言わずと知れた人気校です。
難関校でもあります。
よく考えると、この学校を単独でまとめたことがなかったので、今回の記事となりました。
※この学校を持ち上げる意図も貶める意図もありません。なるべくフラットな視点を心がけていますが、私の主観が混ざることは排除できません。ご容赦ください。
学校について語ることの難しさ
いつだったか、何かの場で、カトリック女子校のエピソードを紹介したのです。昼のお弁当は、仲良し同士机を囲んで食べることは禁止されていて、皆前を向いて自席で食べると。
これは、その学校の卒業生から直接聞いたエピソードでした。
すると、一人の母親から、「そんな学校ではありません!」と強烈なクレームをいただいたのです。ご卒業生なのだそうです。
◆卒業年度やクラス、さらに個人によって事実は異なる
◆こんなささやかなエピソードですら気分を害する人がいる
今回の私の記事でも、「そんな学校じゃない!」という受け止め方をされる方もいることでしょう。
そこで、今回の記事については、以下の5点だけを書こうと思います。
◆私が直接見聞した内容・・・1次情報
◆教え子・その保護者から聞いた話・・・2次情報
◆学校が発信している情報・・・1次情報
◆信頼できるソースから得た情報・・・2次情報
◆私個人の抱いた感想
最期の「私の感想」については、ただの戯言としてスルーしていただいてかまいません。
海城の歴史
いつものように、学校の歴史を見て行きましょう。
明治24年11月(1891年) 古賀喜三郎私財を投じて麹町に海軍予備校を創立
明治33年 4月(1900年) 海軍予備校を海城学校と改称
明治39年 3月(1906年) 海城中学校発足
昭和 2年 3月(1927年) 豊多摩郡大久保町(現在の地)に移転
昭和22年 4月(1947年) 新制 海城中学校発足
昭和23年 3月(1948年) 新制 海城高等学校発足
平成元年 3月(1989年) 2号館(旧本館)建替工事 竣工
平成 2年 9月(1990年) 体育館・柔道場・剣道場・プール・部室 竣工
平成 3年 9月(1991年) 食堂棟 新築工事 竣工
平成23年 4月(2011年) 高校募集を停止し、完全中高一貫化
平成27年 9月(2015年) 人工芝グラウンド竣工
令和3年7月(2021年) Science Center(3号館)竣工
令和5年4月(2023年) 大迫弘和 校長に就任
創立者の古賀喜三郎氏は、旧帝国海軍少佐で、雅子皇后の高祖父(ひいひいおじいさん)にあたる人物です。
「海軍予備校」というワードからは、何とも前近代的とでもいうべき「戦争の匂い」がしますが、これについては注意が必要です。
戦後教育を受けてきた私たちは、「日本軍」「戦争」という言葉からは、「関東軍」「南京大虐殺」「バターン死の行軍」「神風特攻」「沖縄戦の住民虐殺」といった物騒な事象が連想されます。しかし、その多くは「陸軍」にまつわる事象であり、陸軍と海軍はだいぶ異なったと認識すべきでしょう。
これについては、理事長の古賀喜博氏の言葉を、少々長いですが引用します。この方は創立者のひ孫です。
創立者古賀喜三郎(1845-1914) は、幕末から明治維新へ、そして19世紀から20世紀へと変革の時代を駆け抜けた人物でした。
佐賀藩の若き軍人として活躍していましたが、文久4年20歳の時、藩の修習生として長崎に来航していた英国軍鑑に派遣され、英国海軍士官からの教育を受ける機会を得ました。また明治13年36歳の時には北米への遠洋航海に従事し渡米、我が国と米国の圧倒的な国力の差を、身をもって体験しました。
このような経験から世界に眼が開かれ、多くの人々が藩という意識のまだ強い時代に、国家としての日本を意識しました。そして、我が国が世界の国々の中で発展してゆくためには、優秀な人材を育成することこそが急務だと考え、海軍を退役して海城学園の前身である海軍予備校を設立しました。
創立者は藩を超えて国家を意識しましたが、今21世紀を生きる我々は、国家を超えて地球を意識しなければなりません。将来解決すべき課題は、国家の枠を超えて地球規模の広がりをみせているからです。地球上に存在するあらゆる生物が、将来にわたって安心安全に生存するための準備は、今から始めなければなりません。
では、我々は今何をするべきなのでしょうか。海城学園は、時代や他者に流されるのではなく、自分で考え、自分で判断し行動する人間、すなわち安心して未来の地球を託せる人材を育成します。
それが海城の教育の目的「新しい紳士」の育成です。
「フェアーな精神」で物事を判断し、「思いやりの心」で人に接する。
