今回は大妻について取り上げてみます。
個人的に気になっている(気に入っている)学校の一つなのです。
※この学校を持ち上げるつもりも揶揄するつもりもありません。ただどうしても私の主観が前にでることはご容赦ください。
伝統・理念
大妻も歴史がある学校ですね。HPを開くと、最初に目に飛び込んできたのは、「百十三年の伝統に新しい風を」のフレーズでした。
HPによるとこうなっています。
明治41年(1908) 9月開塾。麹町区(現千代田区)紀尾井町の子爵大島久直大将邸内で、塾生15名でスタート(大妻コタカ24歳)。
大正6年(1917) 校名を「私立大妻技芸学校」とする。現在の千代田校地に移転。
昭和18年(1943) 「大妻技芸学校」を「大妻高等女学校」に併合(後に大妻中学高等学校に)。
「技芸学校」? これは、大妻コタカが裁縫・手芸の家塾を開いたのが始まりなのですね。
歴史の古い女子校は、創立経緯がだいたい3つに分類されると思います。
A:ミッション系
B:裁縫系
C:婦女子教育系
Aのミッション系は、日本最古の女子校である女子学院・フェリスを筆頭にたくさんあります。
Bの裁縫系は、当時の女子の自立の道としては大切なスキルだったからですね。豊島岡や共立女子、和洋九段等があります。
Cの婦女子教育系は、当時重視されていなかった婦女子の教育の必要性を早い段階から実現しようとした先人の意気込みを感じる学校です。跡見・東京女学館・山脇・鎌倉女学院などがあります。
大妻の校訓は「恥を知れ」です。
いいですねえ。大好きな校訓です。
この校訓については、HPにはこうなっています。とても良い内容なので抜粋引用します。
創立者大妻コタカは、校訓『恥を知れ』について「これは決して他人に言うことではなく、あくまでも自分に対して言うことです。人に見られたり、聞かれたりしたときに恥ずかしいようなことをしてはいないかと、自分を戒めることなのです。」と語り、自分を律する心の大切さを常々説いておりました。
自律心の根本にあるものは相手に対する尊敬であり、親愛のこもった思いやりのある心です。その心が形となったものが礼儀です。また、このことは自分が日々受けている多くの恩恵に感謝する心にも通じています。・・・・・・・
「社会に貢献できる人になること、そのためにますます修養に努め、最も強い信念に生きよ」「この信念の総合が、校訓『恥を知れ』の戒めであり、これから社会に出て行う行為は、みなこの校訓を根幹として、そこから生じる枝葉である」
「いつの世にも、いかなる世界にも一定不変のものは、人格と実力であると申されましょう。…… 私共の処世に必要であるその教養は、また社会で求めているところのものでございますれば、学問に向かっては、ただ一点の高下を闘う点取り虫式の勉強を排し、真当に学校に学んだ人として、人格的にもっと磨かれ、学校で学び得た知識がすべての生活に真当に活用し得る人となっていただきたいと思っております」
深いですね。教育者はこれくらいの言葉を語ってほしいものです。
立地・環境
古い学校は立地が素敵です。大妻は千代田区三番町に立地します。
市ヶ谷・半蔵門・九段下の3駅が利用できますが、最も近いのは半蔵門駅です。
半蔵門駅を出て、左に曲がると女子学院、まっすぐ進むと大妻があります。大妻から100m歩くと千鳥ヶ淵です。
実はこの周辺は、三輪田・白百合・雙葉といった伝統校が集まっています。
校舎は、地上9階地下1階のビルですが、3階から9階まで真ん中が吹き抜けになっていて、明るくてとてもきれいな設備です。全教室フローリング&床暖房だそうです。
私が見学にいったおぼろげな記憶では、図書室が3階の一番目立つ場所にあったと思います。 とにかく綺麗な校舎ですので、一見の価値はあると思います。
校地は狭いですが、実は道路をはさんで大妻女子大学の建物が何棟も建っています。
四姉妹
大妻中高の姉妹校として、大妻多摩・大妻中野・大妻嵐山があります。千代田区の大妻が長女といったところでしょうか。
◆大妻多摩・・・1988年に80周年記念事業として多摩キャンパスに設立
◆大妻嵐山
1967「嵐山女子高等学校」として設立。
2003「大妻嵐山中学校」開校。
◆大妻中野
1941「文園高等女学校」として設立。
1971「中野女子高等学校」に校名を変更し、学校法人誠美学園となる。
1972「 学校法人誠美学園」が大妻女子大学の傘下になり、大妻女子大学中野女子高等学校に改称
1995「 大妻中野高等学校」に名称を変更、大妻中野中学校が再開
実にわかりづらいですね。
まず1908年に大妻中高が作られます。長女ですね。
そして、1988年に大妻多摩が作られた。つまりこの2校は歳が離れていますが、血のつながった姉妹です。
それとは別個に、1941年に「文園高等女学校」が作られ、学校法人「誠美学園」ができた。さらに「誠美学園」は埼玉県の嵐山に学校を作った。
1972年に、嵐山と中野の2校が「大妻女子大学」の傘下となった。
2013年に、大妻学院と「誠美学園」が合併した。
つまり大妻中野と大妻嵐山は義理の妹のようなものですね。
再婚相手の連れ子といったところかな?
