教え子が大学に進学した。
そんな話を聞くのは嬉しいですね。
私は中学受験の専門家ですが、その後も私立中高に通いながら私のところに来て、レポートの相談などしてくれる生徒もいます。
そんな生徒たちが希望する大学・学部に進学すると、何か一仕事終えたような、ほっとする思いなのです。
大学生になれば、18歳で成人年齢ですからね。親もさぞかし肩の荷が下りた思いでしょう。
しかし、もちろん残念な結果に終わる生徒もいます。
今回は、そんな残念な結果となった生徒たちに共通する要因について書きたいと思います。
格好を付けていた
もっとも多い要因がこれです。
とくに男子、それも難関進学校に多い傾向です。
もちろん女子にも大学付属校に進学した生徒にもいます。
「勉強なんか、必死にやるのは恰好悪い」
「軽く流して勉強していても東大くらいは受かるのが本当の実力さ」
こんなかんじですね。
例えば、とある難関校の一つに進学したA君。
別に学校の勉強をさぼっていたわけではありません。むしろ、真面目に勉強はしていました。でも、それを表に出すのはダサい、と考えていたのですね。
だから、定期試験前でも、平気で友達と遊びに出かけていました。誘われたときに、「試験前だから」と断るのがカッコ悪いからです。本人から誘うこともします。
また、学園祭では、サークルの出し物に力を入れるほか、バンドを組んでボーカルとしてステージに立ったりと、八面六臂の大活躍です。自由な校風だったので、髪を染めてピアスも開けています。
まさに青春を謳歌していました。
ついでに言うと、そんなA君はなかなかもてたそう(本人談)です。
高校3年の夏に、サークルもバンド活動も引退します。まずは美容室に行って髪を黒く染め直して頭を丸刈りにしました。そこから半年、本腰を入れた受験勉強に突入しました。
しかし、とくに塾や予備校には通いませんでした。その程度の勉強なら自分で出来る!というプライドがあったのですね。何せ学校のテストでは常に良い点数でしたし、自他ともに認める「できる生徒」だったのです。
外部模試は定期的に受けていましたが、東大はいつもA判定です。
別に友達同士で成績を教え合っていたわけではないですが、こうしたものはいつのまにか知れ渡るものです。誰もが東大合格間違いなし、そう考えていたのです。もちろん本人が最も強くそう確信していました。
しかし、入試はそう甘いものではありません。
結果はまさかの不合格!
まさかと思ったのは本人・家族、そして学校の友人たちです。
しかし、私はこのことを半ば予想していました。
なぜなら、A君くらいの成績の子なんて、進学校には山のようにいるからです。
大学入試、しかも東大入試ともなれば、そうした優秀層がガチでぶつかる入試となるのです。そこには、地方の最優秀層の参入もあります。彼らは、都内難関校の様子がつかめないので、仮想敵?のレベルを高くみつもって、さらにそれを上回る勉強量を自らに課しています。また、A君の通っていた学校より中受偏差値がもっと低かった学校にも、リベンジを誓って勉強に邁進している生徒がたくさんいるのです。
A君の学力が劣っていたとは思いません。難関校に進学できた段階で、彼にも十分な学力が備わっていたことは確かですし、そこからさらに伸ばすポテンシャルもあったと思います。
A君に足りなかったもの、それは「人目を気にせず自らの意志をつらぬく」強い意志だったのです。
A君の学校にも、必死で勉強している生徒が多数いました。A君が髪を染めてステージでマイクを握っていた時間に、彼らは机に向かっていたのです。
しかも、高3の夏に丸刈りにして「入試に向けてがんばるぜ」アピールをしてみせるところがいかにもA君らしい。美容室に行く時間があれば、その分机に向かえばいいのに。
東大の不合格は、いわば必然であったとすら言えるでしょう。
ところで、A君が東大入試の得点開示を請求してみたところ、本人の予想以上に全教科で得点が大幅に足りなかったそうです。
結局A君は私大に進学しました。周囲は皆浪人して東大にリベンジすると思っていたそうで、意外だと驚かれたようです。
私にはわかります。
A君にとって、「浪人するのはダサい」のです。
しかも、この状況で浪人して東大に不合格になったらさらにカッコ悪い。
今A君が目指しているのは留学です。進学した私大はとりあえずの腰掛としてしか考えていません。来年には海外大学に進学する予定だそうです。
イギリスのオクスフォード大学か、シンガポール国立大学を狙っています。
なぜアメリカの大学でないのか聞いてみたところ、「みんなが目指すから嫌だ」そうです。A君の学校には帰国子女も多くいて、アメリカやカナダの大学に進学する生徒もそれなりにいるのだそうです。そこで、そうした大学をあえて目標から外したのですね。
世界大学ランキングトップのオクスフォードもいいし、アジアトップのシンガポール国立大学も悪くない、とそう言っていました。
しかも、それらの大学に留学して何を学びたいのか、そういう話は全く出てきませんでした。
これはダメだ。
私の率直な感想です。
A君は、東大不合格の手痛い失敗から、何も学んではいないのです。
この期に及んでもまだ格好をつけようとしている。
そうした格好つけも、必死の努力に昇華すれば素晴らしい結果につながることが期待できるのですが。
A君は果たしてその域に達することができるでしょうか?
