
どうも世間では「語彙」の重要性が理解されていないのでは、そう思うことがあります。
何しろ、子どもたちの語彙が貧弱すぎるのです。
その理由は4つあります。
◆本を読まない
これは致命的です。
ここでいう「読書」とは、絵本や易しい子供向けの本を指しているのではありません。子どもの知らない言葉が使われている、背伸びした読書のことです。
「・・・■■は、メロスの叫びを■■■笑う■■、ますます激しく■■■■。浪は浪を呑み、■■、■■■立て、そうして時は、■■■と消えて行く。今はメロスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も■■あれ! ■■にも負けぬ愛と■の偉大な力を、いまこそ■■して見せる。・・・」
ごぞんじ「走れメロス」です。小学生にも読めるレベルの本ですが、こんな伏字だらけは嫌ですね。
「・・・濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、煽あおり立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。今はメロスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。・・・」
せっかくの太宰治の文章も、語彙力が無いと台無しです。
◆大人と会話しない
今子どもたちが接する大人は、両親と学校の先生、そして塾の先生くらいです。
両親は、小さい頃から子どもをよく知っていますので、親子の会話は省略が多く、また難しい語彙も使いません。幼児言葉で話しかける親もいますね。
また、学校や塾の先生も、子どもにわかりやすい語彙を駆使して話す癖がついています。いわゆる「ティーチャートーク」というものです。
したがって、子どもたちが大人と同様の語彙力をマスターすることには役立ちません。
つまり、子どもを子ども扱いしないで大人同様の話し方で接してくれる大人達が、子どもの周囲には皆無なのです。
これでは語彙力が付くはずもありません。
◆語彙力は自然に身に着くと誤解している
たしかに、昔はそうでした。背伸びしたレベルの本を読み、大人の会話に耳を澄まして理解しようとする。こうしたことの積み重ねで、語彙力は自然に構築されたのです。
しかし、今は違います。
意図的に構築しない限り、語彙力は増えないと理解すべきでしょう。
◆新聞をとらない
紙の新聞を定期購読する家庭がめっきり減りました。しかし、新聞は難しい語句の宝庫なのです。見出しの大文字を見て、「これ何て意味?」「ああ、それはな・・・」などという会話、もはや消滅しました。今にして思うと、とても大切なやり取りだったのですね。