親の海外赴任に帯同し、海外で過ごした子が日本の中学・高校を受験して進学することになりました。
◆合格できるだろうか?
◆ついていけるだろうか?
◆馴染めるだろうか?
どうしても立場上、上の2つの問題についてはずいぶんアドバイスをしてきましたが、3番目の問題についてはなおざりにしてきました。
「まあ、通えば慣れるでしょう」
そんなつもりでいたのです。
しかし、どうもそうとはいえない事例を実はたくさん目にしてきています。
今回はそうした事例を紹介しながら皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
※プライバシー保護の観点から、当事者が見ても自分のこととわからぬレベルまで設定を変えています。ただし、核心部分は事実です。
- ケース1 英語圏3か所で過ごして、高校入試をすることになったA子の場合
- ケース2 非英語圏から帰国したB太の場合
- ケース3 親の期待を裏切り続けたC子の場合
- ケース4 学校の戦略が合わなかったD介の場合
ケース1 英語圏3か所で過ごして、高校入試をすることになったA子の場合
A子は、親の海外赴任に帯同して、ほとんどを海外で過ごしました。日本にいたのは小学校1年生までで、あとはずっと海外、それも英語圏です。
もともと外交的な性格の子でした。大人相手でもものおじせずに話ができる子です。現地の友達も多く、まさに水を得た魚のようにのびのびとした学校生活を送りました。
学校については、現地校に通っていたのですが、最後の1年間だけ、日本人学校をあえて選んだのは親の方針です。
ちょうどA子が高校生のいずれかのタイミングで本帰国することが決まりそうだったのです。そこで、高校入試のタイミングでA子と母親が先に帰国し、いずれ本帰国するだろう父親を待つ、ということになったのですね。
日本の高校に進学するのなら、ある程度は日本の勉強もしておく必要があるだろう、また高校の受験資格を考えると日本の教育課程の学校のほうがよいというのが親の判断でした。
賢明な判断です。
海外帰国生の場合、英語力以外の学力が低すぎて問題となることが多いのです。だから、日本に戻るなら日本の教育を、というのは良い判断でした。
ただしA子本人が、日本の高校受験生レベルまで学力を高めることができたかというと、もちろんそんなことはありませんでした。
A子が進学することになったのは、大学の附属高校でした。A子の学力からすると、進学校に入ったところで大学入試で苦戦することは目に見えていたからです。
幸い、在籍していた日本人学校では最高評価の推薦がもらえました。なにせ学年人数が少なく、教師とも友達づきあいするような人間関係を築けたのが良かったのですね。
こうして楽しい高校生活をエンジョイできるはずだったのですが、挫折はすぐに訪れました。
まったくクラスメイトに馴染めなかったのです。
とくに帰国生が多い学校でもなく、クラスメイトの大半は、「まじめに中学時代を送って高校入試で進学してきた」子たちでした。地味な子が多かったようです。そんな子たちからすると、「日本人のくせにまるでフレンドリーな外国人のようなふるまいをする」A子は浮いてしまったのです。また、A子は男子生徒との距離感も他の子たちとは全く異なりました。「男にべたべたする子」「遊び人」「勉強ができない」「先生に媚びを売る」、こういった誤った評価が生じるのに時間はかからなかったのです。
日本の社会、とくに学校という閉ざされた社会は、「同族意識」が強い社会です。少しでも「異質な存在」とみなされると、居心地が悪くなるのです。
もちろん、こうした傾向は学校によっても大きく異なります。一般的には、学力の高い生徒達の集団ほど、他人のことをそこまで気にする子は少ないように思いますが、まさに学校・学年・クラス次第で大きく変わります。
A子の場合は、A子のキャラクターに会った学校をさがすべきだった、というのが結論になるでしょうか。思い切ってインターナショナルスクールから欧米の大学を目指すというほうが良かったのかもしれません。
ケース2 非英語圏から帰国したB太の場合
