みなさんは読書感想文はお好きですか?
私は、読書感想文が好きだという生徒に出会ったことがありません。
私だって嫌いでした。
そんな私が「読書感想文を書きたくないけれど課題として出されてしまった」かわいそうな中学生のために、「緊急避難的な」書き方を伝授します。
読書感想文を書きたくないわけ
そんなの簡単です。
読書というのは、本来非常にパーソナルな行為です。同じ本を読んだところで100人の読者には100通りの解釈があります。それを人に伝えることに何か意味ってありますか?
文字にするということは、誰かに向けてメッセージを届ける行為です。伝えたいことがあるから文章を書くのです。読書によって得られた感想は自分だけのものです。どうして文章化しなくてはならないのでしょうか。
しかし、そんなことばかりを主張してもはじまりません。
夏休みの課題として出されてしまった以上、書くしかないではありませんか。
「読書感想文の書き方」のセオリーは無視する
ちょっとネットで検索するだけで、多数の「読書感想文の書き方」が見つかります。本もたくさん出版されています。どれも説得力があり、参考になるような気がしてきます。
定型のフォーマットまで教えてくれるので、これで読書感想文は何とかなるような気すらしてきます。
でも、ちょっと待ってください。
そうした「感想文マニュアル」は、実にもっともなことが書かれていますが、それだけに、何ともつまらない、書く気がわかない文章を書くコツとなっているのです。
この文章をお読みのみなさんは、とにかく「読書感想文」なるものを書きたくないのですよね?
例えていえば、数学の偏差値50の生徒を対象とした「数学の解法」が書かれた参考書を、偏差値30以下のみなさん(失礼!)が読んでも本当に参考にはならないと思います。
ちょっと例えが不適切でしたね。
それでは、料理に置き換えてみます。
テレビの料理番組やレシピサイトをみると、「誰でも簡単においしく」つくれるとうたったレシピが溢れています。
見てみると、どれも料理の基本に忠実な作り方を丁寧にわかりやすく書いてくれています。
しかし、そもそもこうした基本のレシピを見て料理が作れるのなら、そこまで「料理下手」「料理音痴」ではないと思うのです。
ここで私が提案したいのは、「本当に料理が苦手で嫌いで作ったことがない」人でもなんとか料理らしいものが作れる、そんなレシピなのです。
本の選び方
学校から本が指定されている場合はそれに従うだけなので悩まなくてすむのですが、とくに指定されていない、何でも良い場合というのが困りますね。
おそらくは次の3パターンの考え方がると思います。
1.年齢相応の本
よく「中学生におすすめ」的な紹介をされている本ですね。読書感想文コンクールの課題図書になっているようなものもこれに該当します。
今年の中学生向けの課題図書はこの3冊です。(有隣堂書店のHPから紹介文を引用しました)
◆ノクツドウライオウ 靴ノ往来堂
佐藤まどか:著
突然、家業の5代目店主候補だった兄が消えた。シューズデサイナーを夢見ていた夏希は、靴職人として100年続く老舗靴店を継ぐべきか、悩める日々――。そこに、クラスのイヤミ男、佐野宗太がひょんなことから急接近!さて、夏希の運命は…?
◆希望のひとしずく
この町で、ふしぎなことが起きている。古い井戸がいきなり、願いをかなえてくれるようになった。理由を知っているのは、三人の中学生だけ。アーネスト、ライアン、リジーは、世界をよくする方法なんか知らない。だけど、世界のかたすみで、みんなに希望をあげることはできる。一度にひとつの願いをかなえることで…。
◆アフリカで、バッグの会社はじめました 寄り道多め仲本千津の進んできた道
江口絵理:著
人の命を救う仕事をしたいと願いながら、夢をあきらめたり、思いがかなわなかったり。それでも、いつだって彼女は前を向き、歩きつづけました。アフリカ・ウガンダでバッグ工房を立ち上げて、バッグづくりを通してアフリカ女性を支援する社会起業家・仲本千津さんの、これまでの迷い多き道をたどる“進路決定”ドキュメンタリー。
なるほど。どれも「大人が考える」中学生に読んでほしい本ですね。
これを見て、「読んでみたい!」と思えるのなら、それで決まりです。
ただし、実は感想文は書きにくいかもしれません。
その理由としては、こうした課題図書になるような本の場合、すでに国語の先生の頭の中には「このように書いてほしい」という模範解答のようなものが存在してしまうからです。
つまり、読書感想文ではなく、「先生の頭の中に存在する正解を探しあてる」行為になってしまうのです。
もう一つの問題点としては、こうした課題図書になるのは新しい本、1年以内に出版された本が対象となることです。
時間の洗礼を受けていないため、文体や内容が「薄い」可能性が否定できません。50年後にも読み継がれているのかどうかはわからないのです。(もちろんすばらしい本ばかりなのですが)
2.ライトノベル・SF・ミステリー・ファンタジー
絶対に選んではいけません。
理由は簡単です。
中学校の国語の先生が「生徒に読んでほしくはない」ジャンルだからです。
正確に言うと、「こんな本だけを読んでいてはだめ」、と考えるジャンルなのです。
「こういう本なら読んでるんだけどな」
「これなら手に取る気になるんだけど」
そういう気持ちはわからなくはありません。しかし、今回の目標は、「読みたい本を見つけてその感想文」を書くことにはありません。「提出しなくてはならない読書感想文を何とかでっちあげる」ことにありますので。
3.社会問題に切り込む本
