よく頼まれるのです。
「私が言っても聞かないので、先生から言ってくれませんか?」
今回はここを考えてみましょう。
それは反抗期?
「反抗期」という言葉がありますね。
私は専門家ではないので詳しく知りませんが、幼児期の第一次反抗期(いわゆるイヤイヤ期?)、そして思春期の第二次反抗期があるそうです。一般に「反抗期」というと、この第二次反抗期を指すようですね。さらいその中間時期の「中間反抗期」というものまであるそうです。
子どもが大人に成長する段階で誰もがとおる時期で、大切かつ必要な時期なのだとか。
しかし、こうした「レッテル」を貼ることは、別の問題を生むような気がします。
◆最近子どもが言うことを聞いてくれない・・・反抗期なのかしら?
◆言葉遣いが乱暴になってきた・・・反抗期なのね
◆口答えするようになってきた・・・反抗期だから
◆イライラして物にあたっている・・・反抗期ね
◆屁理屈が多くなった・・・やっぱり反抗期だ
こうして、「反抗期」というワードでくくることによって、「理解したつもり」になることは危険だと思うのです。
「反抗期だから仕方がない」と達観することもまずいと思うのです。
それは、本当に、必要な「反抗期」なのでしょうか?
反抗期がない子ども
私自身は、子ども時代に「反抗期」などありませんでした。諸般の事情により「反抗期」などという贅沢が許されなかったということもありますが、「反抗」する必要もなかった気もします。
周囲の大人達に聞いてみても、「反抗期なんか無かったなあ」と答える方がけっこういるのです。
◆本当に反抗期は無かった
◆単に忘れている
そのどちらかなのでしょう。
しかし、忘れているくらいなら、大して重要な過程ではなかったのかもしれません。
生徒にもいろいろリサーチしてみました。
もちろんその親にも。
その結果、とくに反抗期と定義されるような時期を知らない子も多いことに気づかされたのです。
「反抗期」が幻想だとまでは言いませんが、中学受験にとってマイナスとなる「反抗期」という語句に惑わされる前に、別の原因と対処についてしっかり考えるべきだと思います。
なぜ親の言うことは聞けないのか?
親であれ他人であれ、人が人のアドバイスを受け入れるには以下の条件が必要なのだと思います。
(1)圧倒的な実力差
私が大人になってピアノを本格的に習い始めたとき、師になっていただいたのは音大を出たての若い先生でした。親子ほども年齢が違います。
それでも、圧倒的なそのピアノの腕前にほれ込んで、教えを乞うことにためらいはありませんでした。
歯向かうことも逆らうこともあり得ません。
このように圧倒的な実力差があれば、人は言うことを聞くものなのです。
(2)適切な指導
言われていることに納得すれば、人は言うことを聞きます。ただしこれは、「正しい」から従うのではありません。「正しいと納得した」から従うのです。
江戸の川柳にこんなものがあります。
その通り だから余計に 腹が立ち
まさに「その通り」ですね。いい得て妙です。
人間は天邪鬼な面が多分にあります。あまりに正論を言われると、聞く気がなくなることなどいくらでもありますね。
(3)適切なタイミング
いわゆる「機会指導」は大切です。
どんな指導でも、タイミングがずれると効果はありません。
「今やろうと思ってたのに!」
よく聞く言葉です。
「今から勉強をさあやるぞ、とその気になっているのに、そこで『早く勉強しなさい!』ってお母さんから言われて、やる気が削がれることってあるよね?」
こう生徒に聞くと、皆がわが意を得たりとばかりに大きくうなずくのです。
「そうそう! うちなんかいっつもそうだよ!」
「あれってやる気が一気に無くなるよね!」
(4)利益が見込める
言われたとおりに従ったら、良いことがあった。
具体的には、その指導で問題が解けるようになったとか、得点が上がったとか、そうした状況が挙げられます。
(5)具体的な指導
「ちゃんとやりなさい!」
「集中しなさい!」
こうした声掛けは無意味です。
「ちゃんとやる」って、どういうことでしょうか?
「集中してやる」とは具体的に?
(6)感情的でない指導
感情的な指導には、感情的な反応しか返ってはきません。
なぜ教師の言うことは聞くのか
もうここまで書いてくれば、わかりますね。
◆圧倒的な実力差
◆入試に対する知識
◆納得できる指導
◆具体的な指導
◆感情の入らぬ、冷静な指導
◆従うことで得点が上がる
これが、塾の教師が生徒に信頼される所以です。もちろん教師に対して「反抗期」の態度を示す子はいません。
子どもの反抗期などそんなもので、人を選んで態度を変えているのですね。
そこに愛はあるのか?
これが最重要です。
我々塾の教師は、これがありません。
感情的にはならず、常に的確な指導をしますが、そこに愛はないのです。
しかし、御家庭は違います。
どんな言葉も、そこに親の子に対する愛があり、そして子どもがそのことを十分に理解してくれるのなら、下らぬ「反抗」はしないと思います。