中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

【中学受験】算数は特別な教科ではない

どうも、中学受験の世界では、「算数至上主義」とでもいうべき考えが蔓延りすぎているように感じるのです。

そのことが、受験勉強の妨げになっている、とすら思います。

受験は4科目

当たり前のことですが、中学受験は算数・国語・理科・社会の4科目で実施されます。

※この記事では、公立中高一貫校の適性検査問題、一部私立の変則入試(適性検査型・英語・作文等)をのぞきます。

 

配点比率は学校によって様々です。

算数と国語の配点、理科と社会の配点がそれぞれ同じなのが普通です。(ごくまれに算数だけ配点を高くしている変則的な入試もありますが、広尾学園医進サイエンスや世田谷学園理数コースのような特殊なコースだけです)

しかし、調べてみると、いくつかに分類できます。

算数(or国語)の配点を100としたときの、理科(or社会)の配点を並べてみます。

100

87.5

80

75

66.6666

60

50

ほとんどこのいずれかです。ざっと見た感じでは、100の学校は少なく、50と60が多く思えます。また、難関校ほど理社の比重が高いようにも思えます。

これは、成績が下の生徒ほど理科・社会を軽視している(or手が回らない)ためであり、成績上位の生徒ほど算数・国語では差がつかないからではないかと推測できます。

漠然としすぎているので、70校ほどの理社比重と偏差値をグラフにしてみました。

配点・偏差値

ほんとうはヒストグラムにしたほうが見やすいのですが、ちょっと面倒だったので、このグラフで雰囲気だけでもつかめればいいかな、と。

配点比重が50(つまり理社が算国の半分)の学校が低偏差値に多いかな? といったことしかわかりませんね。

いずれにしても、現在の中学入試は4科目入試、しかも総合力での戦いとなっているため、どれかの教科が突出して出来ても、あるいはできなくても、入試には通用しないというのが常識となっています。

「算数さえできれば合格できる!」というのは、昭和の価値観です。

 

算数教師のこだわり

 たとえば、「つるかめ算 解き方」などと検索してみてください。

それこそ無数の塾の教師・家庭教師といった「算数の専門家」の書いた記事がヒットします。だいたいが「面積図」を推奨していますが、なかには「面積図はダメだ!」という意見や、「線分図でまず解こう」、あるいは方程式を推奨している方も。まさに百家争鳴状態です。

 私に言わせれば、「解ければ何でもいいじゃないか」なのですが、どうもそれではいけないようなのです。各先生方が、自説の正しさを主張する姿勢には頭が下がります。

 これを見ていて、私は昔聞いたこんな話を思い出しました。

 ある塾が、テキストを作ったときの話です。

テキストに関し、塾は大きく2つに分けられます。

自前のテキストを作る塾と、既製品のテキストを利用する塾の2つです。

既製品のテキストというのは、四谷大塚の「予習シリーズ」、Z会系エデュケーショナルネットワークのテキスト、あるいは塾向け教材専業出版社のもの、などといった教材です。自前でテキストを作成できない塾が採用しています。表紙だけ塾の名前を入れるサービスもあります。

授業をする立場からすると、自前の教材のほうがいいにきまっているのですが、これが大変なのです。膨大なマンパワー・コストを要します。

そこで、中小塾には、基本の教材だけ予習シリーズなどを使い、あとは教師手作りプリントを加える、といったスタイルをとることろも多いのです。

 

さて、その塾は、それまでは完成度の低いテキストが一応あるにはあったのですが、それだけでは不十分、あるいは使い物にならない?ということで、授業担当教師が各自オリジナルプリントを作り、それで授業をしていました。塾黎明期にはよくあるスタイルですね。

しかし、このままでは成長はみこめません。そこで、4科目の教師の総力を結集して、決定版のテキスト体系をつくりあげることになったのです。

理科・社会のテキスト作成はうまくいきました。歴史はこの先生のプリントを元にして、天秤の問題はあの先生の作ったプリントをベースにして、と言った具合に、皆が協力してなかなか良いテキストができあがりました。国語は、著作権の問題がありますので、教師オリジナルプリントは全て廃止し、ゼロから作り直したそうです。

難航したのは算数でした。

算数の先生方が、「他人の褌で相撲を取る」ことを潔しとしないのですね。テキスト作りは手伝うが、自分のプリントは秘匿して供出しない、どんなテキストを作ろうが自分の授業は今まで同様自分のプリントでやりたがる、解法へのこだわりが強い。会議は荒れるだけで前へ進まず、散々な有様だったようです。

