今年の慶應中等部の国語を見てみましょう。
分析というよりは雑感です。
路傍の石
もう出典をみただけでほっとします。
古典的名著ですね。戦前の作品ですが、小6~中1くらいの年代の子にぜひとも読ませたい作品です。いや、読んでいないとダメでしょう。
過去にも、ときどき中学入試に取り上げられています。その年(あるいは数年以内)に出版された文章を出典として入試問題とすることが多いのですが、何も新しい旬の作家の文章である必然性は無いと思うのです。
申し訳ないですが、今入試に使われるような作家の文章が、50年後、100年後にも読み継がれているかどうかは甚だ疑問です。
さて、路傍の石のストーリーは今さら紹介する必要はないでしょう。
明治を舞台とし、没落士族の父親(これがダメ親父でどうしようもない)のせいで、極貧生活を余儀なくされ、優秀なのにもかかわらず中学校に進学できずに丁稚奉公に出され、さげすまれ苦労しながらも成長していく「吾一」少年の話です。
この小説を今の子どもたちに読ませたいのは、吾一少年の悲惨な境遇を知り、自分たちがいかに恵まれた環境にいるのかを知ってほしいからです。
中学受験をする子たちの経済状況は、日本の平均的な水準を大きく超えて非常に恵まれています。それだからでしょうか、彼らは、少し前の日本が「最貧国」であったことを理解していないのですね。
現代でも、夏休みになると学校給食がないので、子どもにまともな食事を用意できずにこまっている家庭や、給食費が払えない家庭などがあるのです。
「夏休みは、親が昼を我慢して、子どもに何とか1日2食を食べさせている」
「親は昼を小さなおにぎり1個に制限しているが、子どもの食事が1日一食の日もある」
「お腹がすいたと子どもにいわれることが多く、子どもが死んでしまわないか心配」
そんな声がネットにあがっていました。
「吾一」の時代はまだ終わっていないのです。
生徒に「子ども食堂」について説明しているときにいつも違和感を感じます。
誰一人として、理解できていないのです。
家で食事を用意してもらえない子どもの存在が理解できないのですね。
せめて読書体験を通じて、「貧しさ」について考えてほしいと思うのです。
パレスチナ問題
大問2は、普通部同様こちらもパレスチナ問題に関する文章です。
ただし、出典は書かれてませんので、オリジナルの文章のようですね。親子がパレスチナ問題について会話するというもので、国語の問題文というよりは、社会科の文章のようです。
冒頭はこうなっています。
(令和6年夏、羽田空港のお茶漬け屋さんにて海鮮茶漬けを食べながら)
「パパ、私、日本に生まれて本当に良かったって思ってる」
「だって、こんなに心の底からおいしいと感じるものを食べることができるのって、すごく幸せなことだなと思って」
直前の大問1で吾一少年が半年ぶりに丁稚奉公から半日だけ家に戻って、母親のつくったぼた餅を涙を流しながら食べるシーンが描かれているのです。
もしかして国語の先生は狙ったのかな?
