
この時期の授業で、生徒に聞いてみることがあります。
「なぜ広島と長崎に原爆が投下されたのだろうか?」
すると、全員が同じ答を言うのです。
「戦争を早く終わらせるため」
今回は、そのあたりについて考えてみたいと思います。
冷戦と原爆
そもそも原爆開発の目的は、ドイツに対抗することにありました。
ドイツから亡命したユダヤ系科学者たちが、ドイツが核兵器の開発に着手していることを知っており、ドイツより先に核兵器の開発に成功する必要性をアメリカ大統領に訴えたのがきっかけです。
アインシュタインの名前で提案がされたのが1939年、マンハッタン計画が動きだしたのが1942年、そして世界初の核爆発「トリニティ実験」がニューメキシコ州の砂漠で行われたのが1945年7月16日という時系列です。
ところで、ドイツが降伏したのは1945年5月7日です。
すでにドイツが核開発をしていないことは1945年3月の段階で判明しており、当初核開発を提案・推進していた科学者には、日本に対する使用を控えるよう政府に働きかける者もいました。
ところで、1945年の2月には、米・英・ソの間で、ドイツ敗戦後の戦後処理を話し合う「ヤルタ会談」が行われていて、ソ連の対日参戦についても決定していました。
さらに1945年の7月のポツダム会談において、日本が中立と信じるソ連を仲立ちにした和平工作を行っている情報がアメリカ・イギリスにも共有されます。
こう考えてくると、原爆投下は必然だったのか? という疑問が浮かび上がります。
戦争早期終結のためにはやむを得ない犠牲だった、というアメリカの公式見解に賛同するのか、あるいは、せっかく開発した「新兵器」の使用を急いだアメリカの意図が優先したのか、さらにすでに水面下で始まっていた冷戦を背景とした米ソの主導権争いが理由なのか、実は議論となっているのです。
8/6 広島原爆投下
8/8 ソ連対日参戦
8/9 長崎原爆投下
この切迫したスケジュールが答を明示しているように思います。
誰の罪なのか?
広島の原爆慰霊碑の話をしましょう。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
1952年に慰霊碑ができたとき、来日したインドのパール判事がこう指摘したそうです。
「原爆を落としたのは日本人じゃないのに、表現が不明確だ」
パール判事といえば、極東国際軍事裁判で、唯一人被告の全員無罪を主張したことで知られています。これは、日本に罪が無いことを主張したのではなく、開戦時点では戦争が国際法上違法とはされておらず、東京裁判で問題となった「平和に対する罪」「人道に対する罪」は「事後法」として、罪刑法定主義の原則に反するという主張だったのです。
パール判事の主張のとおり、この碑文の主語は論争となりました。いったい「過ちは繰り返しませぬ」の主語は誰なのか、と。
もしその主語が「日本人は」であるのなら、納得いかない人も多いでしょう。
だって、原爆を落としたのは「日本人」ではないのですから。
実は、この論争については、すでに答が出ているのです。
この慰霊碑の文を起草したのは、広島大学の教授だった雑賀忠義氏です。英文学の教授だった雑賀氏は、碑文をこう英訳しました。
「For we shall not repeat the evil.」
そうです、主語は「私たち」だったのです。
雑賀氏は、「人類のなしえなかった仕事をしようと光明を見出す」ために碑文を考案したと記録にあるそうです。
つまり、私たち世界中の人間全員が、「過ちを繰り返さない」という決意を述べたのですね。
どう考えても、どう言い訳しても、広島・長崎への原爆投下は、人類最大の過ちであったことは間違いありません。
今日は、そのことをじっくりと考えるべき日だと思うのです。