今回は、独り言のような記事となります。
塾教師の立場からの「本音」を語ってみたいのです。
「それを言っちゃあ、おしめえよ」(by 寅さん)な内容なのをご了承ください。
- 生徒の名前を覚えるのは難しい
- 学校の悪口は言えないけれど
- 子どもを甘やかしすぎるのも問題
- 筆箱のペンの種類と成績は負の相関関係にある
- 1月校の受験は無駄
- 夏期講習には無駄も多い
- やりがい搾取で成り立っている業界
生徒の名前を覚えるのは難しい
教師たるもの、生徒一人ひとりの名前や性格、学力に志望校、さらに家庭環境まで把握して指導しなくてはなりません。
プロとして当然のことです。
しかし、残念ながらそれが難しいのです。
仮に1クラス20名の生徒を、毎日2~3クラス担当していたとしましょう。
同じクラスで週1回の授業が普通だと思います。4年~6年生200名以上の生徒を担当している形になります。
200名もの生徒に週1回1~2時間程度しか顔を合わせていないのです。
これで「1か月で名前を完璧に覚えろ!」と言われても、無理というものです。もちろんなかにはそうした「スペシャルプロ教師」もいるでしょうけれど、少なくとも私には無理でした。
毎回授業のたびに、教室で生徒の名前を「新たに覚えなおす」ことの繰り返しで、やっと数か月後になんとか頭に入る、そうしたかんじでしたね。さすがに夏以降は大丈夫でしたが。
しかし、この努力も生徒が卒業した瞬間にリセットされます。また新たな生徒達を担当しますので。もし同じ塾・同じ教室で指導を継続していたら、学年が上がっても指導が継続しますのでだいぶ楽にはなります。
ただ、卒業生とばったり会ったときが大変です。
「先生! 久しぶり!」
「おっ、おう。久しぶりだな」
(誰だっけな? 顔は覚えているが、名前が。 どこに進学したんだっけ?)
「先生、何してるの?」
「ああ、これから授業に行くところだ。ところで学校はどうだ?」
「うん、すごく楽しいよ!」
「そうか、それは良かった。ところでガールフレンドはできたか?」
「そんなのいないよ。まわりもそんなもんだよ」
(ということは、男子校か)
「塾時代の友達と会うことあるのか?」
「うん。Aとは、今塾が一緒だから」
「塾に行っているのか。どこに?」
「〇〇塾だよ」
(〇〇塾といえば、最難関中高一貫校生専門塾だ。Aはたしか開成に進学したあの子だな。だんだん思い出してきたぞ)
「文化祭はどうだった?」
「もう、すっごく楽しかったよ。とくに後夜祭が盛り上がってさ」
(まちがいない)
「B君には、麻布が合ってたってことだな」
だいたいこんな調子です。
よほど個性的で目立つ生徒でないと、なかなか記憶には残りにくいのです。まして大学生になってからばったり遭遇しても、もはや思い出すことはほとんど無理ですね。
最近の私は、知らないことを認める勇気を身に着けたので(単に図々しくなっただけ)、素直に聞くことにしています。
「先生、お久しぶりです!」
「ええと、君は誰だっけ? いつの卒業生だ?」
もっとも、とある学校の学園祭にお邪魔した際に話しかけてきた方はまったくわかりませんでした。てっきり卒業生のお母様だとばかり思って話をしていたのですが、どうも話がかみ合わない。やっと途中で「あ、このお母さま自身が私の教え子だった!」と気づいたときにはもうだいぶ会話が進んだ後でした。だって、面影がまったく・・・・。
学習相談や進路相談をする場合は、いきなり訪ねてきたり電話をしてくるのではなく、ぜひ1週間前にアポをとってください。その間に生徒の成績や他教科の出来具合をチェックしますし、授業中によく観察して記憶を強化しておきますので。
学校の悪口は言えないけれど
