中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

中学受験・高校受験に役立つ わかりやすい文章とは?

今回は、シンプルに「わかりやすい文書」の書き方について考えます。

 

世の中には読みにくい文章が溢れている

 

なぜ、そんなふざけたことまで筆記しなければならないの? と「かれ」の口述を書きとめている「遺言代執行人」がいう。「かれ」は現在の時間をしか「かれ」と共有していないところの他人どもを、「かれ」と共にこの世界を生きる人間として認識することなどいっさい止めてしまったので、それが「かれ」の妻なのか、看護婦なのか、あるいはただ「かれ」の語るところのことを記録するためにのみ、政府及び国連から派遣されてきている、公的な「同時代史」の記録者なのかをつまびらかにしようとせず、それを気にとめてすらもいない。

 

さて、どうでしょう?

じつに「読みにくい」文だと思いませんか?

これは、大江健三郎「みずから我が涙をぬぐいたまう日」の冒頭近くの一部です。

大江健三郎の文が「読みづらい」ことは有名ですが、徹底した書き直しが原因であるとも、文体の癖だともいわれています。

 

しかし、いかに読みづらさを感じたとしても、「だから大江健三郎は頭が悪いのだ」と言う人は皆無です。

この「読みにくい」ことを含めての高い評価となっているからです。

 

しかし、残念ながら、多くの人が書く文書は異なります。

高名な学者であったとしても、必ずしも「文章の達人」とはいえません。理系・文系を問わず、日頃専門家や聡明な大学生・研究者を相手にしている故なのか、「読みやすく」親切に書くことができないのかもしれません。

 

誰が書くのかが重要

 

仮にいかに読みづらい文章だとしても、それを書いた人物によっては、高い評価を得る、そんなことは当たり前にありますね。

とくに専門家とよばれる人が書いた文章なら、読みにくいなどと批判の対象になることはありません。読み手が頑張って努力して意味をくみ取ろうとするからです。

 

しかし、小中学生の書く文章ではそうはいきません。

読み手=学校の先生は、そんな斟酌をするはずもないのです。

むしろ、粗さがしをするつもりで読むのです。

 

冗長な文は嫌われる

 

これは私も深く反省するところです。

とかく私の書く文書は、長くてくどいのです。

 

小中学生が受験で書かねばならない文章は、字数の制限がタイトです。

言うべきことをいかに簡潔に書くか。

ここに心を砕かなくてはなりません。

 

Q:石油危機が日本に与えた影響を説明しなさい。

 

A:「1973年と1979年の2度にわたる石油危機は、それぞれ第4次中東戦争イラン革命をきっかけとして、産油国が石油の価格を引き上げたことや、産出量が制限されたことが原因となって引き起こされた。それまではセブンシスターズとも称される、エクソン、モービル、ガルフ、ロイヤル=ダッチ=シェルといった7大国際石油資本が石油の開発・精製・流通・販売を牛耳っていたものが、石油危機をきっかけとしてOPEC石油輸出国機構に主導権が移ることとなった。日本は石油資源のほとんどを輸入に頼っていたため、物価高や、戦後発のマイナス成長など経済への打撃が大きかった他、トイレットペーパーパニックのような騒動も引き起こされることとなった。また、それまでの製鉄や造船を中心とした、いわゆる重厚長大型産業から、自動車や電気機械のような軽薄短小型の生産へと産業構造が大きく変化するきっかけともなり、1980年代の貿易黒字につながることにもなった。」

 

長い! 407文字も書いてしまいました。

原子力発電に力を入れるようになったことや、それが後の福島原発事故の遠因になったこと、また環境保護活動が活発になったり、省エネという言葉が生まれたことなど、他にも書きたいことがいくらでもありますので、調子にのって書いていると無限に文字数が増大しそうです。

 

前半のセブンシスターズのくだりは不要ですね。また、トイレットペーパーパニックも、おもしろい話題ではあるのですが、不要です。

物価高・マイナス成長・産業構造の変化、この3点を押さえれば十分です。

それで200字以内、たぶん100字には縮められると思います。ちょっとやってみますか。

 

A:「1970年代の2度にわたる石油危機は、石油価格の高騰による物価高をまねき、経済のマイナス成長をもたらした。しかし、製鉄や造船といった産業から電気機械や自動車等の機械工業中心へと産業構造も変化した。」