B太は、小学生のほとんどの期間を、非英語圏の国で過ごしました。もちろん現地校ではなく、日本人学校に通います。
B太の滞在していた国は日本人があまり多くはなく、日本人学校の規模も小さくレベルも低いものでした。それでも楽しく通い、充実した小学校生活を送っていたのです。
中学生になる段階での帰国が決まりました。そこで初めて日本の教育事情を調べた親は慌てたのです。B太一家が帰国することになるエリアの公立中学は、あまり学力の高くはないとされる中学校でした。学級崩壊の噂も聞こえてきます。そこで慌てて中学受験に舵を切ったのです。
しかし、もちろん間に合いませんでした。B太は英語も話せません。帰国生入試もできないのです。それでもB太を受け入れてくれるレベルの学校は、どうやら定員割れの学校ばかりのようでした。
結局、B太は公立中学に進学することになりました。心配していた中学校の様子も、B太の学力レベルにはちょうどよかったらしく、楽しそうに学校に通っています。
そのことに胸をなでおろした親ですが、やがてやってくる高校受験が心配です。とりあえず通わせることにした塾の模擬試験では、どの科目も100点満点のテストで一桁の得点だったからです。
このケースは、完全に親に責任があります。日本でだろうが海外であろうが、必要な時期にやるべき勉強をさせなかったことが原因だからです。
子どもは健康で真っ直ぐ育ってくれればそれでいい。
これが親の教育方針でした。
もちろん大切なことです。しかし、いずれ日本の教育制度に戻るのなら、きちんとした勉強をさせておく必要性があったのです。
これも一種の「逆教育虐待では?」と思ってしまいます。
ケース3 親の期待を裏切り続けたC子の場合
C子の両親は、二人とも中学受験経験者です。どちらも都内有数の進学校から、最難関大学へ進学し、そこで出会いました。
したがって、子どもができる前から、子どもには中学受験をさせることは規定路線だったのです。
いわゆる「地頭」は悪くない子でした。機転もきくし、幼いころから弁も立ちます。幼稚園からは、小学校受験を強力に薦められました。しかし、両親は中学受験経験しかありませんし、小学校受験で行けるレベルの学校には興味はなかったのです。
小学校低学年から中学受験塾通いが始まります。最初のうちは、親の期待を裏切らぬ好成績だったC子ですが、徐々に成績は低下してきました。
努力ができない子だったのです。
今までは、努力なんかしなくても誰よりも「出来た」ため、努力のしかたがわからなかったのです。
「こんなはずじゃない」
そう思ううちに、今まで歯牙にもかけなかったレベルの子たちに抜かれるようになってきます。
「今回はやってないところが出題されたから」
「ちょっと勘違いして間違えただけ」
「隣の子にカンニングされて気が散ったから」
C子は言い訳ばかりをします。親としてもわが子が優秀ではないなどと思いもしませんので、C子の言い訳をそのまま受け止めます。
やがて迎えた中学受験は、当然のようにほぼ全滅という結果となりました。学力に見合った学校を受験しなかった悲劇です。
しかしそのタイミングで親の海外赴任が急遽決まったのです。
おかげで、C子はプライドを維持できたのです。
「海外に行くことになったので、中学受験はできなかった」という言い訳が成り立ったからです。
そんなC子は、現地の日本人学校では「優秀な」生徒になれました。なにせ周囲は漢字もままならないような子ばかりだからです。
高校入学のタイミングで帰国時期がやってきました。残念ながら、C子の学力で進学できる日本の高校では、本人も両親も納得がいきませんでした。そこでC子が進学したのは、東南アジアにある全寮制の学校でした。英語がたいして話せなくても受け入れてもらえるレベルの学校です。それでも「海外の高校に進学した」というプライドは満たせるのです。
「勉強」から逃げ続けたC子が、この学校でどれくらいのものを「学べる」のかは不明です。
このケースは、「勉強ができないわが子」の現状から目をそらし続けた親に問題があるケースです。もっと早い段階から娘の学力に寄り添ってあげればよかったと思うのです。「努力すること」の価値を娘に教えられなかったのが残念です。
