今回は、「ためになる」記事ではありません。
私の個人的な感想を垂れ流すだけの記事となります。そのつもりで暇つぶし程度にお読みいただければ。
入学式の光景
ある卒業生保護者から愚痴をこぼされました。中高一貫校に進学したその子は、今年高校生になったそうです。
早いもので、もう3年もたつのですね。
入学式といっても、中高一貫校ですから、とくに感慨もありません。お定まりの儀礼程度のものだったそうです。
校門前には「令和7年 〇〇中学校 入学式」という看板がかかげられていました。
この学校では、午前は中学校の入学式が、午後は高校の入学式が同日に行われたのですね。
さて、この保護者の目的は、校門の看板前で子どもの記念写真を撮影することでした。わざわざそのために、有給休暇をとって子どもと一緒に学校に行ったそうです。
この方の目論見としては、「入学式の後の時間は子どもはオリエンテーションがあるので、記念写真を撮る時間はない。そこで、入学式前の時間に撮影しよう」ということだったそうです。
校門附近には、同じことを考えた保護者と生徒が大勢集まっていたとか。
しかし、午前の中学校入学式に参列した保護者と新入生たちの写真撮影がなかなか終わりません。気持ちはわかります。憧れの学校についに入学したのですから。3年前は自分たちもあんなだったなあ。微笑ましく見守っていたそうです。
しかし、午後の高校入学式の開始時間が迫ってきます。
結局この方は、写真撮影をあきらめ、式典会場に急ぎました。
後で聞いたところ、式典開始時間を無視して校門前で待機していた親子は大勢いて、やっと新中学生たちがはけた後に「令和7年 〇〇高校 入学式」とかけ替えられた看板前で記念撮影をしていたとか。そういえば式典の途中に入ってくる親子が大勢いて、式典の妨げになっていました。
「どうせこうなることはわかりきっていたのだから、看板前に学校の人間を一人立たせるだけで、もっと効率よくさばけたはずなのに」
怒っていましたね。
別に学校の対応は間違っていません。校門前で記念撮影をするのは、あくまでも保護者の勝手ですし、学校のオフィシャルの行事でもなんでもありませんので。
そこにわざわざ配慮する必要性は無いのです。
しかし。
多少の配慮はあっても良かったと私も思いますね。別に上司の指示などなくても、「あ、校門前で人がたまっているな。何とかしなくては」と気づく人が一人でもいれば、それで解消した問題に過ぎませんので。
この学校の職員の方々には、そうした「気づき」が無かったということなのでしょう。
入学試験当日の光景
コロナ禍以前のお話です。
中学校の入試当日の朝、校門前に大勢の塾教師が並んで生徒を激励する、そうした風物詩がありました。
風物詩といいましたが、そんなのどかな雰囲気はなく、緊張した教え子を少しでも励まそうと教師が並ぶ、まさに戦場のような雰囲気でしたね。
その学校の校門は、狭い歩道に面していました。
歩道に塾の教師が並ぶと、それだけで一人通るのがやっとの幅しかありません。そこに生徒達が立ち止まると、他の人間が通行できなくなるのです。
はっきりいって、近隣の迷惑意外の何物でもありません。実際に通行人のおばさまに怒鳴られたこともありました。
しかし幸いなことに、校門を一歩入ると、広大なスペースが広がっているのです。
校門と校舎の建物は離れていますので、そこはただのエントランス的な広場です。
当然、塾の教師達は校門を入ったところに並びます。これで近隣の迷惑になることも避けられ、教え子と言葉を交わすゆとりもできるのです。生徒と保護者もスムーズに通れます。
しかし、そうして激励していると、学校の教師が登場し、大声で罵声を浴びせて、塾の人間を校門外に追い出すのですね。
その言葉はとてもここに書ける表現ではありませんが、まあ一言でいえば、塾教師を虫けら扱いしたような表現でした。
塾教師を虫けら扱いするのは別にかまわないのですが、そこには受験生とその保護者達も大勢いるのです。目の前で、自分たちがお世話になった塾の先生が罵倒されるのを見て、子どもなど凍り付いていました。
それだけでもう、この学校の、受験生=未来の生徒や保護者に対する姿勢が見て取れます。
そうしたことが何年か続くと、もう私はこの学校を教え子に薦める気は失せました。
「入学させてやる」という意識の学校には、生徒を大切に思う気持ちが望めないですから。
「入学していただく」くらいの意識は欲しいですね。
先生の態度
その学校では、毎朝校門前に校長先生が立って生徒に声をかけています。
「おはようございます!」
「○○さん、おはよう!」
驚くべきことに、この校長先生は生徒の名前を憶えているのです。さすがに全生徒の氏名を覚えてはいないでしょうけれど、それでも見知った生徒に名前で呼びかける。
教師として最も大切な、そして最も基本となる心構えですね。
生徒に聞くと、校長先生にはあだ名がついているそうで、生徒同士の会話では校長をあだ名で呼ぶのだとか。もちろん面と向かって言いませんが。
さらに、学校内でゴミが落ちていたり何かが倒れていたり、あるいは汚れが目立っていると、先生方がすぐに手を動かすそうです。
すると、それを見ていた生徒達がすぐに手伝います。
その話を聞いたとき、「なんて素晴らしい学校なんだ!」と思いましたね。
決してレベルの高い学校でも人気校でもないですが、こういう学校になら安心して子どもを預けたくなるではないですか。
サービス業を極めた学校
その学校では、生徒が掃除をする必要はありません。全て学校が手配した業者が行いますので。自習室も一年中夜遅くまで開放されています。夏期講習も学校の先生方が行います。格安です。生徒達は外部の塾・予備校に通う必要などありません。
保護者会も頻繁にありますが、仕事を持つ保護者でも参加しやすい時間・曜日に設定されています。
生徒の成績管理も徹底していて、その情報も保護者に開示されています。
学校主催の留学制度も充実しています。短期から中長期まで用意されています。 旅行代理店とタッグを組んでいるのでしょう、魅力的なプログラムが並んでいます。
食堂(というよりカフェテリア)も完備していて、弁当を持参する必要もとくにはありません。
まさに至れり尽くせりです。
受験生に選んでいただく、生徒に通っていただく、そして難関大学に合格していただく、そうした方針がはっきりとしているのですね。
まさに「サービス業」の鑑です。
教育とサービス業の狭間
私個人の意見としては、教育はサービス業である必要は無いと思っています。
サービス業は塾・予備校の世界です。
学校はあくまでも「教育理念」を実践する場であってほしい、そう考えているのです。
しかし、最近は、「株式会社化」した学校が人気を集めています。
本当に「株式会社」になったわけではありませんが、まるで営利企業のように生徒・保護者をサービスの対象とするのですね。
たぶん、今後はこうした学校がさらに発展し、伝統に胡坐をかいた学校は衰退していくのでしょう。
選んでもらえなければ、学校だって存続できませんから。
しかし、全ての学校が「株式会社化」することにも賛成できません。
それはもはや「教育」ではないからです。
中高が大学の受験予備校化する風潮には反対です。
だからこそ、伝統校にももう少し、ほんの少しだけの努力を求めたいのです。
それは、「保護者」「生徒」の視点を意識することです。
「あ、これでは生徒の負担になるのでは?」
「保護者も忙しいだろうから」
「毎年同じやり方を踏襲してきたが、そろそろ合理化してみよう」
因習に縛られた杓子定規なやり方から一歩だけ踏み出すことで、伝統校はさらに魅力を放つと思うのですが。