中学受験に無関係な話ではありません。
クリスマスになると思い出す話があるのです。
今回はその話を紹介しながら、サンタクロースについて考察?します。
父親は激怒していた
ずいぶん昔の話で恐縮です。
そのころ私はとある塾に所属していました。
すると、一人の父親から猛烈な抗議を受けることになったのです。
「お前らは、うちの家族の気持ちを踏みにじった!」
事情はこうでした。
クリスマスあけの最初の授業(たしか冬期講習)で、一人の講師が、生徒に何気なく、こう問いかけたのです。
「みんなのところに今年はサンタさんはきたかな?」
別に深い意図があったわけではありません。
授業が始まる前の隙間時間、生徒たちと雑談しながらの発言でした。
ちなみに学年は小学5年生のクラスです。冬ですので、あと数か月で6年生になる、そうした時期です。
生徒たちの反応は様々でした。
「今年は〇〇をもらった!」
「前回のテストでひどい点をとったから、今年はサンタからのプレゼントは無し!と怒られた」
「受験でこれからお金がかかるんだからって言われて、欲しい物はもらえなかった」
「うちは毎年プレゼントは無いよ。その代わり、正月とまとめて多めにお年玉もらうから」
「そうそう! 好きな物買えたほうがいいよね!」
こんなかんじだったそうです。
さすがにこの学年ともなると、サンタクロースがトナカイに乗ってプレゼントを配ってくれると信じている子はいません。中には、北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)による、毎年恒例の「サンタ追跡作戦」のウェブサイトを見ている子までいるくらいですから。
また、オーストラリアのクリスマスの写真(夏のビーチに立つサンタクロース)を見せて、南半球の気候や、それによる農産物の貿易について 問うような入試問題なども解いているのです。
ところが、この教室に、一人だけサンタクロースの実在を信じて疑わない生徒がいたのです。
その生徒の、「え! サンタさんはいるもん!」という発言が、まわりの生徒たちからどのような扱いを受けたのかは想像に難くありません。
子どもは残酷です。発言に斟酌しませんので、周囲の生徒たちからだいぶからかわれたようですね。
若干気の毒な気もしますが、サンタの存在を信じたまま中学生にならなくてよかった、まだ小学生のうちに真実を知ることができて、とそう思います。少々遅いですが。
こうして子どもたちは少しずつ大人になっていくのでしょう。
しかし、この生徒の父親はそうは考えませんでした。
怒りに震える父親の罵詈雑言を整理すると、どうやらこの家庭では、父親主導のもと、わが子にサンタクロースの実在を信じさせることに心を砕いていたのだそうです。
心を砕くというよりは、全力で取り組んでいたレベルです。
「我が家の思いを、一瞬で打ち砕いて、何が楽しいのか! 教育とは、教え育むと書くんだ!」
そんなことを、もっと手厳しい(品の無い)言葉で投げつけられ続けました。
何事も本気で取り組むことは素晴らしいことです。
幼い子どもに対し、本気の演出でクリスマスを盛り上げる親、見ようによってはほほえましい。
ただ、小学高学年になってまで続けるのは、あきらかに努力のベクトルがズレています。
ところで、このご家庭はクリスチャンではありませんでした。
様々な調査結果を調べてみると、子どもたちがサンタクロースの正体を知るのは、小学校中学年、3年生~4年生が多いとなっていました。世界共通です。
もっとも日本の調査結果を見ると、親が子どもに信じていてほしい年代は、小学校高学年となっていたのがおもしろい。親としてはいつまでも子どもにピュアなままでいてほしいということなのでしょうか。
ただし、中学受験勉強をしている生徒達はもっと大人です。親が気の毒だから、信じているふりをしてあげていいる、そんな子が多くいるのです。
現実と非現実の狭間
はるか昔から、子どもは「非現実」の存在を信じてきました。
〇キジムナー(沖縄の精霊)
〇メネフネ(ハワイの精霊)
〇グレムリン(イギリスの妖精)
〇エルフ(ゲルマン神話の妖精)
〇レプラコーン(アイルランドの妖精)
〇河童(日本の妖怪?)