どんな学校にも、その学校を第一志望として努力し、満足して進学している子がいます。だから、どんな学校も「貶す」ことがあってはいけません。
これはこの仕事をしていく上での鉄則です。
しかし、本音を言うと、「この学校は生徒には勧めたくはないなあ」「もし自分に子どもがいたら、通わせたくはないぞ」と思う学校もあるのです。
もちろん「万人に合う」学校があるはずはなく、「万人に合わない」学校もありません。
とはいえ、とても積極的に進める気にはなれない学校というものはあるというのが本音です。
いくら本音を語る回とはいえ、さすがに学校名をあげるわけにはいきませんが。
◆定員割れの学校
◆生徒数減少が著しい学校
◆大学実績が落ちている学校
これはわかりやすいですね。生徒が集まらない・辞めていくのには何等かの「理由」があるはずですから。また、大学実績が落ちていいることにも必ず原因があります。それが何なのか確認しないと怖いですね。
◆大学実績をきちんと公表していない学校
◆入試結果(応募者数・受験者数・合格者数・進学者数、得点・平均点等)を公開していない学校
学校を選ぶ際の基本的な情報をきちんと公表していない学校もあります。なかには数年分の大学実績の合算の数値だけを公表している学校まで。
公表しないのには理由があるはずです。隠したいことがあると思うのです。
◆最近制服をリニューアルした学校
◆最近校名を変えた学校
何かを「変える」ことには大きなエネルギーが必要です。もちろんコストも。
変える必要が無ければあえて変えることもないでしょう。
それを「変えた」。
きっと理由があるはずです。しかも、教育内容に無関係な部分の「変革」には相応の理由が潜んでいると思います。
制服の変更くらいならまだ可愛いものですが、校名変更は大胆です。その学校が培ってきた歴史を捨てることですから。
まるで外資系ファンドが乗り込んできて経営陣や社員を一層して新しい企業に生まれ変わったような? そうした学校の今後については慎重に見定める必要があると思っています。
◆試験回数が多い学校
◆変則入試の学校
◆最近入試制度を大幅に変更した学校
◆帰国生獲得に力を入れている学校
入試制度を弄り倒す学校もどうかと思います。入試は、その学校が欲しい生徒像が反映するものですし、その学校に進学した生徒にとっては「真剣勝負」です。そのためにみな努力するのですから。将棋の対局やダンスパフォーマンスで合格できる学校はどうなんだろう?
帰国生も、「即戦力」として欲しい気持ちはわかりますが、あまりにあからさまなのはどうなんでしょう。自校の英語教育にそんなに自信がないのかな?
◆説明会が妙に多かったり、特定の塾と仲良さげな学校
◆入学案内・HPに意味もなく英語表記・カタカナ表記が多い学校
◆理系・医学部実績の宣伝に熱心な学校
◆「東大コース」「医学部コース」のように細分化したコースを設置している学校
◆海外研修・交換留学・海外修学旅行等ばかりに力を入れて宣伝している学校
◆補習が売りの学校
なかには、既卒生でも利用できる自習室が夜遅くまで開いている学校もあります。「〇〇コース」というネーミングにしても、最初に目にしたときは、「予備校か!」と違和感しかありませんでした。同じ学校・学年なのに、入試も授業も別建てにするのですね。しかし、いつのまにかずいぶん増えました。それだけ需要があったのでしょう。
こうした施策は、サービス業として考えれば正解です。消費者のニーズをとらえてくれているのですから。
しかし、学校は「教育機関」であって、「サービス業」ではありません。そこをはき違えている学校は嫌ですね。
ああ、なるほど。私は「塾・予備校」の匂いがする学校が嫌いなのでした。「学校教育」に理想を抱きすぎでしょうか?