「民主主義を守る意思」を強く持ち、「明確に意思を伝える能力」に溢れている。
人間としての品格を身につけた、未来の地球のリーダーです。海城を巣立った「新しい紳士」達が地球社会で活躍するとき、未来の地球は希望に満ちた星として輝いていると確信します。
海城学園は、創立者の精神を日々進化させながら、将来にわたって脈々と受け継いでまいります。
実は、理事長のメッセージに続き、校長のメッセージも載せられています。興味深いのでこちらも引用します。
君よ 豊饒の大海原へ漕ぎいだせ
帆を上げよ
君
柔らかな海風を受ける帆船の帆を
漕ぎいだせ
君
世界を解き明かすのだ
肉と心を躍動させ
裂けたシャツを自恃とせよ
君は
今
豊饒の大海原に漕ぎ出す
未知なる多様性と邂逅するために
彷徨せよ
君
咆哮せよ
君
神々も
照覧あれ
多様性の唸る波頭に抗う君を
豊饒の大海原では
ポセイドンも
君に微笑むだろう
うねりに
嘔吐せよ
君
それも知恵だ
恥じることなどない
凪だ
見上げよ
雲間のかなたから
二十億光年の光が君を射る
君に
命が重なり
君はもう
一人ではない
君はさらに逞しくなり
母は君を誇るだろう
漕ぎいだせ
君
怖れるな
ただ傍らの友を信じよ
君は
新しい紳士となり
地球を救済するのだ
いきなり詩とは珍しいですね。
でも、とてもわかりやすい詩です。
実は校長の大迫弘和氏は、詩人でもあるのです。
略歴を朝日新聞の記事から引用します。
教育者、詩人。東京大文学部卒業。これまで千里国際学園中等部高等部校長・学園長、Chiyoda International School Tokyo学園長、武蔵野大教育学部教授、都留文科大特任教授、広島女学院大客員教授、神戸親和女子大(現・神戸親和大)客員教授、文部科学省国際バカロレア日本アドバイザリー委員会委員、東京都英語教育戦略会議委員等を歴任。23年4月から海城中学高校の第14代校長に就任。
日本でのIB(国際バカロレア)の普及につくしていた人物です。
こうしてみてくると、海城という学校の目は外に向かって開かれていることがわかりますね。
教育理念
学校公式HPから、抜粋の形で引用します。
リベラルでフェアな精神を持った「新しい紳士」の育成
「リベラリズム(自由主義)」・・・ただし、それはなんでもありの「自由至上主義(リバタリアリズム)」としてではなく、「自由」の前提に「公正さ(フェアネス)」を位置付ける「公正基底的リベラリズム」の立場として発展
国家・社会に有為な人材の育成
グローバル化が進んだ国際社会、価値観が多様化した日本の成熟社会において「有為な人材」とは、「新しい人間力」と「新しい学力」をバランスよく兼ね備えた人材であると考えています。
新しい人間力
「新しい人間力」とは、対話的なコミュニケーション能力とコラボレーション能力を兼ね備えた力のことです。これからの社会においては、異質な人間同士が関わって生きていき、また、異質な者同士が集まってお互いの良いところを引き出し合い、高いパフォーマンスを生み出していく、共生、協働の力が求められます。それこそが本校の唱える「新しい人間力」です。新しい学力
「新しい学力」とは課題設定・解決能力です。システムが複雑化した現代社会には、解決困難な問題が山積しています。こうした問題には、記憶重視の知識獲得型の学力だけではなく、自ら課題を設定し、情報を収集・分析して価値評価し、何らかの解を導き出し、それを分かりやすく人に伝える統合的な能力が必要です。本校ではそうした課題設定・解決の能力を新しい学力の中心に位置づけ育てています。
・自由・・・ただしなんでもありの自由は否定
・紳士
・有意な人材の育成
・コミュニケーション力重視
・リテラシー重視
私はこのように理解しました。
自由至上主義を否定しているあたり、もしかしてあの学校を意識しているのか?などと思わず勘ぐってしまいました。
ところで、自由至上主義は、「 libertarianism」ですので、「リバタリアニズム」と表記します。学校HPのように「リバタリアリズム」とは書きません。
海城さん、間違えましたね。
大学実績
1年ごとにグラフ化するとあまりにも見づらいので、5年移動平均でグラフ化しました。
直近6年については学校公式HPのデータが使えましたが、それ以前については孫引き情報ですので確度は低いです。ただし、そう大きく間違ってはいないと思います。
2000年前後から、実績については頭打ち傾向が見られますね。
早慶に流れたということもなさそうです。
◆医学部に流れた?
◆地方に流れた?
◆他校に奪われた?
