最近書店を徘徊していて、気づいたことがあります。
大人が学び直すための参考書?が目立つのです。
「大人の世界史 超学び直し」
「解きながら身に着ける 大人の語彙力」
「教養が無い!とうしろめたさを感じる人へ」
「大人の教科書ワーク」
「もう絶対に挫折しない! 大人のための 今度こそスルスルわかる数学」
こういったタイトルの本が、書店の目立つところに平積みされているのです。
Amazonで検索すると、無数にヒットします。
みんな、そんなに「学び直し」したいのかなあ?
今回は、そんな「大人」のための学びについてのお話です。
なぜ大人は学び直したいのか?
これだけ多種多様な本が出版されているということは、需要が、それも大きな需要があるのですね。
その理由を考察しました。
(1)「教養ある」人になりたい
誰だって、「あの人は教養が無いから」と思われるのは嫌ですね。
「あなたって教養がありますね」って言われたいじゃないですか。
私だって、「教養人」ではありません。でも、いつかそう呼ばれたい。
そもそも「教養」って何でしょう?
「教養」・・・学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。
辞書的な定義ではこうなるのでしょう。
私なりに、このように整理しています。
情報(information)・・・記号・音声で伝えられる物事の様子
知識(knowledge)・・・情報+意味
知恵(wisdom)・・・哲学的知識
教養(culture/education)・・・心を豊かにする知識
教養の英語表現は2つありますね。cultureだと文化的な教養を、educationだと学ぶことで身に付いた教養を指すというのが私の理解です。
まあ堅苦しい屁理屈をこねるのはこれくらいにしましょう。
シンプルに、「物知り」でいいじゃないですか。
いろんなことをよく知っている。
しかも、仕事に無関係であることを知っているほど、教養の匂いがしてきます。
そういうことなのだと思います。
詳しくはこの記事に書きました。
無我夢中で学生時代を通過し、社会人になり、そして気が付くのです。
自分がいかに無教養であるか。
そして周囲にいかに豊かな教養を持つ者が多いか。
とくに社会に出ると、多種多様なバックボーンを持つ人間と接し、多種多様な話題について話をすることが増えます。しかも日本人ばかりではありません。だから、相手をよりよく理解するための知識=教養が不可欠となってきます。
そこで「学び直し」の意欲が芽生えるのですね。
(2)子どもの質問に答えられなかった
お子さんが小学生~中学生くらいだと、まだまだ親に勉強の質問をしてくることが多いと思います。
その質問に、常に即答できますか?
だんだん難しくなってきますよね。
親の権威失墜です。
偉そうな顔をして「勉強しなさい!」と言っても説得力ゼロです。
せめて中学生くらいまでの学習内容は、把握しておきたいものですね。
書店に並ぶ本に、「中学生の数学を学び直す本」「大人のための、中学英語を3か月でマスターするドリル」的な本が多いのはこれが理由だと思います。
(3)学生時代の反省
大学受験だけを目標として、単位を落とさないことだけを目的として、学生時代を過ごしてきました。
もちろん全ての大人がそうだとは申しませんが、少なくとも私はそうでした。
勉強はつらくつまらないものでした。
でも、本当にそれでよかったのだろうか?
今からでも学び直してみたいけれど、さすがに大学の勉強は難しすぎるし、大学受験勉強はしたくない。せめてい中学生くらいの勉強ならやり直してみようかな。
立派な心掛けです。
(4)理系・文系に分かれた弊害
欧米の教育との違いとしてよくとりあげられる話題です。
欧米(とくにアメリカ)には、理系・文系の区別が無いというのですね。
たとえ理系の学部に進学しても、美術史の講義を受講したり政治哲学の授業を受ける、そうした多様な学習が可能だというのです。
実に羨ましい話です。
日本では、早くから理系・文系に区分されます。
実質的な区分は大学受験を控えた高校2・3年くらいになってからなのですが、もう小学生のときから「うちの子は理系なんですよ」などと語る親はたくさんいます。
こうした「思い込み」「刷り込み」が子どもの可能性を狭めます。
「私大文系だから理数は不要」的な学習ばかりしてきたのです。
だからこそ、自分の基礎教養の無さに対する負い目があるのですね。
何からやればいい?
答は簡単です。
中学受験勉強をしましょう
理由を説明します。
(1)わかりやすい目標設定が必要
ただ漠然と「教養を身に着けるために勉強しよう」と思っても、何をどこからはじめればよいのか、漠然とし過ぎていますね。
やはり勉強には目標があったほうが良い。しかもわかりやすい目標が。
例えば英語を勉強するときに、
「英語が使えるようになろう!」
というよりは、
「英検1級をとるぞ!」
「TOEIC900点を目指す!」
「TOEFL75点を超えるぞ!」
のほうがわかりやすいですね。
そこで、「大学入試」「高校入試」「中学入試」のいずれかにチャレンジする目標設定が良いと思うのです。
(2)大学入試は難しい
まずは大学入試にチャレンジするというのは良いアイデアです。
ただし、難しいです。
高校段階までの基礎的な学力が、「現在」身についている方向けのチャレンジです。
例えば、数学・物理・化学だけがんばって私大理系を卒業した方で、古文・漢文・日本史・世界史等の学力がすでにある方はよいでしょう。
そもそもそのレベルなら、すでに「教養がある」人だと思います。
いずれ「大学共通テスト」の10科目くらいは高得点を目指すとしても、それはだいぶ先の話としましょう。
(2)高校入試は簡単すぎる
本来なら、中学での学習範囲を完璧にすることで、高校入試にチャレンジというのが王道だと思います。
書店の学び直し本の大半が中学の勉強の学び直しです。
ただし問題があるのです。
それは、高校入試問題は易し過ぎる、という問題です。
一度公立高校の試験問題をご覧いただければわかります。
これでは、大人の学び直しの目標になりません。
(3)中学入試はちょうどよい
小学生がチャレンジする中学入試です。
さすがにそれは無いだろ!
そう思う前に、まずは中学入試問題をご覧ください。
◆麻布の理科・社会
◆海城の理科・社会
◆桜蔭の国語
◆灘の算数
これらの入試問題を解いてみて、「こんなの簡単! しょせん小学生の解く問題だね!」と笑える方、あなたはすごいです。
どの塾でも三顧の礼をもって迎え入れてくれると思います。
実際には、中学受験のレベルは、中学生の学習段階を飛び越えたような内容になっています。
これをクリアした生徒達が集まるから、中高一貫校は大学入試で強いのですね。
中学受験(のための)勉強は大人になるための基礎教養の入門編
これが私の考えです。
まずは入試問題を解いてみて、それから書店で各種参考書を入手して勉強することをお勧めする次第です。
もしお子さんが小学生なら、親が最高の仲間・ライバル・教師 になることでしょう。
まさに一石二鳥です。