最近、受験で成功した生徒とうまくいかなかった生徒を思い返していて、あることに気づきました。
結局のところ、周囲から言われてやる、「やらされている」勉強では到達地点に限界がある、という現実です。
当たり前すぎるほど当たり前のことですが、私はこれを「疑問の自己解決能力」と呼ぶことにしました。
テストを受ける意義を自覚していない
こんな生徒がいました。
大手の塾の模試を受けにいったのですね。
午前中に試験を受け、午後に私のところに顔を出したのです。
「テストはどうだった?」
「うん、まあまあかな」
「お、まあまあ、ということは結構できたんだね?」
「いや、そうでもないけど」
「それじゃあ難しかった?」
「難しい問題も簡単な問題もあった」
そんなの当たり前です。
「本当に午前中にテストを受けてきたんだよね」
「そうだよ」
「それで、できなかった問題とか気にならないのか? 今日はそれで来たんだろ?」
「・・・・・」
埒が明かないので、生徒に今日のテストを見せるようにいいました。鞄からは、テスト問題、答案用紙、模範解答が出てきます。
最近の大手塾のテストは、答案用紙をその場でスキャンして返却してくれるのですね。その日のうちにすぐに間違い直しができるこのシステムはとても役立ちます。
しかし、この子のように、「間違い直し」をする意欲が無い生徒にとっては豚に真珠です。
「算数・国語・理科・社会、どれが気になる?」
「・・・・・」
「それじゃあ、算数からだな」
まずその場で、生徒に自分の解答の丸付けをさせます。半分くらいしか合っていませんでした。
「これはまずいな。最初の計算問題を4つも間違えてるぞ」
そう言うと、次に何を言われるのか、私の顔を見あげています。
「ほら、ぼんやりしている場合じゃない! ノートを出して、解き直しなさい!」
ようやくノートに問題を解き直しはじめました。
その様子を見ていると、きちんと式を書かずに、雑然と筆算を書いて答えようとしています。
「ああ、それでは間違えるわけだ。ちゃんと式も書きなさい」
生徒が解いている間に、私は国語の問題文を読みました。いくら私でも問題文を読まないで論述指導はできませんので。さてそうして私が国語の文章を読んでいると、生徒の動きが止まる気配がしました。
「どうだ、できたか?」
「うん」
「それで、〇が付いたか?」
まだ〇付けをしていないのです。
「目の前に解答が置いてあるじゃないか。すぐに丸付けしなさい!」
けっしてこの生徒が特殊なのではありません。最近教えている生徒は、こんな子がとても多いのです。
言われたことはやります。
しかし、言われたことしかやりません。
普通は、テストを受けたら、「あの問題の答って何?」と気になりますよね。そして模範解答が配られたら即座に自分の答案をチェックする。間違えた問題は夢中で解き直し、そして今度こそ正解できたかどうかチェックする。
ここまでの一連の流れなど、親や教師に指示されるようなものではないはずです。
「疑問の自己解決能力」が無いのですね。
塾で受ける模擬試験の最大の意義は、ここにあります。
自分の間違いを認識し、それを修正しようとすることなのです。
極論すれば、偏差値や順位などどうでもよいのです。
本番さながらの緊張感の中でテストに真剣に取り組み、自分が解けなかった問題、わからなかった知識を確認する。
それが重要です。
さて、件の生徒ですが、計算問題の間違い直しが終わりました。そこで再びぼんやりしています。
「もうこれで算数はいいのか?」
ちょっと意地悪く声をかけました。
「この問題もこの問題も間違えたな。もう一度解き直さなくてもいいのかな?」
あわててノートに解き始めました。
こんな調子の間違い直しでは、おそらくこの問題は解けるようにはならないでしょう。
「どうして私はこの問題を間違えてしまったのか?」
「どうやったら解けたのか?」
「私の解き方のどこが悪かったのか?」
「他にもっとうまい解き方があるのだろうか?」
こうした疑問を自分で持たないとダメなのです。
過去問演習は他人まかせにできない
6年生にもなると、夏前あたりから過去問演習が始まります。
自分で入試問題を解き、自分で答え合わせをして、自分で疑問を抱き、それを自分で解決するのです。
解説や模範解答を見て考えても、さっぱりとわからない問題、腑に落ちない問題、すっきりと解消しない疑問、そうしたものが生じてからはじめて塾・教師を頼ります。
このように全て自己解決していかないと、過去問演習は効果を発揮しないのです。
自分ひとりで見出した解法・知識は定着します。次に同様の問題が出されれば確実に解ける力につながるはずですね。
しかし、他人まかせ、教師を頼りすぎる姿勢では、いつまでたっても力は身に付きません。
カリキュラム学習が終了した6年生の夏前くらいからは、本来なら「授業形式」の指導は不要なのです。生徒が持ってきた疑問に応えるだけの指導、それが理想です。
もしかして多くの塾は、間違っているのかもしれませんね。
いや、間違っているのは「塾依存」になりすぎた受験生のほうかもしれません。