中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

【中学入試】良問と悪問の違い

前回、渋谷渋谷の理科の入試問題が「悪問」だったと書きました。

筆の勢い(キーボードの打鍵)が止まらなくなったので、今回は中学入試問題における良問と悪問は何が違うのかについて書いてみたいと思います。

※あくまでも私個人の思いにすぎません。出題校や先生方を批判する気は毛頭ありませんのでご容赦ください。

「アラビアンナイトに描かれている当時のイスラム社会について説明せよ」

いったい何の問題だ? と思いますよね。

これは、武蔵中の社会科の記述問題でした。

あまりに昔過ぎて、もはや手元にも資料がなく、調べることも困難なので確認できなかったのですが、印象が強かったので今でも覚えています。

 

このころの武蔵の社会科は、良く言えば「個性的な」、悪く言えば「思いつき」としか思えない出題が目立っていたのです。

ある年は、ペルーの日本語新聞の記事のタイトルを切り張りしたもの、例えば「〇〇洞窟で蝙蝠が大量発生」といったものが並べられていて、それを見てペルーについて説明させるという記述問題が出たこともありました。

 

さて、この問題については、「みなさんは千夜一夜物語(アラビアンナイト)を知っていますか? この物語には様々な職業や動物などが出てきます・・・・」といった前振りの文章があり、そして「ここに書かれていることと、あなたが読んだことのあるアラビアンナイトの話を踏まえて、当時のイスラム社会について説明しなさい」といった記述問題だったと記憶しています。

無茶です。

出題の意図が不明です。

この問題では、「その場で何とかする機転と、それなりに見える文章を作る記述力」しか測れませんので。

 

例えていえば、どこに投げてくるかわからないピッチャーを相手に、どんな悪球も捕れ、といわれているような?

 

武蔵は良い学校です。私も好きな学校です。唯一無二といっていい武蔵を志望する生徒は、他の学校には目もくれません。そうして武蔵の生徒になることを願って入試に臨んだ生徒の思いにこの問題は応えているといえるのでしょうか。

 

地理統計資料集をそのまま使った問題

表が出されます。

都道府県のところが記号になっていて、産業別人口割合・農産物出荷額・工業製品出荷額等の統計が並んでいます。

これを見て、都道府県を答えさせる、そういう出題です。

そう聞けば、「ああ、あの手の問題ね!」と誰もが思いあたることでしょう。

つまり、それほど「定番」で「頻出」の問題形式なのです。

しかし、私はこのスタイルの問題が大嫌いです。

なぜなら、安直すぎる問題だからです。

「来年の社会科の問題はどうしようかな?」と考えていた社会科の先生が、机上の資料集を手にとって、その表をそのまま写し、都道府県名のところだけを記号に置き換えれば「一丁上がり!」とばかりに簡単に問題がつくれます。

しかも、何も考えずに安直に作られる割には、受験生泣かせです。けっこう解きづらいのです。

私は、中学入試は「真剣勝負」だと思っています。その学校に受かりたいと願う受験生同士の真剣勝負であり、入試問題と受験生の真剣勝負でもあります。

その「真剣勝負」の場に、このような考え無しに適当に作られた問題を出題されるのが嫌なのです。

私はこれを「手抜き問題」と命名しました。

受験生に真剣に向き合っていない「手抜き」問題です。

 

※だいぶ以前ですが、とある学校の入試問題を見ていたら、この「手抜き問題」が出されていました。しかし、統計資料の数字が変なのです。問題を見た瞬間、「あれ? この数字、間違ってないか?」と思いました。統計の形式を見ると、中学校で採用されることの多い出版社の資料集であることはすぐにわかりました。そこで手元にあったその出版社の資料集を確認すると、資料集のほうも数字が間違っていたのです。念のため、その数字の出所である官公庁の資料を確認したところ、この出版社のミスであることが判明しました。出版社に連絡して確認したところ、「うちが間違っていました」と認めましたね。

つまりこういうことだったのです。

◆中学校の先生が、手元の資料を孫引きして問題を作った

◆資料の数字のミスを見抜けないレベルの教師であった

◆統計資料については、最低でも複数の資料集の数字をチェックする常識が無かった

◆統計資料は原典をあたるという常識も無かった

 

