中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

子ども性善説VS性悪説

今回は、雑談としての記事になります。

子ども性善説でいくか、性悪説でいくのか。

そんな話題です。

 

Peterの法則

みなさん、「マーフィーの法則」というのをご存じですよね。

「失敗する可能性のあるものは失敗する」というやつです。

・トーストを落とすと、バターを塗った面が必ず下になる

・急いでいるときには赤信号になる

・間違った相手に電話をかけるとすぐに相手が電話に出る

・お茶をこぼすと大事な書類のある方にこぼれる

・先生にあてられた問題は必ず解けない問題である

 

私はかつて、長距離列車内でこの法則の好例を目撃しました。

大学生4人組男子が、駅弁をそれぞれ買って乗り込んできたのです。お腹がよほど空いていたのか、誰かが「そろそろ食べよう」というと、「いや、まだ昼には早すぎるよ」と誰かが止める。それを何回か繰り返し、やっと「そろそろいいよね!」となったのです。そして皆でごそごそと駅弁の蓋を開いたとき、手を滑らせた一人の弁当が箱ごと床に落下したのです。ご飯の面を下にして。ご飯粒一つまき散らすことなくきれいに底を上にして着地していました。その時のその大学生の顔、今でも覚えています。まさにマーフィーの法則です。

 

さて、本題に入ります。

「子どもは、さぼるチャンスがあれば、必ずさぼる」

これを私は「Peterの法則」と名付けました。

名づけるほどのことではありませんね。みなさんも同意してくださると思います。

例えば、日曜の昼間。子ども一人を家に置いて外出したとしましょう。

「お弁当を作っておいたからちゃんと食べるのよ。食べ終わったらお弁当箱は自分で洗いなさい。夕方になる前に洗濯ものを取り込んでおいてね。ちゃんと勉強しているのよ。いい、わかった?」

「はあい」

さて、夕方家に帰ったとき、どうなっているでしょうか?

弁当箱は流しにそのまま、洗濯物も外で揺れている。

「なんで洗濯物取り込んでおいてくれなかったの?」

「今やろうと思ってた」

「どうしてお弁当箱洗わなかったの?」

「あ、忘れてた。あとでやろうと思ってたから」

「勉強ちゃんとやってた?」

「う、うん」 目が泳いでいます。

案の定、ノートをチェックするとほとんどはかどっていません。

ゲーム・YouTube・本・コミック、家には誘惑がたくさん子どもを誘おうと手ぐすねを引いて待ちかまえています。

子どもですから。自らを律することができないのです。誘惑にも弱いのです。それが子どもです。

大人である私たちはどうでしょう?

早く済ますべき仕事を後回しにしていませんか? 少なくとも私はそうです。

あ、そういえば、中学受験の入門書を出版する予定でした。原稿が進んでいません。ついつい先送りにしてしまっていました。

「人は、後回しに出来ることは、必ず後回しにする」

これを「Peterの第二法則」と名付けましょう。

そういえば、あのマッカーサーの執務デスクの上には、「既決箱」だけが置かれていて、「未決箱」は置かれていなかったと聞いたことがあります。全て即断・即決だったからだとか。見習いたいものです。

 

どんな子でも、誘惑には勝てない

教え子の保護者から聞いた話です。

その生徒は、真面目な生徒でした。私が指導していた時も、こつこつと勉強をしていたものです。これは中学生になってからも変わりませんでした。努力を継続できる、これも一つの才能です。最難関校の一つに進学し、しかも成績もトップクラスを維持していたそうです。

「先生、私たちがあの子にどんな声かけをいつもしていると思いますか?」

「勉強しなさい、ではなくて?」

「逆です。もう勉強やめなさい。こればかりです」

羨まし過ぎる話ですね。

だから、子どもの勉強には親はノータッチで全てまかせていたそうです。しかし高校生になるころから、成績が低下しはじめました。あんなに努力しているのに、やっぱり周囲の子が優秀だから追いつかれたのね、そう思っていたそうです。

しかし、ある日何気なく子どものスマホをチェックして原因がわかりました。

平日で4時間以上、休日は10時間近く、ユーチューブを見ていたことがわかったのです。

勉強していると思っていた時間は全て、スマホの神に捧げていた時間だったのですね。

その後、父親が強権発動してスマホを取り上げたと聞きました。

どんなに真面目で努力が出来る子でも、子どもの自制心では戦えない誘惑というものがあるのです。

この子は、高校生活が終わる前に気づいたのが不幸中の幸いでした。

 

子どもを信じる。

これは親として当然のことです。しかし同時に、「子どもを信じない」、これも大切だと思います。

「理想の子ども像」をいったん頭から消去して、子どもの長所も短所も、あるがままの姿をそのまま受け入れましょう。