そこで窮余の一策をとることになりました。算数の先生方の手作りプリント全てをオフィシャルの教材と位置づけ、全て印刷して生徒に配布することにしたのです。

各先生方の授業は、「はい、それじゃあC2のプリントをやろう。宿題はC3のプリントだけだ。残りのプリントは、一応配るだけだから、手をつけるなよ!」となったそうです。

これは、「中の人」から聞いた実話です。

自分の仕事にプライドを持つことは大切ですが、ここには生徒目線が欠けています。また、多様な解法を考えることも算数の大事な学習ですが、そうした柔軟さもありません。

 

算数は特別な指導法が必要という刷り込み

 4科目の中で、もっとも指導しやすいのが算数です。そういうと算数の先生に睨まれますが、事実です。

 

例えば、大学生となった教え子が、塾のアルバイト講師をはじめることになったとしましょう。

「先生、こんどアルバイト講師に応募するんだ」

「ほお。君がねえ。天変地異の前触れでなければよいが」

「ひどいなあ。それで教えてほしいんだけれど、どの科目がいいかな?」

「そんなの、自分の好きな科目にしなさい」

「それが、全部好きなんだよね」

「そういえば、君は4科目バランス型だったな」

「うん。だから、どの科目も教えてみたいっていうか。どうしよう?」

「それなら、算数にしなさい」

「何で?」

「算数が一番教えやすい科目だからだ」

「どうして?」

「まず、生徒も保護者も算数の問題が解けない。だが、君は解ける。それだけで、先生と呼んでもらえるようになる」

「なるほど。尊敬されるんだね」

「尊敬は言い過ぎだが、誰しも自分ができないことをできる人の言うことは聞く気になるからな。だから、算数の問題をスラスラ解けるだけで、君は算数の先生っぽく見える」

「あとは?」

「算数の授業は、問題を黒板で解いてみせるだけで何とかなる。一方通行の授業が基本だからだ」

「そういえばそうだったかも」

「他の教科のように質疑応答は不要だ。本当は生徒の多様な解き方をくみ取りながら授業してあげるべきなんだが、残念ながらそんなことをしていたら算数は時間が足りなくなる。だから一方通行の授業になってしまうんだね。でも、そのほうが授業はやりやすいだろ?」

「ちょっとつまらない気がするけど、仕方ないよね」

「しかも算数は解答が1つに決まる教科だ。〇と×しか無い。わかりやすいだろ?」

「たしかにね。国語とか、いくら解説してもらっても最後までスッキリしなかったものね」

「しかも、受験生のほとんどが算数が苦手だ」

「僕もそうだった」

「ほんとうは得意でも、苦手意識が拭い去れない。だって、〇×の世界観では、満点以外は認められないからな」

「そうだった。クラスで一番の点数でも、満点じゃないと嬉しくなかったよね」

「さらに、算数は家庭学習がやりやすい。ただただ問題を解くだけだから。しかも答え合わせも自分でできる」

「そうだね。僕も家で算数ばっかりやってた気がする」

「さらに算数の需要が最も多い。君が塾でバイト講師をははじめたとして、もしその職場が嫌になったらどうする?」

「他の塾を探すよ」

「そのとき、算数の指導経験が物をいう。どの塾でも即戦力として歓迎されるぞ。それから、家庭教師をしてもいいな。受験算数の指導ができる先生は引っ張りだこだぞ」

「もう算数を選ぶしかない気がしてきたよ。でも先生、それだけわかってて、どうして記述指導なんかしてるの?」

「言っておくが、算数ができないからじゃないぞ。算数も数学もけっこう好きだ。けれどもっと好きなのが記述指導なんだ。曖昧な世界観が大好きなんだ」

「変わってるね」

 

これは、やはり算数の先生に怒られること必至ですね。でも本当のことですから。

 

誰でも算数は教えられるし、教えてもよい

算数に限らず、国語だって理科だって社会だって、誰が教えてもいいのです。小学生が解ける中学入試ですから、大人の頭脳なら問題ありません。

算数だって、参考書を1・2冊用意して、それを見ながらだったら誰でも指導が可能です。

 

正しい解き方、こうでなければならないというルールもありません。効率よい解き方、小学生に教えやすい解き方はたしかにありますが、それだって絶対ということもないのです。

 

いちど視点をリセットしてみることをおすすめします。