中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

教科書のデジタル化についての私見

教科書のデジタル化にまつわるニュースが注目されています。

数年前から導入が始まっているのに、今さら何のニュースが?

そう思って情報を追いかけていると、どうやら「デジタル教科書」を「正式な教科書」に位置付けることが決まりつつある、そうしたニュースのようでした。

今回は「デジタル教科書」についての私見を書いてみます。

※あくまでも私個人の「私見」に過ぎません。「戯言」として聞き流してください。

デジタル教科書導入の経緯

ここでいつもなら文部科学省の広報を引用するところなのですが、あまりにもわかりづらい文章なので、私が抜粋してご紹介します。

どうやら目的はこの2つのようですね。

 

◆「主体的・対話的で深い学び」の視点からの授業改善

◆特別な配慮を必要とする児童生徒等の学習上の困難低減

 

そして、学校教育法改正により、

「これまでの紙の教科書を主たる教材として使用しながら、必要に応じて学習者用デジタル教科書を併用することができる」こととなったのです。

 

たかだか教科書をデジタル化するだけなのに、法改正まで必要だとは思い至りませんでした。

 

ちなみに、「学習者用デジタル教科書」とは、

「紙の教科書の内容の全部(電磁的記録に記録することに伴って変更が必要となる内容を除く。)をそのまま記録した電磁的記録である教材」のことだそうです。

 

教科書をそのままデジタル化した、というだけですね。

 

◆2024年度から全ての小中学校等を対象に、小学校5年生から中学校3年生に対して英語のデジタル教科書を提供                                                                
◆次に導入する算数・数学やその他の教科については、学校現場の環境整備や活用状況等を踏まえながら段階的に提供

 

まず英語から、というのはわかりやすいですね。英語には音声教材が欠かせませんので。いちいち別の機材を準備せずとも、ページの該当部分をクリックするだけで音声が流れるのは実に便利です。

 

さらにニュースをまとめてみます。

◆文部科学省の中央教育審議会デジタル教科書推進ワーキンググループ(作業部会)が、2025年の2月に、「デジタル教科書」を検定や無償給与の対象となる「正式な教科書」にすることを柱とした中間まとめ案を策定

◆学校教育法などの改正を経て、次期学習指導要領が実施される2030年度から使用する方針

 

なるほど。従来は「紙の教科書の代替教材」だった位置づけを、「正規教材」に昇格するという方針が今年になって決まったのですね。だからニュースによく登場するようになった、とこういうことのようです。

 

この「デジタル教科書」の採用については、各教育委員会が選択できるそうです。

また、一部が紙の教科書、一部がデジタル教科書という「ハイブリッドな形態」もありだそうです。

何かな、この「ハイブリッドな形態」って?

 

私はこの報道を見たときに、ハリーポッターに出てくる新聞を思い浮かべました。紙の新聞の写真だけが動画になっている、あれです。まさかね。

 

どうやら、「デジタル教科書」への完全移行には反対の声が多数あがったので、各教育委員会に丸投げした、ということなのではないでしょうか。

それでも「推進」されるのでしょうね。

日本の教育行政は完全なトップダウンですから。

 

 

紙の教科書ではダメなのか?

そもそもこの根本的な疑問が消えません。

どうして「紙の教科書」ではダメなのか。

 

さて、目的のところにあげられていた2番目の、

◆特別な配慮を必要とする児童生徒等の学習上の困難低減

については良くわかります。

視覚障害者への「読み上げ機能」や「拡大機能」

これはまさにデジタルの面目躍如といった機能です。

また、「学習困難者」への対応もあげられていましたが、これはただ教科書をデジタル化しただけでは対応ができないでしょう。教科書とは別建ての教材が必要だと思います。

 

そしてもう一つの目的はこれでした。

◆「主体的・対話的で深い学び」の視点からの授業改善

なぜこのために、「デジタル教科書」が必要なのかが、頭の悪い私にはさっぱりとわからないのです。

 

むしろ、授業におけるデジタル機器(PC・タブレット等)の使用は、「主体的」「対話的」な「深い学び」にとってマイナスとなる場合がほとんどであることは、少なくとも現場で教育に携わっている方々なら深く同意していただけるでしょう。

 

例えば、産業革命のところに出てくる「ジョン・ケイによる飛び杼の発明」というものがあります。

18世紀前半、まさに産業革命はここから始まったともいえる一大発明です。

しかし、これをいくら言葉で説明したところで、実際に機織りをしたことがない生徒、機織り機を見たこともない生徒には全く想像できません。

 

私の考える、理想的な「主体的」で「対話的」な「深い学び」とはこういうものです。

まず、綿花から糸を紡ぐ体験をさせるのです。

実に面倒くさい地道な作業です。

しかし、この先にはもっと大変な作業が待っています。

機織りです。

簡易的な機織り機でも用意して、実際に布を織ってみましょう。ハンカチ大の布を織るだけでも、どれだけの時間がかかることか。しかも織りあがった布のクオリティはひどいものでしょう。

そうしてみて初めて、布というものの価値がわかるのです。

手工業の時代には、労働集約型の製品として、布の価値が高かったことが実感できます。

◆だから、租庸調の時代には布が税として使われたのか。

◆庸は労役のかわりに布になったというのは、そういうことなのか

◆だから「鶴の恩返し」では、布を織ることが恩返しとなったのか

 

