みなさんは、塾の費用をお子さんに伝えていますか?
今回は、この話題です。
皆、塾の費用を知らない
大学生になった卒業生に会うたびにする質問があります。
「君は、塾の月謝がどれくらいだったか知ってる?」
「??」
「知らないの?」
「すいません、さっぱりわからないっす」
「そう。それじゃあ、だいたいどれくらいだったと思う?」
ひとしきり悩んでから、こんな答えが返ってきます。
「毎月ですよね。10万円?」
「20万円くらい」
「50万円かなあ」
「3万円くらい?」
ひどいものですね。
3万円~50万円!
普通の集団塾に通って、月謝が50万円! いくらなんでもこれは阿漕すぎます。
ところで、「あこぎ=阿漕」の語源はご存じですか?
調べてみると、なかなかにおもしろいのです。
私は、「阿漕」という字面から、てっきり中国の故事由来かと思っていました。「その昔、呉の国に阿漕という強欲な金貸しがいて・・・・・」という感じ?
しかし、実は日本の伝説が由来なのだそうです。
津市のHPにはこうあります。
津市柳山津興の住宅街の中に、「阿漕塚」と刻まれた小振りの石碑があります。この塚にまつわるのが、阿漕平治の伝説です。
その昔、阿漕が浦に平治という親思いの漁夫がいました。その母が病にかかり、日に日に衰えていったので、なんとかならないかと困り果てていると、阿漕が浦にいる「やがら」という魚を食べさせれば、回復するという事を耳にするのです。しかし、困ったことに阿漕が浦は禁漁の海でした。悩んだあげく、ついに海に網を入れ「やがら」を母親に食べさせると、元気になっていきましたが、ある嵐の夜、舟に忘れた笠が証拠になって捕らえられてしまい、簀巻きにして海に沈められてしまいました。この平治の怨念を鎮めるために建てられたのが「阿漕塚」です。
なるほど。「阿漕塚」は江戸時代に建てられたものだそうです。見て見たいものですね。
それにしても、泣かせる話ではないですか。
こうした、いわゆる「孝子伝説」は、日本各地にたくさんあります。
岐阜県養老町のものも有名ですね。
「貧しい木こりの青年が、年老いた父親に酒を飲ませてあげたいと願ったところ、岩の隙間から酒が湧き出てきた。それを飲んだ父親が若返った。」
昔の貧しい日本では、生き抜くために親子の情愛が何よりも大切だったのかもしれません。もちろん儒教の影響も色濃いのでしょう。
しかし、これでは、阿漕は親孝行の意になってしまいます。「あいつは阿漕な奴だ」が「あいつは親孝行な奴だ」に?
さらに津市のHPにはこうあります。
この伝説は、『源平盛衰記』にある「伊勢の海 あこきか浦に 引くあみも たひ重れは あらはれにける」という和歌に基づきますが、平治の名前は出てきません。室町時代になり、能楽の謡曲「阿漕」は、伊勢参宮の僧が阿漕浦で老漁夫に会い、阿漕という漁夫が密漁の果て、沖に沈められた物語ですが、平治や母の病、やがらも語られておらず、伝説の基礎が備わっているものの、孝子伝説とはなっていません。
江戸時代になると、浄瑠璃や歌舞伎などに取り上げられ、そのなかで様々に改編、脚色、創作され、芝居に仕組んで「阿漕の平治」を実在の人物のように扱ったことから、孝子伝説に結びついていきました。その後、孝子平治や平治忘れ笠の物語が様々な形で普及していき、今日に至っています。
少し調べた程度では、阿漕が浦で密漁をした男が、親孝行な美談なのか、それとも禁漁区でしつこく魚を獲った「あこぎ」な奴だったのか、よくわかりませんでした。
なんとなくですが。
もともと伊勢神宮御用の禁漁区で密漁を繰り返した男が生きたまま沈められたというショッキングな出来事が伝わり、そこに、いかにもな親孝行美談が後に脚色されて伝わった、そんなところのような気がします。
◆伊勢の海、阿漕が浦に引く網もたびかさなれば人もこそ知れ(源平盛衰記)
