世の中、「キャリア教育」流行りです。
中高のみならず、小学校でも行われています。
しかし、私はどうもこの「キャリア教育」という言葉に違和感を覚えます。
今回は、「キャリア教育」について考えてみたいと思います。
そもそも「キャリア教育」って?
文部科学省によるとこうなっています。
〇人が生涯の中で様々な役割を果たす過程で、自らの役割の価値や自分との関係を見いだしていく連なりや積み重ねが、「キャリア」であるとされています。
〇一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育が「キャリア教育」です。
これでわかりますか?
私はわかりませんでした。
そもそも「キャリア」の定義からして意味がわかりません。
「キャリア」=人が生涯の中で様々な役割を果たす過程で、自らの役割の価値や自分との関係を見いだしていく連なりや積み重ね
曖昧ですね。
この曖昧な概念を、どう教育に落とし込むのでしょうか。
そこで、もう少し調べてみると、「日本キャリア開発協会」なるNPO法人が見つかりました。
そちらの定義によると、
キャリアには職業上の地位や経歴・履歴を中心とした捉え方と、もっと広く、人の生活や生涯をを見渡し、仕事はもちろん、それ以外のさまざまな人生の役割を含めたトータルな捉え方とが存在します。JCDAでは、キャリアを「人生そのもの」としてとらえています。
とありました。
「人生そのもの」
話が大きくなりましたね。
そこで、私が単純に定義してしまいます。
キャリア=職歴
これでいいじゃないですか。
おそらく世間の大半の人が、同様にとらえていると思います。
※ここで厄介なのが、国家公務員の世界の「キャリア」の使われ方です。
キャリア=国家公務員Ⅰ種合格者で、本庁採用者のこと
ノンキャリア=それ以外の人
高級官僚として出世できるのはキャリアに限られていて、ノンキャリアは課長どまりだそうです。
まぎらわしいので無視しましょう。
文部科学省のマニュアルによると、キャリア教育とは以下のようなものだそうです。
「人間関係形成能力」「情報活用能力」「将来設計能力」「意思決定能力」の四つの能力領域と,それぞれの能力領域において2つの能力(順に「自他の理解能力,コミュニケーション能力」「情報収集・探索能力,職業理解能力」「役割把握・認識能力,計画実行能力」「選択能力,課題解決能力」)
4領域8能力とありました。
またしてもわかりにくいですね。
おそらくは、社会に出てから必要となる能力を、小中高の段階から導入する、ということではないでしょうか。私はそのように理解しました。
さらに、社会に出るにあたって、どういう職業を選ぶのかは重要です。
そこで中高で行われているキャリア教育とは、
◆各種職業についての知識
◆仕事に必須のスキル
この2つを扱うのだということなのでしょう。
実例
学校名と「キャリア教育」を検索ワードに入れると、様々な取り組みがヒットします。
◆広尾学園
「第一線を知る講座」というものをやっています。
一部紹介します。
2009年度 <心臓外科医>須磨久善先生
2009年度 <国境なき医師団日本代表>黒崎伸子先生
2010年度 <国立天文台>渡部潤一先生
2011年度 <作家>高嶋哲夫先生
2011年度 <前アップル日本法人社長>前刀禎明先生
2012年度 <元グーグル日本代表>村上憲郎先生
2013年度 <字幕翻訳家>戸田奈津子先生
2014年度 <伊藤塾塾長、弁護士>伊藤 真先生
2015年度 <お茶の水女子大学学長>室伏きみ子先生
2015年度 <プラスティー代表>清水章弘先生
2016年度 <スポーツドクター>辻秀一先生
2018年度 <ジャーナリスト/キャスター>下村健一先生
2019年度 <NASA元宇宙飛行士>ジョン・A・マクブライド先生
社会の第一線で活躍する方々の講演が聞けるのですね。
その他、大学や研究所の訪問等を行っています。
また、科学の最先端の研究を学ぶ講座が充実しているようです。
◆渋谷幕張
以下のプログラムだそうです。
中学1〜2年生・・・自分自身や社会や職業などについて知識を広める
中学3・高校1年生・・・自分の興味・関心がどこにあるのかなど、自分についての理解をより深めることを促します。海外研修による異文化交流もこの時期に予定
高校2〜3年生・・・学力に見合う進路を選択するのではなく、自分は何を学びたいのか、将来は何をしたいのか考える中で、それを可能にするのはどの大学のどの学部・学科なのかを調べ、考えを絞っていく
どうやら、大学・学部を選ぶことが「キャリア教育」ということのようですね。
◆洗足学園
学校HPのQ&Aにこうありました。
Q:キャリア教育についての考えと、実際の取り組みを教えてください。
A:キャリア教育を大きく捉えれば、学校で行っているすべての活動がキャリア教育であると考えています。中学1年で国際理解をテーマとして1年間かけて行われる総合学習も、日々の授業も、すべてが自分の人生をデザインしていく材料です。直接的な例としては、中学2年~高校2年まで実施しているキャリアプログラムが挙げられます。在校生のお父様・お母様をお招きして自らの経験談から社会を広く知ることを教授してもらっております。
◆開成
「ようこそ先輩」・・・社会で活躍するOBを招いた交流会
錚々たる人材を輩出している学校ならではですね。
他にも様々な学校の取り組みを見てみましたが、だいたい同様のものでしたね。
まとめると、以下の3パターンの組み合わせだと思います。
◆大学進路を考えさせる
◆様々な職業の紹介
◆教養講座
なかには、中3段階で、親と教師の前で、自分の将来なりたい職業についてプレゼンさせるという無茶な学校もありましたね。
まとめ
いろいろ調べていて、ますますキャリア教育は不要であるとの考えが強まってしまいました。
中高生が大学進路について悩むのは当然です。学校の先生に相談するのも当然です。
その当然のことに「キャリア教育」などというネーミングは不要です。
多様な職業について知ることは興味深いでしょう。しかし、なにも中高生のうちから
「表面的な」職業紹介などなくても、大学生になって自分の将来を考えるときに、必死になって職業については研究するはずです。
どうしても高校卒業時点で決断しなくては手遅れになるような職業に就きたいのなら、それこそまさに個人の問題として自分自身で(周囲の大人に助力を求めながら)調べていく事柄ではないでしょうか。学校から「キャリア教育」としてあてがわれる性質のものではないと思います。
教養講座については賛成です。
ただし、社会的な成功者(経営者や起業家、医師・弁護士等)を招いての講座はどうなんでしょうか。生徒達の役に立つのかな?
それよりも、美術や音楽・文学など、文字通りの「教養」を深める講座のほうが生徒の人間形成にプラスになると思います。
どうにも「キャリア教育」というものには、「教養」の対局にある「早期からの職業教育」の匂いがするのです。
それが私が感じる「違和感」の正体のようでした。
中高生の段階は、様々な「教養」を身に着け「人間の幅を広げる」基礎段階だと思っています。
実際に「古文」「漢文」を学んでも実社会では役に立たないですし、「複素数平面」の知識が必要な仕事は限られると思います。「印象派」と「キュービズム」の違いについて知らなくても生きていけますし、まして「ギリシア哲学」など全く不要でしょう。
こうした「実社会では使われることのない」「非実用的な教養」を身に着けることができるのも、中高(本当は大学も)時代の大切な学びだと思っています。
大学における「教養教育(リベラルアーツ」軽視の傾向が中高まで降りてきたのだとしたら嫌ですね。