ケース4 学校の戦略が合わなかったD介の場合
D介は英語圏からの帰国生入試で中学に進学しました。
最近大学実績を伸ばしていると評判の進学校です。
入学案内やHP,そして説明会等でも、「グローバルな」教育、帰国生の多さが謳われており、英語圏で過ごしたD介にも合いそうだと思われました。
しかし、入学した後に、それが誤解であったことに気づきます。
華々しく思えた海外大学実績も、ほんの数名の優秀な帰国生が稼いだ数字でした。帰国生枠で入学してきた生徒達に求められていたのは、とにかく日本の有名大学の合格実績を稼ぐことだったのです。
帰国生たちのほとんどは、英語以外の学力は一般受験で入学してきた生徒たちに遠くおよびませんでした。
補習や宿題などで追い詰められ、クラブ活動にも参加できない毎日が待っていたのです。
このケースは、学校選びに失敗したのが原因です。「魅せ方」に長けた学校の真意を見抜けなかったのですね。一般に、入学者のレベルが高い学校ほど、生徒たちの学習に寛容なものです。そんなレベルに達していない生徒達を集めて大学実績を出そうとすると、どういう教育内容になるのかは予想しておくべきでした。
「ガンガン鍛えてもらって〇〇大学を目指すぞ!」という気持ちで進学すれば良い学校になったと思います。何となく海外の学校のような、明るいキャンパスライフを期待していたのが間違いだったというべきですね。
気を付けるべきこと
進学した学校に馴染めるかどうかは、国内一般受験生も海外帰国生も変わりません。
それなのに、帰国生に「馴染めない」生徒が多いとすれば、以下の理由が考えられると思います。
◆基礎学力に差があり過ぎる
中高生にとっての学校における価値観は様々ですが、大きな要素として「学力」があげられます。勉強が出来る生徒は一目置かれるのですね。それは無理もありません。彼らはその学校に合格するために、厳しい競争を戦い抜いてきたのですから。したがって価値観の大きな部分を「勉強」が占めることはある意味当たり前ともいえるでしょう。
その「勉強」ができもしないのに「目立つ」行動をとることが、どのような評価につながるかは容易に想像がつきます。
せめて「勉強」が他の一般受験生と同等レベルであることは重要です。
◆空気を読めない
これは難しいところですね。学校のみならず、日本の社会では「空気」を読むことが常に求められるのです。「空気を読む」ことを子どもに強要するのが嫌というのなら、「周囲への気遣い」と言ったほうがよいかもしれません。周囲に不快感を与えないように言動や服装に気を遣うのも大切だというのが日本社会の根底にあるのですね。
時には自分の本音や主張を隠すことも必要かもしれません。
◆嫉妬される
これは本人の責任ではありません。中学入試でも高校入試でも「帰国生枠」が有利であることは知られています。自分たちが必死に努力して合格した学校に、たまたま親の仕事の都合で海外に行っていたというだけで「有利」な条件で入学している生徒に向けられる視線が厳しくなることもあるでしょう。人気のアトラクションに何時間も並んで良い席をとろうとしているのに、横の優先入口から入る人を見かけたようなものでしょうか。
「英語ができてすごいね。羨ましい」という賞賛の陰には別の感情もあることはしかたがないのです。
◆学校の情報不足
海外にいることで、日本の学校についての調査が甘くなっています。
学校が発信する情報を基本にするのは当然ですが、公式HPや入学案内では、どの学校も「見栄えの良い」「よそいき」の内容で飾ります。その厚化粧の下の素顔を見極めることが重要なのです。
例えば、受験結果や学年生徒数推移を丹念に調べるだけでも、「入学辞退者が多い」「途中退学者が多い」といった情報は得られます。校長や理事長の来歴を調べるだけでも、耳障りの良い教育方針が本物であるかどうかは判断できます。使われている教科書を調べると、グローバルを標榜している学校が「歴史修正主義」に基づく教科書を採用していることがわかるかもしれません。
海外にいるからこそ、学校情報の収集に全力を注ぐべきでしょう。