今回は、小学生が(中高生も)みんな苦手としている詩の読解について考えたいと思います。
なぜ詩が苦手なのか?
詩の文章は、難しい語句が出てきません。
漢語由来の熟語も少ないです。
ひらがなだけで書かれた詩も珍しくありません。
読んで「難しくて読めない!」となることはまずないでしょう。
それなのに、なぜか苦手なのです。
おそらく、それはこんな理由なのだと思います。
(1)苦手意識が先入観となって邪魔をする
最初から、「うわ、詩だよ!」と腰が引けています。
国語の読解は、腰が引けたら負けですね。
「何としても読み解いてやろう!」
「僕に読めない文章などない!」
くらいの自信過剰な精神状態もまた必要なのだと思います。
(2)主題がわからない
物語文なら、何かの事件・ドラマがあります。そしてそれをきっかけとして登場人物の人間関係が動き出したり、心理状態が変化します。そこに注目すると、文章の主題が見つけやすいのです。
しかし、詩はそうはいきません。そもそも主人公なんているのか?
(3)詩を読んだ経験値が低すぎる
詩集を愛読している小学生(&中高生)、今やみかけませんね。
いや、昔からマイノリティです。
読んだことがないのだから、読解もできない道理です。
やはり多くの文字に触れることでこそ、読解力は向上します。
(4)感性がとぼしい
詩の世界にひたる感性がない。
アニメ・ゲーム・コミック。
子どもたちは感性の発達を阻害するものに囲まれています。
せっかく感性の芽があったとしても、自分にはないと思い込んでしまう。
(5)詩の読解には意味がないと思っている
詩なんて、作者の感覚を書いただけでしょ。それを読解するのって意味ないよね。
そうですね、たしかに意味はないかもしれません。
詩は、なんとなく感じられればそれでいい、と私も思っています。
でも問題として出題されている以上、読解せざるをえないのです。
(6)言葉を大切にする習慣がない
「はじめに言葉ありき」
言葉を大切にする思いこそ、全ての読解の基本です。
ちなみに、この「はじめに言葉ありき」は、ただ単純に「言葉」の重要さを示しているものではないようですね。
どうやらギリシア語聖書では、「はじめにロゴスありき」となっているようです。
「ロゴス」、この語句は難しいのですよね。
古代ギリシア哲学で重要な語句なのですが、何度調べてもさっぱりとわかりません。
森鴎外によると、 語(ことば)・ 意(こころ)・ 力(ちから)・ 業(わざ) といったものらしいのですが、わかるような、わからないような。
読解例
ここで、読解する詩の例として、まどみちおの「ぞうきん」をとりあげてみましょう。
中学校教科書でも見かける詩です。
また、まどみちおの詩は小学校の教科書にも登場しますね。
「ぞうさん」「やぎさん ゆうびん」「一ねんせいに なったら」「ふしぎな ポケット」などが有名です。
どれも、タイトルを見ただけで、詩とメロディが浮かびますね。
「ぞうきん」もやさしい詩ですので、読解しやすいはずなのですが。
ぞうきん
雨の日に帰ってくると
玄関でぞうきんが待っていてくれる
ぞうきんでございます
という したしげな顔で
自分でなりたくてなったのでもないのに
ついこの間まではシャツでございます という顔で
私に着られていた
まるで私の
ひふででもあるように やさしく
自分でそうなりたかったのでもないのに
たぶん もともとはアメリカか どこかで
風と太陽にほほえんでいたワタの花が
そのうちに灰でございます という顔で灰になり
無いのでございます という顔で
無くなっているのかしら
私たちとのこんな思い出もいっしょに
自分ではなんにも知らないでいるうちに
ぞうきんよ!
この詩は5連からなっています。
物語文の読解と同じ手法を使ってみましょう。
◆物語の舞台・・・家の玄関、他
◆登場人物・・・ぞうきん、自分
◆季節・・・不明、雨の日
◆場面転換
第1連・・・雨の日の家の玄関 ★現在
第2連・・・ついこの間
第3連・・・だいぶ昔、アメリカ(筆者想像)
第4連・・・少し先の未来
第5連・・・現在、呼びかけ
時間が動くとき、舞台も変わります。
これを、時間軸にそって再構成しましょう。
①アメリカの綿花畑で風と太陽を浴びて綿花が育った
②遠い異国の地で、不本意ながらシャツになって、「私」の皮膚を優しく覆う
③さらにシャツから不本意ながらぞうきんになって、雨の日の「私」を玄関で出迎えた
④やがてぞうきんは、捨てられ燃やされ灰になって消えて無くなるのだろう
こんなストーリーが展開されているのです。
「ぞうきん」に、そこまで感情移入して優しい視線を向けられるのも、さすが詩人の感性というべきでしょうか。
このように、普通は見向きもされない、あるいは当たり前すぎて気づきもしない物にも丁寧な視線を向けるというのも、詩特有の特徴だと思います。
◆筆者は、なぜ「ぞうきん」に注目したのか
◆ぞうきんは筆者にとってどのような意味があったのか
◆ぞうきんに目を向けることで、筆者は何を言おうとしたのか
このあたりに着目するのが読解のポイントでしょう。
物語文の読解と変わるところはありません。
詩の読解トレーニング
詩の読解は、一字一句を大切にあつかうことが鉄則です。
そもそも短い表現形式なので、1文字たりともおろそかにはできないのです。
冷たい雨が降ってきた
冷たい雨も降ってきた
冷たい雨は降ってきた
つめたい雨がふってきた
つめたい あめがふってきた
つめたいあめ ふってきた
表記を少し変えるだけで、ニュアンスが変化します。
こうした詩の読解トレーニングにお勧めなのが、「俳句」です。
わずか17文字の文字列に思いや情景描写を込める俳句は、詩の読解入門編として最適なのです。
まずは、松尾芭蕉からはじめ、小林一茶や与謝蕪村、そして正岡子規。
古典的名句は、多くの専門家が詳細に分析しているので、素材として扱いやすいのです。
まずは親子で句を「声を出して」味わい、いったいどういう句なのか議論し、そのあとで専門家の解釈を見る、そんな流れで学ぶのがよいですね。
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