パレスチナ問題の背景について、父娘の会話が続きます。文章は社会科の文章ですが、設問はシンプルな国語の問題で、読解は不要なレベルでした。
ただし一問だけ、筆者の言いたかったことを選ばせる設問はどうなんでしょう。筆者って、出題者の国語の先生のはずですから。
正誤問題
・寸暇を惜しまず学問に励む
・あの人は忙しくてとりつく暇もない
・話が煮詰まってきて結論が出た
・私にはこの仕事は役不足ですが精一杯頑張ります。
・彼は熱に浮かされたように研究に没頭した。
なかなかいい線をついてきますね。大人でも誤用が目立つものばかりです。
寸暇を惜しむ
文化庁が毎年16歳以上の数千人に実施している「国語に関する世論調査」というものがあります。調査結果が公表されると、新聞等で報道されることもよくある調査です。
「寸暇を惜しむ」については、2010年と2020年ではこのような変化がありました。
寸暇を惜しんで・・・ 28.1% → 38.1%
寸暇を惜しまず・・・ 57.2% → 43.5%
誤用である「寸暇を惜しまず」を使う人のほうが相変わらず多いですが、減っています。そして本来の言い方である「寸暇を惜しんで」を使う人が増えているじゃないですか。
これは国語教育の成果なのでしょうか? 理由が知りたいものです。
ところで、この調査には他にも
「快く承諾する」ことを「一つ返事」「二つ返事」のどちらを使うかというものもありました。
一つ返事・・・46.4%→37.4%
二つ返事・・・42.9%→52.4%
こちらも誤用が減り、正しい「二つ返事」を使う人が増えています。
喜ばしいことです。
さらに、「がぜん」「破天荒」「すべからく」などの表現も紹介されています。
今後も入試に出題されるでしょうね、きっと。
「とりつく暇もない」
これも有名?な誤用ですね。もちろん「とりつく島もない」が正しいです。まあ漢字で「島」と書かないことがほとんどです。
「役不足」
これも誤用が多いですね。本来は、「自分の力量からすれば軽すぎる役(役目)だ」という意味のはずですが、どうやら「力不足」と混同したのでしょうか。
「君にこの大事な仕事を任せたいのだがね」
「いやあ、社長、自分では役不足ですから」
などという非常に恥ずかしい使い方をしてはいけません。
ただ、問題の
・私にはこの仕事は役不足ですが精一杯頑張ります。
については、ひねくれた解釈をすると、
「私の力量を発揮するまでもないチョロい仕事だけど、私もプロだからね、たとえどんな小さな仕事でも精一杯全力でやりますよ」
となれば誤用ではなくなります。
もちろん正解にはならないでしょうけれど。
煮詰まる
これを出題するんだ。
「煮詰まる」は、文字通り、煮詰まって水分がなくなる状態、つまり徹底的に議論がなされて結論にいたった状態を示します。
しかし、「何か頭が煮詰まっちゃってさ、気分転換に出かけるか」といった使われ方が普通に見られます。
ちょっと古いデータで恐縮ですが、文化庁の例の調査によると、2007年にはこのようになっていました。
おわかりのように、Bの赤いグラフが、「結論を出す段階に至る」という正しい用法で、Aの青いグラフが「議論がこれ以上進まず行き詰る」という誤用です。
言葉は生き物ですので、時代とともに、世代とともに変化します。
まさに「煮詰まる」はその移行過程にあるのでしょう。
◆広辞苑
初版(1955) 水分がなくなる
第2版(1969) ①水分がなくなる ②転じて(中略)結論を出す段階になる
第6版(2008) ①水分がなくなる ②結論をだす段階になる ③転じて(中略)行きづまる
広辞苑は、第6版から③の意味が載るようになりました。
◆大辞林 第4版(2019)
①長時間煮て、水分がなくなる
②十分に議論・相談などをして、結論が出る状態になる
③時間が経過するばかりで、もうこれ以上新たな展開が望めない状態になる
◆日本国語大辞典 第2版(2003)
①煮えすぎて水分が蒸発してしまう。
②議論や考えなどが出つくして,問題点が明瞭な段階になる。
③問題や状態などが行きづまってどうにもならなくなる。
◆三省堂国語辞典 第8版(2021)
「ものごとが限界をむかえ(て、進まなくな)る・・・若い世代では主流の用法」
◆新明解国語辞典 第8版(2020)
「問題の解決処理に行き詰まる意に用いることもあるが、誤り」
同じ三省堂なのに、辞書によって解釈が異なっています。
文化庁によれば、料理を煮詰め過ぎて味が濃くなりすぎたり焦げ付いたりする「マイナス」の経験から、「中身が凝縮していく」という本来のイメージが薄れ、「行き詰る」というマイナスイメージと結びついたのでは、となっていました。
もちろん出題者の意図は、「『話が煮詰まってきて結論が出た』が正しいんだよ」でしょう。その通りですから。
ただし、危なっかしい出題でしたね。
「話が煮詰まってきて結論が出なかった」で正誤問題にしてしまえば、明らかな出題ミスになってしまいます。