中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

【中学受験】”決定版”歴史の勉強法

今回は、「中学受験する生徒の歴史の勉強法”決定版”をお届けします。

あくまでも「中学受験」を目標とした勉強法になります。

背景の理解は捨てる

実は、歴史の学び方の「王道」とされているのは、背景の歴史の流れを理解することからはじめるという学び方です。

 

時代背景をきちんと理解した上で、

 

なぜこのような変化が起きたのか?

なぜこの国とこの国が戦ったのか?

その戦いは後の歴史にどのような影響を及ぼしたのか?

 

このように、常に「理解」することを優先するのですね。

 

本来であれば、これこそが歴史を学ぶ「正しいやり方」です。

 

しかし、「中学受験」を考えるときには、このやり方は捨てる必要があるのです。

なぜなら、塾で歴史を学ぶのは小学5年生のときですが、その学年の子供たちには「深い背景を理解」する能力が未発達だからです。

 

背景を丁寧に説明してあげると、その時だけは「へえ、なるほど」と感心してくれるのですが、1週間後に質問してみると、何も理解できていないことが判明するのです。

 

その割にはどうでもよい戦国大名の名前など憶えているものなのですね。

 

詳細な知識は捨てる

 

歴史を学ぶ際、枝葉末節とも思える細かい知識が意外と大切です。むしろそうした詳細な知識にこそ歴史の「面白さ」が潜んでいるといってもいいでしょう。

 

例として、奥州藤原氏をとりあげてみます。

 

みなさんは、「奥州藤原氏」について、どれくらいご存じでしょうか?

「平泉、修学旅行で行ったなあ」

「藤原のなんとかひらって3人だっけ、4人だっけ、ミイラになってるんだよね」

「たしか源頼朝に滅ぼされたはず」

「そうそう、源義経を庇ったからだね」

平安時代に東北で栄えた一族、ってことは覚えてるんだけど、都の藤原氏と関係あるのかな?」

 

大多数の大人の知識はこんな感じではないでしょうか。

(もちろんもっと詳しい方も大勢いらっしゃるとは思いますが、あくまでも例として)

 

まずは略系図をごらんください

奥州藤原氏

前九年の役後三年の役

平安初期に、坂上田村麻呂の活躍によって、「まつろわぬ民」であった東北の蝦夷が征服されましたが、まだまだ東北は不安定でした。

平安後半には、陸奥の国を安倍氏が、出羽の国を清原氏が統治しています。

この両氏の出自は今一つ不明瞭で、俘囚(朝廷に従属した蝦夷)のリーダーであったともいわれています。

1051年からおよそ10年にわたって、朝廷と安倍氏の間で争われた戦いが「前九年の役」ですね。朝廷方は陸奥源頼義と子の源義家安倍氏側は安倍頼時でした。

戦いは、陰謀・裏切り等混迷を極めるのですが、一時劣勢であった源頼義・義家チームに、清原武則が加わり、朝廷側の勝利となりました。

 

安倍貞任は死に、藤原経清は残虐な手段で処刑(錆びた刀で鋸引き斬首!)されました。

ここで一人の女性に注目します。藤原経清の妻、有加 一乃末陪です。彼女は、経清の遺児(6歳)を連れて、夫と兄と父の敵である藤原武貞に嫁ぎます。

ここまでが前九年の役とよばれています。

 

そののち、藤原清衡と家衡の争いに、源野義家が清衡側につき、清衡側が勝利します。これが後三年の役と呼ばれます。

有加 一乃末陪は、家衡が清衡を攻めたときに死んだとも伝えられています。

なんともドラマティックな生涯を送った女性ですが、詳しいことはほとんどわかっていません。

系図を見るとわかるように、清原清衡改め藤原清衡から4代にわたり平泉で繁栄したのが奥州藤原氏というわけですね。

 

ちなみに藤原の姓は、実父藤原経清に戻したのですが、藤原経清の祖先は藤原北家藤原秀郷だとされています。

 

奥州藤原氏を知るためには、一番避けて通りたい(ごちゃごちゃすぎて頭が混乱するから)前九年の役後三年の役をきちんと整理しないとならないのですね。さらに、有加 一乃末陪に興味がわきます。

また、東北蝦夷の中国大陸にまで伸びた交易路や、豊富な砂金をめぐる争いなど、面白そうなネタが満載です。

こうやって深堀りすればするほど面白くなるのが歴史の醍醐味といえるでしょう。

 

しかし、残念なことに、ここに書いたことのほぼ全てを中学受験生には教えません。

前九年の役後三年の役という東北の豪族の争いに源義家が力を貸したことで、関東から東北にかけて源氏が勢力を広げたことと、平泉で奥州藤原氏が栄えたことと、この2つだけを教えるのです。

 

「中学入試問題を解く」ことだけを目標とした場合、割り切りが重要です。

 

理解するためには詳細な知識が欠かせない

→小学生にはキャパオーバーとなる

→省略

というわけです。

 

諦めて暗記する

 

社会科は暗記教科ではない

歴史は暗記が重要じゃない

 

理想論です。

実際には、知識の暗記なくして入試問題は解けません。

 

◆歴史年代の丸暗記・・・・最低でも100程度は覚えます。上位校を目指すなら150個程度の年代を丸暗記するのは基本です。

 

◆歴史人物の暗記・・・一般には重要人物を60人程度覚えるようですが、この人数では全く足りません。

例えば、「下関条約」という単語一つに対しても、伊藤博文陸奥宗光李鴻章という、最低でも3名の人物が関連しています。

僧侶をみても、行基をはじめとして、空海最澄・鑑真、空也源信法然親鸞・一遍・日蓮道元栄西を覚える必要があります。

最低でも200人程度は頭に入っていないとだめでしょう。

 

◆文化・産業の知識

実は意外とネックになるのが文化・産業関連の知識です。とくに文化は難しいですね。

歌舞伎も能狂言も見たことがない

浮世絵の実物も見たことがない

伊万里焼も輪島塗も知らない

円覚寺舎利殿を見ても何も感じない

枕草子は読んだことがない

 

そんな小学生に文化を語ることの虚しさよ。

 

もうこれは入試に良くでる資料・写真を暗記させるほかないでしょう。

 

 

これらの知識をきちんと暗記することで、一般的な入試問題なら8割以上の得点はとれるようになるでしょう。

また、記述問題だとしても、「刀狩の目的は?」「鎖国の影響は?」

遣唐使廃止の理由と影響は?」といったものなら、完全に知識問題です。瞬時に答えられるように覚えておく必要があるレベルですね。

 

さらに、高度な記述問題を出す学校については、別途対策を立てることになるのです。

 

本音

 

本当は、私だって「暗記」偏重の指導はしたくはありません。

 

江戸幕府が250年以上も続く安定政権を築けた理由を皆で考えてみよう」

「では、どうしてその江戸幕府があっさり滅亡したのか、そのことを議論してみよう」

「江戸時代にはフランス革命のような革命が起きなかったのはなぜだろうか?」

 

こうしたテーマで生徒を巻き込んだ講義をしたいのです。

 

ただしそれには必須の条件が2つあります。

◆適切な指導者(つまり私のことです)

◆それに応えるレベルの生徒(基本知識があるのが前提)