今回は、2025年の桜蔭中の国語の入試問題を見てみましょう。
記述問題が多いのはいつも通りでした。
難易度についても、普通の解答で満足するのならそんなに難しくはありません。ただし、他の受験生に差をつけて高得点を狙おうとするとなかなか記述力が要求される、そういう問題です。
ロボットについての文章
大問1は、岡田美智男氏の『<弱いロボット>から考えるー人・社会・生きること』からの出題でした。岩波ジュニア新書です。
実はこの文章は、過去にも、女子学院・海城・山脇等複数の学校で使われていました。
この岩波ジュニア新書のシリーズは、中学入試の素材の宝庫です。
岡田美智男氏は、ウィキによれば
日本の情報科学、認知科学の研究者。豊橋技術科学大学 情報・知能工学系 教授。専門分野は、コミュニケーションの認知科学、社会的ロボティクス、ヒューマン-ロボットインタラクションなど。
だそうです。
要するに、情報系の研究者、ということでよいでしょうか。
実は、氏の著書「『弱いロボット』だからできること」は、東京書籍版の5年生の小学校教科書に採用されています。
気になったので、東京都で東京書籍版の教科書を採用している地区を調べてみました。
国語教科書では圧倒的に光村出版のものが多いですね。公立小学校では49地区採用と、実に91%の占有率です。
東京書籍の教科書を採用していたのは、板橋区・立川市・青梅市のわずか3地区でした。
ちなみに、公立中学校の採択率を見ても、国語は光村が54%と寡占状態です。
別に小学校教科書で同じ筆者の別の文章を読んだからといって有利とは思いませんが、状況を理解する一助にはなったのかもしれません。
さて、文章には「弱いロボット」がいきなり登場します。
「手作りしてきたロボット」
「ゴミ箱の姿をしたロボット」
としか書かれていないので、いったいどういうロボットなのかが今ひとつつかみきれません。「ロボット」と呼べるようなモノであるのかどうかも不明です。
やがて、「移動する能力があるらしい」「センサーがついている」「ゴミ箱になる」「ゴミが入ると上体をかがめる動きをすることがある」と様子がつかめてきて、「空き缶のホイールで作られた車輪」の上に「ランドリーバスケット」をのせただけのものであることが判明します。「ロボット」なのか「ゴミ箱」なのかわからない存在というのがポイントなのですね。
この「ゴミ箱ロボット」を放置しておくと、子どもたちが周囲のゴミを自発的に集めて分別して捨てるようになってくる、そのことについての考察らしきものが文章の骨子です。
実際に「ゴミ箱ロボット」と検索すると、YouTubeに動画が多数あげられていますので、ご覧になってみてください。なるほど、たしかに車輪の上にゴミバケツのようなものが載っていて、わざとよたよたと動くようになっている、ロボットというより「動きの読めない玩具」のようなものです。なかなか愛らしい姿ではあるのですが、筆者の主張するような子どもの様々なものを引き出すことで共存するというほど大げさなものではないようにも思えます。
その他にも「認知症患者が働く『注文を間違える料理店』」と「ハサミ」の例が挙げられていました
問:「注文を間違える料理店」「ハサミ」にそれぞれふれて、これらの具体例に共通する考えを説明しなさい。
これだけでは難しそうですが、文章中に解答につながる部分はほぼ説明されていますので、それをまとめるだけの簡単な記述です。
料理店・・・スタッフの「弱さ」がお客さんの「感謝」を引き出し、心地よい店の雰囲気を作り出す
ハサミ・・・単独では何もできない「弱い」ハサミと、紙や布を断つことのできない「弱い」手が互いの強みを引き出す
このように整理して、字数を調整して膨らませるだけです。
「イザベラ・バードと侍ボーイ」
筆者の植松三十里は歴史小説家です。幕末ものが多いですね。
この作品が他の学校で出題された記憶はありません。もちろん私が知らないだけです。
一般に、歴史小説は出題されにくいジャンルです。社会科で学んでいる「正しい歴史」と「フィクション」である歴史小説の相性が悪いのです。
もっとも「時代小説」は違います。
「歴史小説」が史実に重きを置くのに対し、「時代小説」は過去の時代を背景とした
「小説」ですから。例えば森鴎外の「最後の一句」など、江戸時代を舞台とした「小説」です。これを「歴史小説」とはいいませんね。
さて、イザベラ・バードは、19世紀のイギリスの旅行家です。
カナダ・アメリカ東部
オーストラリア・ニュージーランド
ハワイ
タホ湖
ロッキー山脈
日本
香港・広東
サイゴン
マレー半島・シンガポール
シナイ半島
アイルランド
バンジャブ・カシミール・チベット
ペルシャ
朝鮮半島
中国南部
モロッコ
こうした地域への旅行を行いました。
実はイギリス政府の命による「視察旅行」であり、キリスト教の宣教の可能性をさぐる使命も帯びていました。日本の7か月に及ぶ旅も、旅程はイギリス公使パークスが企画立案したものです。
しかし彼女が高い評価を得ているのは、鋭い観察眼でありのままの現地の姿を記録したところにあります。日本の視察記録も、全2巻800ページを超えるものとなりました。
もっとも、この大著は、簡略版のほうが出回り、「暇な金持ちイギリス人女性の道楽旅行紀」的な受け止め方をされてしまったようですね。
実は報告書の完訳が出ているのですが、私は未読です。この桜蔭の問題文でイザベラ・バードの名前を思い出させてもらいましたので、いつか読んでみたいものですね。
さて問題文は、イザベラバードの視点とそれに対する日本人通訳の誤解がテーマの部分です。記述の問は3つありますが、どれも本文中の記載を上手にまとめることが要求されていました。
ただし、自分の言葉を補ってまとめる必要があります。
問:イザベラが書こうとしている「真実」とはどのようなことですか。村人とのエピソードをふまえて説明しなさい。
イザベラは、貧しく生きるのが精いっぱいの田舎の人々が、覚えたての「サンキュー」という言葉で感謝の心を伝えようとする純朴さに心をうたれます。表面だけ西洋化しようとする都会の日本人よりも、田舎にいる人々のほうにこそ人間としての価値を見出したのですね。
ところで、イザベラ・バードがアイヌの調査を念入りに行ったことは知られています。当時のアイヌのリアルな姿の貴重な記録です。
ただ、そうした成果も、「アイヌに布教する」という目的を考えると、どうにも素直に受け止めにくいのは「裏」ばかり読もうとする私の悪い癖です。