あげだすときりがないですね。
それだけ、非現実の存在を生み出す人間心理は世界共通だったということなのでしょう。
私の好きだったジブリ映画「となりのトトロ」の中に、トトロ(妖精? なんだったんだろ、あれは)にもらった木の実を庭にまくと、夜中に一瞬で大木に育つという場面がありました。朝になって庭を見ると、小さな芽が出ています。
「夢だけど、夢じゃなかった」という主人公たちのセリフが印象的でした。
子どもたちは、誰もが幼いころに非現実の存在を信じています。
しかし、やがてそうした存在が実在しないことを悟ってきます。
それが心の成長ということなのでしょう。
それでも、心の中の片隅に、信じてみたい自分がいることを意識している、それくらいが正常な子どもの発達状態なのだと思っています。
まさに、「夢であることはわかっているのだけれど、夢ではない側面も少しはあってほしいと思う自分の気持ち」を客観視する心理とでもいいましょうか。
100年以上前、ニューヨークの新聞「ザ・サン」に8歳の少女がした質問「サンタクロースはいるの?」に対する編集者の返答が有名です。(ちょっと検索するだけですぐに出てきます)
子どもの夢を壊さず、正面から答えた返答です。その質問をした少女は、やがて教師となりました。そうした美談として語り継がれています。
しかし、その返答を読んでいただければわかるのですが、サンタクロースの実在を説明したものではありません。
〇人間に理解できないものはたくさんある
〇愛や寛大さや献身が存在するのと同様にサンタも存在する
〇サンタがいないと世の中がわびしくなる
〇サンタが信じられないのは妖精を信じられないのと同じ
〇創造力・詩・愛が存在するのならサンタも存在する
この返答の秀逸なところは、「サンタは抽象的な概念である」と開き直った上で、「証明できないのだから存在することを否定できない」と、論理風の論法を展開したところです。
抽象的な概念など証明できるはずもないのですから、うまい論法です。
さすがに大人には通じませんが、8歳の少女には適切な解答だと思います。
無条件で実在としてのサンタを信じる段階から、非実在としてのサンタ信仰へ移行させようとしているのですね。
しかしこれは、「キリスト教」信仰を前提としているところに注意しましょう。
少子高齢化について
5年生から6年生の時期に、何度か少子高齢化問題を扱います。
入試の定番だからです。
しかも、重要な問題です。
中国の一人っ子政策の影響
フランスの少子化対策の成功とその後の経緯
日本の少子高齢化の現実
これらの授業をする前提として、「子どもを産む・産まないはコントロールがある程度可能」であることを知らないとなりません。
もちろん詳細な方法論はどうでもいい。「可能であること」を理解しておいてもらわないと、その先の思考が全くすすみませんので。
婚外子割合が6割となっているフランスの現状を考察するのに、さすがにコウノトリは登場しないとしても、「赤ちゃんはパパとママの愛情がお腹にやどって生まれてくるのよ」では、困るのです。
しかもこの説明は、子どもができない夫婦に対してあまりに思いやりが無さすぎますね。子どもがなかなかできない=愛情が足りない と言っているのも同然ですから。
私見ですが、どうも子を持つ日本の親の多くが、「わが子が子どものままでいる」ことを理想とするような気がします。
気持ちはわかります。
しかし、「子の親離れ」のためには、「親の子離れ」が必須です。
日本も成人年齢が18歳になりました。
18歳になると、こんなことが可能です。
◆クレジットカードを作れる
◆ローン契約ができる
◆携帯電話を契約できる
◆自分の名義で賃貸物件を契約できる
◆国家資格を取得できる
◆選挙権がある
◆性別の取扱いの変更審判を受けられる
◆親権者の同意なく結婚できる
◆刑事手続きで裁かれるケースが増える
お子さんが小6だとすると12歳、あと6年で、「結婚するので家を出ます。アパートも借りました。ああ、株の投資がうまくいっているので収入は問題ないですね」などと言いだすかもしれません。
まあ、ありそうもない話ですが、もしそんな子どもに育ったのなら、子育ては成功ですね。(成功なのか?)
親の役割は、子どもが18歳に「成人」になれるようにしてあげることなのでしょう。
中学入試で必要とされるもの
中学入試は、一足早く大人になることを求められる試練です。
出題内容・レベルを考えると、だいたい高校受験の中3レベルと考えればよいでしょう。
教科・学校によっては、高校受験をはるかに凌駕したレベルの出題も見られます。
いつまでも「お子様」のままでいては乗り切れないのが中学受験なのです。
「子どもを子ども扱い」していると、いつまでも成長しないですね。
私は「大人扱い」することを信条として指導にあたっています。
そうすることで、生徒達もそれに応えようと「成長」が促されるのですから。
もし私が生徒に「先生、サンタクロースっているの?」と尋ねられたら、「いるはずがない」と即答したことでしょう。想像力の産物にすぎないと。
その上で、なぜこうした「想像物」が生まれたのか、歴史とからめながら一緒に考察するでしょう。