◆逢ふことを阿漕の島に曳く鯛のたびかさならば人も知りなん(古今和歌六帖)
豊饒な海なのに伊勢神宮に納める魚しか獲ることが許されなかった阿漕が浦。そこで密に漁をすることも、度重なればばれますよ。とある源平盛衰記の句よりも、秘密の逢瀬も度重なれば人に知られてしまう、と詠む古今和歌六帖のほうが艶っぽくていいですね。
西行法師出家の原因は、待賢門院璋子(鳥羽天皇の中宮)に度重なる関係を迫ったところ、「阿漕が浦ぞ」と言われ振られたことが原因だとか。
閑話休題
子どもたちが塾の費用を全く知らなかった、という話でした。
これはもちろん、親が子どもに伝えていなかったからです。
そこで質問です。
子どもに塾の費用を教えるべきか、それとも教えざるべきか。
子どもに塾の費用はきちんと伝えるべき
おそらく、大多数の親は、子どもに塾の費用などという「生臭い」話はしないのでしょう。無用な心配をかけたくないという親心もあるでしょうし、そもそも子どもに金銭の話をしないという家庭方針かもしれません。あるいは塾代など「端金(はしたがね)」にすぎないのかも。
でも私はこう思うのです。
そこはきちんと伝えるべきではないだろうか、と。
ずいぶん昔の話ですが、今でも忘れられない話をさせてください。
生徒の父親が、私のところに面談に訪れたのです。
塾を辞める、そのことを言いにきたのでした。
わざわざ丁寧にごあいさつにいらしたのですね。
非常に優秀な小6男子でした。このまま行けば、おそらく最難関校への進学の可能性が高い、そういう生徒だったのです。真面目に勉強に取り組んでいましたし、塾の授業も楽しんでいる様子でした。つまり、このタイミングで塾を辞める理由など無いと思われたのですね。
転居かな?
そう思いましたね。それしか理由が思いつきませんでしたので。でも違ったのです。
「実は。お恥ずかしい話なのですが、私の会社が倒産したのです」
この父親は、IT関連の会社を経営していたのです。そして、その会社が倒産した。たしかITバブル崩壊の余波だったと思います。もう25年も前の話です。
「塾も、中学受験もあきらめるしかなくなりました」
塾代も高額ですし、ましてこの子が志望している私立中高に進学すればさらに多額の教育費がかかります。それが負担できなくなったのです。
「息子にはまだ話をしていません。でも、いったいどうやって話したらよいものか・・・・」
膝の上で手を握りしめるようにして、俯いて涙をこぼしました。
生徒の父親の涙を見たのは、後にも先にもあの時だけです。
あの時は、私も本当に胸がつまる思いでした。おそらくは悔しさと情けなさで一杯であろう胸中を察すると、かける言葉もうかびません。
それでも、私はこのようにお話しました。
「息子さんに、全てを打ち明けるほうが良いと思います。彼なら、きっとお父様の状況をきちんと理解してくれるはずです。彼には、それだけの理解力も育っているはずです。それでも、もし彼が納得できずに感情的に反発するようなら、私のところに連れてきてください。僭越ながら、私から彼に厳しく説教したいと思います」
結局子どもは私のところに連れてこられませんでしたので、父親の話と自分の状況をきちんと受け止めることができたのでしょう。
考えてみれば、この生徒も、もう子どもがいる年代になっているのですよね。
きっと、親の痛みがわかる子に育てているのではないかな。
塾の費用については、きちんと子どもも知っておくべきだと私は思います。
何も、それで子どもに恩を着せよう、ということではありません。
「これだけ高い月謝払っているんだから! ちゃんと勉強しなさい!」
これでは品が無さすぎます。
そうではなくて、中学受験が「スペシャル」なことだと自覚してほしいのです。
塾に行かせてもらうのが当たり前、私立中学に行かせるのは親の希望でしょ。
そういう子どもにはなってほしくないのです。