まだ未解決の社会問題を扱った本は注意が必要です。
たとえば、こんな本です。
◆『私たちの教室からは米軍基地が見えます』渡辺豪著
沖縄普天間飛行場といえば、住宅地にある危険な飛行場として知られていますね。そこで基地を移転することになり、現在同じ沖縄の辺野古の埋め立てが進んでいることはご存じでしょう。しかし、この辺野古は、軟弱な地盤のため多額な費用をかけても完成が危ぶまれている点、貴重な自然が失われる点、そしてそもそも沖縄の人の民意を無視している点など問題が山積みです。
そんな普天間飛行場に隣接した小学校の生徒の書いた文集を題材として、大人になった彼らに取材したルポルタージュです。
個人的には、こうした本こそぜひ読んでほしいと思います。
しかし、読書感想文の題材としては不適と言わざるを得ないでしょう。なぜなら、どう書いたところで、米軍基地を許容し、それを沖縄に押し付け、今また辺野古への移転を強行している政府を批判するトーンとなってしまうからです。
4.古典的名著
これです。
これこそが、読書感想文におすすめです。
「えー、夏目漱石とか森鴎外とか? そんな古臭い本読みたくないよ!」と思うかもしれません。
そこがねらい目なのです。
今の中学生(小学生も高校生も大学生も)は本を読まなくなりましたね。読むとしても、軽い読み物程度のものか、あるいは話題になった本ばかり。
古典的名著など見向きもされなくなりました。
嘆かわしい事態です。
国語の先生なら、みなさんこう感じているのです。
そこに、芥川竜之介の羅生門、森鴎外の高瀬舟、夏目漱石の草枕、島崎藤村の破戒、こうした名著について、みなさん読書感想文を書いて提出するのです。
もうそれだけで〇をつけたくなってしまうこと間違いなしです。
姑息だと思いますか?
そうです、姑息な作戦です。
しかし、姑息でもなんでもかまいません。なにせ「緊急避難的な」作戦ですから。
しかも、、こうした名著は簡単に読み飛ばせない、重みや引っ掛かりに満ちています。だからこそ、実は書きやすいのです。
書き方
「ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗りの剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。」
これが書き出しです。
もうしょっぱなから、引っ掛かるポイント満載ですね。
〇羅生門ってどこにあったっけ?
〇下人って?
〇丹塗りの剥げた丸柱、ここからどんなイメージが?
〇キリギリスが一匹とまっている。この描写は必要だったのか? だとしたら筆者のどんな狙いが?
〇朱雀大路とはメインストリート? であれば、どうしてほかに人がいないのか?
〇そもそもいったいいつの話なのか?
そして、次の段落で少しずつ切りが晴れるように状況が見えてきます。
「何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか云う災いがつづいて起った。そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。」
もうこれで一気に作者の展開する物語世界に引きずり込まれていきます。
羅生門は都の入口の門です。この門をくぐるとまっすぐに帝の居所まで大通り=朱雀大路が通っているのです。その大通りに人気がなく、入口の門が死人の捨て場となっている。この先の展開が待ち遠しくなるような、怖いスタートですね。
そこらへんの薄っぺらい「ダークファンタジー」など足元にも及びません。
このように、わずか1ページほどを読むだけで、心の中に様々な感想が湧き出てきませんか? これが古典の力です。だからこそ、古典的名著は読書感想文が書きやすいといえるのです。
コツ
物語全部を総括した感想文にチャレンジする必要はありません。筆者の思い=この物語を書いた理由にせまる行為は、中学生には荷が重すぎます。そこでお勧めは、一部にこだわった書き方です。一部といえども、一筋縄では読解できぬ重みがありますので、そこに取りくむだけでも書くことなどいくらでも出てきます。
冒頭近くに主人公である杜子春のこんなセリフがあります。
「日は暮れるし、腹は減るし、その上もうどこへ行つても、泊めてくれる所はなささうだし――こんな思ひをして生きてゐる位なら、一そ川へでも身を投げて、死んでしまつた方がましかも知れない。」
それが物語の最後にはこう変化するのです。
「何になつても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」
いったいどうしてここまで考えが変わったのか。そこだけに着目して書いてみてもいいですね。
変則技
ここで変則技を紹介します。
物語の主人公ではなく、脇役に注目するのです。
たとえば前述した杜子春には、主人公の杜子春以外に、不思議な老人=仙人が出てきます。この仙人に着目し、仙人側から見た杜子春、そうした切り口も面白いと思います。
太宰治の「走れメロス」なら、主人公はメロスであり、さらに主要人物は友のセリヌンティウスですね。そこをあえて外して、暴君として描かれているディオニス王に着目したらどうでしょう。あるいは、物語の最後に群衆が叫ぶシーンが出てきます。
どっと群衆の間に、歓声が起った。
「万歳、王様万歳。」
暴君を恐れていた群衆が、能天気にも王を賛美しているのです。いったい群衆の心理に何が起きたのか、そこを考えてみるのも面白いですね。
どの本にするのかについては下の記事の中でリストをあげています。
その中から選べばよいと思います。
小学生向けには以前にこの記事を書きました。