ところで、私の大嫌いな言葉に「がり勉」という語句があります。
手元の新明解国語辞典をひくと、「がり勉:学校の勉強ばかりを一生懸命すること(人)をはたから皮肉って言う語。」とありました。
そうなんですよね。「あいつ勉強ばかりしている」と、勉強をしている学生を否定的にいう言葉なのです。
しかし、一所懸命勉強することのどこが悪いのでしょう?
学生って、勉強する存在なのではないでしょうか?
この時期に勉強しないで、いったいいつ勉強するんだ?
スポーツに、恋愛に、友人との交流に、遊びに、そして勉強に、すべてを少しずつバランスよくこなすことが「良い学生」なのでしょうか?
不思議なことに、スポーツに青春の全てをさささげるような学生のことを「がりスポ」(私が今作った語句)と蔑みはしないのですよね。まあスポーツ馬鹿という表現もありますが、がり勉ほど否定的なニュアンスが強くないような気がします。
「がり勉」、すばらしいじゃないですか。
A君も、「俺はがり勉だから。」と自ら宣言する強さがあれば、と思わずにいられません。
親離れ・子離れできなかった
この記事を読んでいる親御さんには申し訳ありませんが、この要因も大きいのです。
子どもの短期留学先を親が探してあげた
中3~高2の間くらいに、夏休みを利用して海外へ短期留学をする生徒もいます。高校受験を回避したメリットの1つですね。
費用は100万円くらいでしょうか。
「来年の夏休みには、どこか短期留学したら?」
「ああ。別に行ってもいいけど。」
「〇〇さんのところはニュージーランドに行ったそうよ。それから△△さんのところはカナダですって。話を聞いておいてあげようか?」
「うん。」
こんなかんじです。結局のところ、親が全てのおぜん立てをして、留学へと送りだすのでした。
ちょっと待てください。勉強って、自らが能動的に学ぼうとする姿勢が大前提ですよね。
たしかに中学受験は、まだそうした意志がない小学生が挑むので、親の役割がとても大きかったものです。しかし、中学生にもなれば、自分で考え自分で行動し自分で責任を負う、そういうものだと思います。
「お父さん、ちょっとお願いがあるんだけど。」
「何だ?」
「来年の夏休み、短期留学させてほしいんだ。」
「留学? いったいどうして?」
「今英語を勉強していて、この間英検の準1級までとったけれど、実際にその英語を使ってどれだけコミュニケーションが取れるのか、行ってみなければわからないから。ほら、お父さんだっていつも言ってるよね、何でも挑戦して自分で経験することが大切だって。」
「ああ、そうだな。」
「それで、学校の先生に相談したら、いくつかのプログラムをすすめられたんだ。アメリカ西海岸と、オーストラリアとカナダ。でも、どれも1か月の滞在で100万円くらいかかるし、このプログラム利用するうちの学校の生徒が何人もいるから、結局現地で日本語を話すようじゃ意味がないと思って。」
「それはそうだ。」
「だから、自分でいろいろ調べてみたら、イギリスが良さそうなんだよ。」
「イギリスねえ。」
「ロンドンから結構離れたところにあるボーディングスクールが主催しているのがあったんだ。寮の生活になるし、日本人はいないらしいし。価格も、ここなら80万円くらいで大丈夫だって。」
「ただ英語を学ぶだけなのか?」
「違うよ。このボーディングスクールは、シェイクスピアの研究でもけっこう有名なところなんだよ。そうした講義も充実してるし、なんとシェイクスピアの劇を皆で作り上げるプログラムもあるんだよ。聖書とシェイクスピアって、欧米世界の常識だって学校の先生が言ってたんだ。だから、今自分でも原文で読み始めたところなんだけど、やっぱり難しくて。辞書で調べればことばの意味はわかるんだけど、何か物語世界に入り込めないっていうか、よくつかめないんだ。だから、イギリス人の中でシェイクスピアの勉強をしたら何かつかめるかなって思って。」
「わかった。そこまで自分で調べて、学びたいこともはっきりしているのなら、お父さんも応援してあげよう。」
こんな家庭があるかは知りませんが(たぶん皆無)、これくらいの意志をもって留学を考えられる子どもであって欲しいと思うのです。
子どもの通う塾を親が探す
私立(国立)中高一貫校生の中には、早くから塾に通う生徒もいます。
そのことの是非についてはこちらに書きました。
鉄緑会・SEG・平岡・グノーブル・J-PREP・Y-SAPIX等々、私立(国立)中高一貫校生を対象とした塾はたくさんあります。また、地元の単科塾や個別指導系までいれると、それこそ無数にあります。
それらの数多ある塾の中から、最適の塾を選びだすのは、いくら一貫校生といえども中学生には荷が重いのは確かです。そこでお母様の出番となるのです。
「塾には行かなくてもいいの?」
「ああ、別に。」
「そんなこといっても、みんな中1の最初から塾に通っているって聞くけど。〇〇さんのところは中学に入る前から鉄に申し込んだっていってたし、△△さんのところは夏から通うんですって。行ったほうがいいんじゃないの?」
「うん。そうだね。」
「来週、〇〇塾と△△塾の学習相談に行くから、聞いてきてあげるよ。それでどっちかに夏休みから通ったら?」
「ああ。」
本当にこんな会話がなされているかどうかは知りませんが、私のところにも、「どの塾がおすすめですか?」とお母様方から相談が入るところをみると、あながちフィクションとは言えないと思います。
しかし、本当にこんなことでいいのでしょうか?
