中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

長崎で見た光景

 何年か前に、長崎で見た光景が忘れられません。

 平和公園でのことでした。私は平和記念像の前に佇み、1945年の8月9日に思いをはせていたのです。

 すると、中年女性3人組の観光客がやってきました。彼女たちは、順番に、平和祈念像の前で、記念像と同じポーズで記念撮影を始めたのです。

 私だって、札幌の羊ヶ丘のクラーク像の前で同じポーズで写真を撮ったことはあります。しかし、この祈念像は意味が違うと思うのです。

 この像は、「神の愛と仏の慈悲を象徴し、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”」意味を込めて作られました。

 この中年女性たちが、そうした意味を全く理解していないことは明らかでした。

 

 見ていると、小学生の子どもを連れた親が、子どもに同じポーズをつけ写真を撮っています。それも何組も。

 

 

 公園内には、「平和の泉」が作られています。

そこには、こう刻まれているのです。

 

・・・・・・・・・
のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました

―あの日のある少女の手記から

 

この日、市内の川や池には、無数の死体が浮かびました。

原爆の高熱に体の内外を焼かれ、水を求めて死んでいった者が大勢いました。

泉は、鎮魂の思いを込めて作られているのです。

しかし、その泉には、投げ込まれた硬貨が見えるのです。

投げ込んだ人は、ローマのトレヴィの泉だとでも思ったのでしょうか。

 

私自身は戦争を直接知る世代ではありませんし、周囲に経験者もいません。それでも、戦争の記憶を風化させてはならないことくらいは理解しています。

 

人々が戦争の記憶を捨て、平和祈念像の前で「しぇーのポーズ」をとるようになれば、やがて来るべき未来がどんなものとなるのか、予想できるというものです。