私が「手抜き問題」という理由がおわかりいただけたでしょうか。

 

実は、統計資料の出所をあたるとしても、官公庁の数字が必ずしも信用できないというのも常識です。

「どんな立場の人間が」「何を意図して」公表した数値なのか、そこまで考えないとダメですね。

例えば、原発の発電コストを調べていたとしましょう。

原発が最も高コストだというデータを見つけました。確認すると、反原発団体が調べたデータです。

原発が最も低コストだというデータを見つけました。確認すると、電力会社が公表したデータです。

原発推進の施策に基づいて資源エネルギー庁が公表したデータも見つけました。

 

まさに、地理統計データについては、「リテラシー」が求められるのです。

 

小学生が知らない知識を出題する

 

例えば、こんな問題はどうでしょう?

「どこにでも遍く存在するという意味のラテン語。そこから、どこにでもコンピューターネットワークでつながっている状態を示すときに使われるようになった」

もちろん答えは「ユビキタス」ですね。

1990年頃にアメリカの研究者が提唱したとされ、やがて来る「ユビキタス・コンピューティング社会」が話題となったのです。

「そんな社会が実現したら・・・」と夢想が広がりました。

しかし、時代は急速に変化し、すでに実現したといえるようにまでなりました。そのせいなのか、あまり「流行らなく」なったワードのような気がします。

つまり、今では「よほど余裕があれば教えてもいいけれど、とくに教える必要もない」「小学生が知らなくても問題ない」用語といえるでしょう。

これを出題する学校がもしあれば、それは「悪問」です。

 

では、こんな問題があったとしたらどうでしょうか?

「あなたの名前をハングルで書きなさい」

あり得ないですね。書ける受験生もゼロではないでしょうが、限られます。

それでは、ハングルの表記ルールについての説明文が書かれていたらどうでしょうか。

数ページにわたってハングルの書き方がレクチャーされてるのです。それを踏まえて、「あなたの名前をハングルで書きなさい」となっていれば、書くことができると思います。全員とは思いませんが、多くの受験生は正解するでしょう。

しかし、これに何の意味があるのでしょう。

もちろん、ハングルの素養を持つことは素晴らしいことです。隣国に対する理解を深める第一歩となるからです。

しかし、それを入試問題の数十分の限られた時間の中でやることには意味はありません。

つまり、こういう問題は悪問なのです。

 

理想の良問とは

 

これは簡単です。

中学受験勉強をしてきた小学生の学力の範囲を逸脱しないことです。

◆受験生の知識レベルを超えない

◆受験生の思考力・記述力レベルを超えない

 

この2つを絶対条件として、さらにこの条件が加わります。

◆簡単すぎない

◆難しすぎない

◆多すぎない

◆少なすぎない

 

簡単すぎる出題は困ります。

数年前に出題された社会科の問題でこんなものがありました。

「次の中から、日本に無いものを1つ選びなさい」

イラストが4点ほど書かれています。

前方後円墳や寺社のイラストに混ざって、ピラミッドのイラストが描かれているのです。

何度も見直しましたね。

「これは何のトラップなのか?」

「もしかして私が知らないだけで、日本にもピラミッドがあったのか?」

もちろん違います。

いったい何を意図した出題なのか、未だにわかりません。

受験生を馬鹿にするのもたいがいにしてほしいと思います。

 

ある難関校があります。多くの受験生が憧れる学校です。ところが、ここの学校の入試問題レベルは、受験生レベルと合っていないのです。易しいのです。

するとどういうことになるかわかりますか?

満点勝負のせめぎ合いで合否が決まります。1つのミスも許されないのです。

そうすると、偏差値と合否の間の相関関係が崩れます。

普通は受験生の偏差値が上がると合格率も上がります。しかしこの学校の場合、いくら受験生の偏差値が高くなっても合格可能性が5割のまま推移するのです。

 

受験生のレベルに見合った難易度というのはとても重要なのです。

 

以上を最低条件として、学校が入学してほしいと思う生徒を見据えた出題としてほしいのです。

 

「理想の良問」と書きましたが、よく考えてみたら、実に当たり前のことですね。

 

あくまでも、中学受験生が積み重ねてきた学びの延長線上にあることが、入試問題の鉄則であると思います。

 

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