このいずれなのかはわかりません。
適正な大学実績に落ち着いた、と私は判断しています。
320名前後の卒業生で、50名前後は東大に受かる、押しも押されぬ進学校には違いありません。
ところで海外大学合格実績は、1→1→13→20→7→12となっています。
渋谷渋谷の海外大学実績を見てみると、30→37→34ですね。
どうやら海城は、現段階では海外大学志向は強くないと考えてよさそうです。
※注意
海外大学進学実績については注意が必要です。
日本の大学受験とは異なり、ほとんどの学校で願書・成績・エッセイ・TOEFLスコア等の提出だけで決まります。
したがって、多くの大学へ出願するのが常識なのです。
統計データはありませんが、10校程度出願するのは普通です。
しかも、日本の大学受験のように、「〇〇大学に合格したから△△大学の受験はしない」ということにもなりません。
ほんの2~3名の生徒だけで、20以上もの合格実績を稼ぐことも可能です。
また、海外大学への合格には、大きなハードルがあります。それは、高校側のノウハウです。
各大学のアドミッションオフィスの状況を把握したり、エッセイの添削指導をしたりと、日本国内の大学入試には無いスキルが必要なのです。
こればかりは、アメリカのボーディングスクールあたりから専門家を招聘でもしないとなかなか難しいと思います。
優秀な生徒がいるから海外大学実績が出るというわけでもないのですね。
環境
最寄り駅は新大久保です。
十数年前まではロッテの工場と線路にはさまれた道を、ペパーミントガムの香りをかぎながら通学したものです。
正直言って、恵まれた環境であるとはいえません。
新大久保周辺は、微妙すぎるエリアです。
もっとも、西早稲田からアクセスするのなら、早稲田大学の横を通り、戸山公園を抜けるので悪くないですね。
校地面積は、開成・麻布・駒東などと同じくらいだと思います。
広くもなく狭くもなく、といったレベルですね。
入試問題
この学校を語る際に特筆しなくてはならないのは入試問題です。
完全に思考力・記述力に振り切った出題なのです。
これだけを見ても、この学校の求める生徒像がわかります。
正直言って、以前の(20年以上前)入試問題は、そんなに上質というわけではありませんでした。
社会科など、無理やり記述問題にしたなあ、という印象だったのです。
しかしいつの頃からか、とても良い思考力問題となっていたのです。
学校は、HPで過去問を公開しています。
しかも7年分も!
太っ腹です。こうした姿勢は素晴らしい。中学受験には過去問対策は欠かせませんし、入試問題は学校から受験生へのメッセージですからね。これを公開するのは当たり前だと私は思うのですが、現実にはマイノリティなのです。
しかも、模範解答まで公開しています。
自信の表れなのでしょう。
この姿勢を私は高く評価します。
思い出
ちょうど海城が大学実績を出し始めた頃、いわゆる「塾関係者向け説明会」に参加したことがあります。
ドーム型天井から光が入る明るい体育館でした。
その時、どこかの塾の先生が、こんな質問をしたのですね。
「複数回受験をした生徒への優遇措置はありますか?」
いわゆる「熱意組」とよばれる受験生への優遇措置は、複数回入試を実施している学校では珍しくありません。学校だって、第一志望としてくれる生徒を取りたいのです。
もっともこれは、「その熱意を評価します」という意味よりも、「確実に進学してくれる生徒としてカウントできる」という意味だと考えるべきでしょう。
学校によっては、はっきりと下駄をはかせる得点を公言するところもあります。
さて、件の質問に対して、学校の先生(教務主任だったか入試担当責任者だったか)が切れたのです。
「うちはそんな優遇措置など一切ありません!」
あまりに強い物言いに驚きました。会場の空気が一気に冷えたのを覚えています。
おそらくは、「そんな優遇措置で生徒を集めるような下賤な学校と一緒にしてくれるな!」という意味だったのでしょう。
「なんとまあ、プライドが高く上昇志向の強い学校だなあ」というのが私の率直な感想でした。
複数回入試を行っている以上、「他校を受験した優秀な生徒」を取りにいっていることは明らかです。おまけに帰国生まで取り込もうとしているのです。
別にそれだからといって、学校の価値が下がるわけでもないと思うのですが。
実は、開成・麻布・武蔵・駒東・早稲田中・慶應普通部といった、1日のみの1回入試を実施している学校は、「その学校を第一志望としている」生徒のみが集まります。まあ蔭の志望校として3日の筑駒を考えている生徒がいるくらいですね。
それに対して、複数回入試や2日以降の入試日の学校には、「本当は第一志望ではなかったけれど、仕方がなく進学してきた」生徒が一定数存在します。
こうした生徒、リベンジ組ともよばれる生徒は、挫折を知っているだけに、中高で勉強を頑張ります。
中高時代、勉強に邁進するのは良いですね。
教え子の中にも、「むしろ第一志望じゃなくて海城で良かった」と前向きな感想をもらした生徒もいます。大学受験に成功した後に聞きました。
そこも含めてこの学校を評価したいと思います。