たしかに大妻嵐山と大妻中野は校風も制服も異なります。
大妻本校の卒業生に聞くと、「嵐山と中野は別の学校だから」ということでした。
大学実績
まずは早慶の実績推移を見て見ましょう。いつものように、5年移動平均でグラフ化しました。
2010年代に落ち込んだものの、盛り返した、といったところでしょうか。
※過去の数字はネットからの孫引き情報ですので正確さには欠けます。複数のデータを参照しましたが、数字が微妙に異なるのです。
私も、30年前から各学校が公表している数字をしっかりと蓄積しておけばよかったですね。もう手遅れです。
次に、上智プラス理科大を見て見ます。上智も理科大も大妻と同じエリアにある大学ですので、おそらく希望者が多いはずなのです。
上智と理科大の結果は2018までしか遡れませんでした。
早慶以上に上智・理科大に合格している傾向がうかがえれば十分ですね。
最期に、GMARCHを見て見ましょう。
260名程度の卒業生数で、大妻レベルの学校でこれくらいの数字なら、十分な大学実績と私には思えるのですが、みなさんはどう受け止めますか?
大妻女子大学
実のところ、大妻中高からそのまま大妻女子大に進学する生徒はほとんどいないと思われます。生徒の合格実績には、例年、10~20名程度の合格者がいますが、おそらく「押さえ」として一般受験した合格者だと思います。
大妻女子大学も、家政学部に伝統があり、管理栄養士を目指すなど女子大ならではの学部は魅力的だと思いますが、現在の大妻中高の生徒の学力レベルなら、もっと偏差値的に上の大学を十分目指せる、そういうことなのでしょう。
女子大受難の時代です。その中でも、大妻女子大は、定員充足率を100%以上に保てているのはさすがです。就職率もさることながら、立地が大きいのではと思います。
先日閉鎖された恵泉女学園大学は、なにせ里山にある大学でしたので、生徒募集には苦戦したのでしょう。里山も所有していましたね。自然に囲まれた雰囲気のよいキャンパスでしたが、女子大生キャンパスライフとしては人気が出なかったのかもしれません。そういえば近くには、大妻多摩キャンパスがあります。恵泉女子大とは異なり、バスを使わずに唐木田駅から歩けますが、お世辞にも良い立地とはいえません。自然は豊かです。
下町の子が多い?
大妻本校の卒業生の話では、「わりと下町の子が多かった」とのことでした。立地は番町ですが。
中学生の居住地はこうなっています。
足立 20名
荒川 11
板橋 28
江戸川 26
大田 21
葛飾 21
北 18
江東 60
品川 20
渋谷 8
新宿 36
杉並 22
墨田 11
世田谷 51
台東 15
中央 27
千代田 9
豊島 21
中野 21
練馬 28
文京 37
港 19
目黒 16
神奈川県 55
千葉県 77
都下 54
埼玉県 70
足立区、葛飾区、荒川区、台東区、墨田区、江東区、江戸川区、中央区を足すと、191名、中学生全体のおよそ22.5%ですね。
数字だけ見ると、とくに多い気もしないですが、もしかして元気で目立つ生徒が多いということなのかもしれません。
大妻の偏差値
大妻の偏差値(2月1日午前)は、サピックス:44、日能研:55、四谷大塚:52 となっています。
そのあたりの偏差値帯にある他の学校を列挙します。
横浜雙葉・成蹊・都市大等々力特選・芝国際・成城学園・山脇・田園調布学園・品川女子・頌栄・東洋英和・三田国際
もちろん塾の偏差値表によって異なりますが、だいたいこのあたりでしょうか。
過去の偏差値表を見てみても、大妻のポジションは大きく変わっていません。
入試
2月の1日・2日・3日・5日の4回入試で、すべて午前の4科目入試です。
募集定員はそれぞれ100・100・40・40名です。
最近はやりの変則入試を取り入れていないところに見識を感じます。
問題は、ごくオーソドックスな基本問題です。国語が少し文が長いかな。
どんな生徒におすすめ?
◆女子校
◆大学附属ではない
◆伝統校
◆ミッション系ではない
◆大学は早慶上理を目指したいが、GMARCHレベルに進学できるとよい
◆都心の立地
こうした条件で学校を探しているのなら、一度見に行くことをお薦めします。