98文字でまとまりました。

 

ふと思いついたので、Chat GPTにも聞いてみました。

石油ショックは、特に日本経済に多大な影響を与えました。1970年代の2度にわたる石油ショック(第一次石油ショック:1973年、第二次石油ショック:1979年)は、原油価格の急激な上昇とそれに伴うエネルギー価格の高騰が引き金となり、世界経済を揺るがしました。日本は当時、ほぼ全ての原油を輸入に依存していたため、その影響は特に大きかったです。以下に主要な影響を挙げます。

1. インフレーションと物価上昇
石油の価格上昇により、輸送や製造業をはじめとする多くの産業がコスト増となりました。その結果、物価が急激に上昇し、特に食料品や生活必需品の価格が高騰しました。これにより国民の生活水準が低下し、インフレーションが深刻化しました。

2. 経済成長の鈍化
1970年代初頭、日本は高度経済成長期を迎えていましたが、石油ショックはその成長を大きく鈍化させました。エネルギー価格の上昇によって生産コストが増加し、企業の競争力が低下しました。また、輸入原油の価格が高騰したため、貿易赤字が拡大し、外貨準備も減少しました。

3. エネルギー政策の転換
石油ショックを受けて、日本はエネルギーの多角化を進める必要性を強く認識しました。それまで石油依存が高かった日本は、石炭、天然ガス原子力などの代替エネルギーを積極的に導入し、エネルギー供給の安定化を図りました。特に、原子力発電所の建設が加速しました。

4. 自動車産業への影響
日本の自動車産業は、当時の石油価格高騰により、燃費性能の向上を求められるようになりました。これを受けて、日本の自動車メーカーは燃費効率の良いコンパクトカーを次々と開発し、国内外で大きなシェアを獲得することとなりました。この変化が、日本の自動車業界の国際競争力を高めるきっかけとなりました。

5. 政治的・社会的影響
石油ショックによる経済への影響は政治にも波及し、政府は経済対策や物価安定政策を打ち出しました。また、石油価格の高騰はエネルギー問題や環境問題に対する関心を高め、エコロジー運動の高まりとも関連しています。社会全体でエネルギー消費の効率化を進める動きが強まりました。

6. 貿易構造の変化
日本は輸入原油の価格高騰によって、貿易収支の改善が求められました。これにより、輸出の増加が必要となり、さらに日本企業は高付加価値製品の輸出を強化し、技術力を駆使して競争力のある製品を生み出しました。

総じて、石油ショックは日本経済に短期的には大きな打撃を与えましたが、その後、日本はエネルギー効率の向上や新技術の導入、産業構造の転換などを通じて経済の立て直しを図り、結果的には経済大国としての地位を強化する要因となりました。

 

長い!

1108文字です。

 

それでも、項目立てしあるため、読みにくくはないですね。

 

今度は、100字以内と指定して書かせてみましょう。

 

石油危機は日本経済に物価上昇やインフレを引き起こし、経済成長を鈍化させました。エネルギー供給の多角化が進み、原子力や省エネ技術が強化され、自動車産業は燃費効率向上に注力しました。

 

89文字です。

知識を詰め込みすぎの傾向はありますが、悪くはありません。

もし生徒がこの解答を出してきたら〇をつけてあげましょう。

 

それにしても、久々にChatGPTに書かせたのですが、ずいぶん進化してるじゃないですか!

確か去年は、こうした知識系の記述を書かせると、文章だけは流暢なのに、知識が全て間違っているという恐るべき答案を量産したものなのですが、この解答はなかなか悪くないですね。

ううむ、技術の進歩は恐ろしい。

このままでは、私の商売もあがったりとなりそうです。

 

とにかく読み手のことを考え、読みやすく書くことだけを考える

 

私の文章の評価基準はシンプルです。

 

読みやすいか、読みづらいか

 

これは、こう展開します。

 

読み手を意識して書かれているのか、それとも書き手のことしか考えられていないのか

 

全ての文章は、「誰かに読まれる」ために書かれます。

この「読み手」の存在を意識せずに、「書き手」、すなわち書いている自分しか意識していないことが、読みづらい文章が量産される原因なのです。

 

「誰に」読んでもらうのか、そこを意識することが第一歩です。

 

 

 

 

 

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