに行くのは私も嬉しいよ」

「傲慢の罪」に加えて、「無知の罪」も付け加えましょう。

 

こんな読み方しかできないのって、もしかして私が汚れ切った大人になったっていうことなのかな?

 

そして最後の一節がこれです。

 

神さまが天使たちの一人に「町の中で最も貴いものを二つ持ってきなさい」とおっしゃいました。 その天使は、神さまのところに鉛の心臓と死んだ鳥を持ってきました。

神さまは「よく選んできた」とおっしゃいました。 「天国の庭園でこの小さな鳥は永遠に歌い、 黄金の都でこの幸福の王子は私を賛美するだろう」

Copyright (C) 2000 Hiroshi Yuki (結城 浩)

あれ?

私の記憶とどうも違います。

天国の庭園で、鳥に永遠に歌わせ、黄金の都で神自身を賛美させる?

 

それのどこが「幸せ」なんだ?

そもそもツバメは歌が得意だったっけ?

これって神が幸せなだけでは?

 

原文はこうです。

"for in my garden of Paradise this little bird shall sing for evermore, and in my city of gold the Happy Prince shall praise me." 

おそらく、私が幼少期に読んだのは、子供向けにわかりやすくしてあったのでしょう。「永遠に神を賛美し続ける」ではあまりにもわかりづらいので、「永遠に幸せでした」とかなんとか。

 

それにしても、神を賛美・賞賛し続けることが結末とは。キリスト教文化圏と儒教・仏教文化圏の違いを思い知りますね。