①まずは学校の勉強を頑張る
②それで成果をあげる
③学校の勉強だけでは物足りなくなって塾に通うことを検討する
④同級生たちから情報収集をする(他校の塾友からの情報もあり)
⑤通ってみたい塾がみつかる
⑥親に相談する
「ねえ、そろそろ塾に通おうかと思うんだけど。」:
「塾? まだ早いんじゃないの?」
「でも、〇〇さんや△△さんから聞いたら、◆◆塾の数学がなかなか良さそうなんだ。」
「あなた、数学は得意でしょ? 塾なんか行く必要ないんじゃないの?」
「でも、もっと数学を得意にしたいんだ。学校の復習だけじゃ物足りなくて。◆◆塾では、けっこうマニアックな領域まで数学を教えてくれて楽しいっていうし。」
「数学ばっかりやってて大丈夫なの?」
「理系に進むなら数学はいくらやっても十分ってことはないし。他の教科も今のところ問題ないから。ね、いいでしょ?」
「わかったわ。ところでいくらなの?」
こんな家庭は無いかもしれませんが、本来は中高生の塾通いはこうあるべきじゃないでしょうか?
大学進学の先のビジョンを描けなかった
今でも記憶に残る生徒がいます。
その生徒は、都内最難関私立女子校から、東大の医学部に進学しました。
進学後に、同級生数名と一緒に夕食を食べる機会があったのです。正確にいえば、大学生になったから食事をご馳走しろ、とまあそういうことですね。ちなみにそのとき集ったのは、港区にある伝統名門難関校から東大の文1に進学した生徒、世田谷区にあるミッション系の学校から東大文3に進学した生徒、そして世田谷区にある男子校から東大理1に進学した生徒、計4名でした。しかも皆同じ小学校です。
「みんな、大学進学おめでとう。どうだ、東大は?」
「同じ学校の子も多いし、塾友もいるから、けっこう楽しくやってるよ。」
「そうそう、情報回るの早いしね、俺ら。」
「ところで、どうして東大、そしてその科類を選んだのかな?」
「私は、こういう医者になりたいっていう将来の目標が中学生のときからあったんだ。だから、そのためには東大の医学部しかないなって最初から目指してた。正直いって、中高6年間、むちゃくちゃ勉強したよ。」
ああ、自分からそう言い切れるのって、素敵です。なんだかこの子が急に大人になったようにかんじます。
「でも、理3に進学した他の子たちみてると、偏差値が一番高いからっていう理由だけで理3に来た子ばっかりで、何か嫌になるんだよね。」
なるほど。理3に合格できるのは並大抵の努力値ではありません。中高と偏差値競争を勝ち抜いてきた彼らは、その延長線上として理3を目指すのでしょう。どうせ登山するなら最高峰ってかんじかな?
ところが、この生徒は違いました。早くから自分の将来のビジョンが定まっていたのです。それを実現するための理3進学ということで、とても理想的な大学選びだったと思います。
よく聞く話としては、東大に入ることだけが目標となっていて、そのためには「どの科類が一番合格しやすいか」だけを考えて受験するのだというのです。場合によっては、文系をめざしているのに理系の類を、あるいは理系をめざしていたのに文系の類を、たんに合格しやすいということだけを考えて受験する生徒がいるというのです。
本末転倒甚だしいですね。
それでは、大学受験で上手くいくはずはないと思います。