ここにあげた項目にあてはまる学校全てが「お勧めできない学校」というわけではありません。
そんな、まさか。
そうではなくて、定員割れにより経営の危機にあったり、大学実績低下により今後の生徒募集に危機感を抱いている学校ほど、目先の応募者増のことを考えすぎると思うのです。いかにも生徒受けしそうなことを次から次へと仕掛けてくるのですね。変革は望ましいことですが、「教育」「生徒」のことを考えた変革でなければならないと思うのです。
また、学校を「飾る」ことに積極的な学校も、「なんだかなあ」と思えてしまいます。とある学校の目玉行事は、4泊6日の「ハワイ研修旅行」なのですが、中身を見ると、戦艦ミズーリを見に行くことと、ビジョップミュージアムやポリネシアンカルチャーセンターに行くこと、ハワイ大学の大学生と交流する時間が「研修」ということのようで、あとは正直言って「遊び」でしかありませんでした。しかし、生徒には受けることでしょう。この学校に私だって通いたい。
子どもを甘やかしすぎるのも問題
こういう言い方をすると自分が年寄りみたいで嫌なのですが(実際年寄りですが)、最近の親は子どもを甘やかし過ぎだと思います。
塾での子供たちの様子を見ると、きちんとしたご家庭で育てられた子どもと、そうではない子どもの区別はすぐにつくのです。
ご家庭の方針に口をはさむつもりはありません。しかし、椅子にきちんと座ることもできない、すぐに姿勢が崩れる、人の話を聞かない、大人に対する言葉遣いが劣悪、まともに挨拶もできない、そうした生徒を見るたびに、「かわいそうに」と思ってしまいます。もちろんそうした生徒達は学力も低迷しています。
筆箱のペンの種類と成績は負の相関関係にある
おそらく、塾の教師全員が同意してくれるでしょう。勉強ができない生徒にかぎって、筆箱にカラフルなペンがつまっているということに。
・鉛筆・赤ペン・消しゴム、とりあえずこれだけあれば勉強に支障はありません。せいぜいこれに加えて、シャープペンシル・青ペンと小さな定規程度があれば十分です。こうした文房具、小学生ですと親が買い与えるのだと思いますが、子どもの集中力が削がれる文具を買い与える意味がわかりません。それとも子どもが勝手に買ってくるのかな? なおさら意味不明です。 小学生の買い物は親の管理下のはずですから。
1月校の受験は無駄
1月校受験というのは、千葉・埼玉の学校の受験のことです。千葉・埼玉かそこに隣接した地域にお住まいの場合だけ、つまり本気で進学するつもりがある場合だけ、受験すべきでしょう。ところが、「お試し受験」と称して、東京・神奈川の受験生の多くが、遠い千葉・埼玉の学校を受験するのです。埼玉県のとある中学校は出願者が1万4千人以上!となっています。受験生のなかには、地方の学校の東京出張入試まで受ける人もいます。北海道や奈良の学校に進学するのでしょうか?
おそらくは塾が「合格実績稼ぎ」の目的で薦めているのでしょう。あるいは、たんに「1月のお試し受験で予行演習しなくてはならない」と塾教師が思考停止なだけなのか。
いずれにしてもお金と時間の無駄です。
夏期講習には無駄も多い
普段なら週1回の授業を担当しているクラスで、夏休みは毎日授業が行われるのです。
当然、普段担当している教師が全ての授業を教えるわけにはいきません。
そこで、「アルバイト」講師を投入するほかなくなります。
授業のクオリティはバラバラです。それを何とかするためには、教材・カリキュラム・指導内容を統一して均質化を図ります。生徒の出来具合をみながら進度を調整することはできません。
「今日は大切なところを重点的に教えたから、いくつかできなかった問題があったね。これは明日教えよう」と思っても、その明日は別の教師が担当するのです。
当然、進度もカリキュラムも決められたものから逸脱が許されなくなります。
塾の指導で大切な「ライブ感」の無い授業となります。
「夏期講習は絶対に出ましょう!」と言いながらも、本音ではちょっと無駄も多いけど、と考えてしまいます。
もちろん、家でダラダラ過ごすよりははるかに有意義ですが。
前回の記事でも触れています。
やりがい搾取で成り立っている業界
ああ、これ言っちゃいましたね。
どんな職業でもある話ですが、塾の世界もやりがい搾取で成り立っています。
午後2時から10時が勤務時間だとして、授業は5時から9時くらいまでありますね。授業後に生徒の質問応対を数件受ければ、もう10時です。また、授業前の時間も、採点業務やテキストやテスト・プリント類の作成や、ご家庭への電話かけ等に追われて、授業の予習をしたり入試問題の研究をする時間などありません。また、学校説明会に行く時間もとれません。したがって、授業の予習や過去問研究は、自宅で行うしかなくなります。また学校説明会は休日を潰していくほかないのです。
これは違法です。
しかし、この違法状態が当たり前なのが塾業界の宿命です。
私も若い頃は疑問を感じずに、正月もお盆休みもゴールデンウィークも返上で2か月間に1日くらいの休みで仕事をしていましたが、今考えれば実に愚かでした。そういえば、京都の日能研で社員講師が過労死したのは25年前でしたね。たしか京大出身だったとか。そこからどれだけ業界が改善したかはわかりませんが、私の見る限り、2極分化は相変わらずです。良い教師ほど忙しく、ダメな教師ほど余裕がある、そうした体質は変わっていません。
そんな「良い教師」のところに、過去問の添削指導や保護者の学習相談が入ると、すぐにパンクしますね。
そうした事情を察していただけると助かるのになあ、と、授業後に1時間以上におよぶ保護者からの相談電話を切ったときにはつい考えてしまうのです。