貨幣経済にどっぷりと浸かった我々には、労働の蓄積が価値を生むという概念がありません。こればかりは実体験することに意味があるのです。

 

そして、ここで飛び杼を見せます。

本当は、学校に1台でいいから、飛び杼を使った機織り機があるとよいのですが。

どうやら1台50万円くらいで買えるようですね。

もう見れば一目瞭然、一発でこの発明の凄さがわかります。

眼にもとまらぬスピードで「杼」が文字通り左右に飛んでいますので。

 

「18世紀に、イギリスで産業革命が始まった。工業生産が拡大し、イギリスは世界の工場と呼ばれるようになった」

このように文字情報で学ぶより、はるかに「深い学び」が得られると思うのです。

 

残念ながら、こうした実体験を伴う学びは、私の生息する受験業界では不可能です。

こればかりは、たっぷりと時間がある(と、私の目からは見える)学校でなければできないのです。

 

私としては、せいぜい、旧来の機織り機による機織りの動画と、飛び杼による機織りの動画を見せるくらいしかできません。

それでも、この2本の動画さえあれば、この項の理解は深まるでしょう。

もしデジタル教科書なら、「ジョンケイ、飛び杼」のところをクリックするとこの動画に跳べる、そういうことになるのでしょうか。

しかし、何もむりやり「デジタル教科書」に入れ込む必要もない気がします。文科省が授業で利用可能な写真や動画のアーカイブをつくって、それを学校の先生方が自由に利用できるようにすればすむ話です。

 

授業をする立場からすると、生徒たちが銘々勝手に手元のPCを操作している姿は望ましくはありません。生徒の授業への集中力が明らかに下がるからです。それよりも教師の横に設置した巨大モニターに移した映像を生徒に見せるほうがはるかにやりやすいですね。

 

紙にはないデジタル教科書の活用法として私が思いつくのは、立体図形の切断といった、2次元の紙では表現しづらい項目でしょうか。これならわかります。また、理科の実験について、仮想実験など自在にできるようになれば素敵ですが、さすがにこれはまだ実現はしていません。

 

その他、デジタル教科書は印刷コストを下げられることと、改訂・配本がしやすいというメリットも見かけました。しかしこれは「供給サイド」にとってのメリットであって、生徒側にとってはどうでもいい話です。

 

あとデジタル教科書のメリットとして、鞄の軽量化があげられるかもしれません。

小学生のランドセルが重すぎることについては以前から問題になっていますし、中高生の鞄も、真面目な中高生ほど重そうです。

アメリカのように、教科書は学校に置いてあり、それを借りて授業を受けるスタイルにすれば解消しますが、その場合家庭学習がやりづらいですね。

いっそ、授業貸し出し用の教科書が学校に用意されいていて、配布された教科書は自宅での学習用としたらどうでしょう。そうすれば生徒達は重い鞄から解放されるはずです。

私の知人は、中高一貫校に通う娘のために、学校で配布される教科書と全く同じものを自宅用に一セット用意していましたね。

 

PC・タブレットの性能の問題

 

たしかにCPU性能は上がりました。ストレージも問題ありません。ディスプレイも高性能です。

一方向にページをめくるだけの「読書」なら、紙にこだわる必要はなくなりつつあります。

私も、スマホ・タブレット・PCで読書を楽しんでいます。同じ書籍を、異なるデバイスで読めるのは便利ですから。

しかし、どんなにデバイスが進歩しても、紙の書籍にはかなわないことが2つあります。

1つは、バッテリーの問題です。反射式の電子ペーパーもだいぶ進歩してきましたが、紙に匹敵するモニターは、やはり電力を消費するものしかありません。しかもA4見開き大(A3)以上でないと使い物にはなりませんので、さらに電力を消費します。

しかし、これは学校と自宅に同じモニターを設置すれば解消するかもしれません。

問題は2つ目です。デジタル教科書には、本のあちこちに素早く飛びながら情報を見ることがほぼ無理なのです。

例えば歴史資料集を使って学習しているとしましょう。

「オイルショックの原因は中東戦争か。そもそも何でそんなに何度も戦争しているのかな?」

こうしていきなりイスラム教の歴史から追いかけてみます。

「あれ、イラン革命って、結局どうなったんだっけ?」

また後ろに一気にページを飛ばします。

このように、何度も数十ページ単位であちらこちらを開きながら学習するのなど当たり前です。

デジタル教科書には、残念ながらこれができないのです。

一応様々な工夫もあるようですが、紙の書籍を一気に飛ばし読みするスピード感には全くかないません。

2010年にiPadが登場したとき、これで一気に書籍のデジタル化が加速すると期待されました。それほどの画期的な操作感でしたね。

しかし、結局のところ、デジタル媒体は、紙媒体の補完にしかすぎないというのが私の意見です。

 

それよりも、そんなつまらぬ「デジタル化予算」を、生徒たちが本物に触れ、実体験する授業へと振り向ければ、どれだけ「主体的」で「対話的」な「深い学び」につながることか。

おそらくほとんどの学校の先生方も賛同してくださると思います。

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