※この記事の初出は2024.5.27です。2024.12.24にUPDATEしました。
みなさんは、普段国文法を意識していらっしゃいますか?
おそらくはほぼ全員がNO!と首を振りそうですね。
もちろん私もそうです。
国語の読解を教えているときにも、国文法を意識することはほぼありません。
でも、たまに、「ああ、これは文法の知識があったほうが解きやすいなあ」と思われる問題があるのです。
今回はそんな問題を見ながら、国文法について考察します。
1.この問題を考えてみましょう。
問題はこんなかんじです。
「人に与えられた」
の「られ」と同じ性質の「られ」を含んだ分を、次の中から選びなさい。
A:京都のお寺の庭では見事な紅葉が見られた。
B:こんな提案が認められたことに驚いた。
C:先生が食べられたものは何ですか。
D:入道雲を見ると夏の終わりが感じられる。
さて、解き方は2パターンあります。
(1)なんとなくフィーリングで解く
おそらくほとんどの生徒はフィーリングで解きます。なんとなく違和感を感じたものを除外し、2つくらいに候補をしぼって、あとはエイヤッと選ぶのです。
この問題なら、こんなかんじになるのでしょうか。
「ええと、与えられたっていうのは、何かもらったってイメージかな。さて、選択肢にあるかな。ないなあ。まてよ、Cは敬語だよな。じゃあ、これは×。AとDは、どちらも紅葉とか入道雲とか自然に関わるものだから、きっと同じ性質だな。じゃあ、Bだ。」
もう、適当すぎます。
たまたま当たったというだけです。
怖いのは、これで答え合わせをすると、「よし、正解!」となって、その後解き方を振り返らないところです。
私の授業なら、たとえ〇になった問題でも、「なぜそれを選んだのか」まできちんと説明できないと、〇を取り消して×にするのですが。
(2)文法的に解く
さて、れる・られるには4つの用法があります。
受身・可能・尊敬・自発です。
例は受身ですね。Aは可能、Bは受身、Cは尊敬でDは自発。ということでBを選びます。
この解き方なら迷いは少ないですし、再現性も高いです。
2.助動詞「れる・られる」
実は、この助動詞は入試頻出です。
理由は、「ら抜き言葉」の横行にあります。
国語の先生方は、言葉の乱れに敏感です。おそらくは日頃教えている中高生の言葉遣いにも眉をひそめているのでしょう。そんな先生方が問題を作るので、中学入試問題にこれが多く出題されるのではないか。これが私の勝手な推理です。
(1)受け身 … 他から動作を受ける
・ 声をかけられる。
・他人に笑われる。
・母に呼ばれる。
・警察に連れていかれる。
(2)可能 …「~することができる」
・これくらいなら覚えられる。
・お腹がいっぱいで食べられない。
(3)自発 … 動作が自然に起きる
・あの人のことがしのばれる。
・母のことが案じられる。
・昔が思い出される。
・あの人の思いが感じられる。
※しのぶ・・・懐かしく思い出すという意味
ひとりでに、自然にそうなるときに使われるので、文頭に「自然と」を補ってみると、しっくりときますね。
(4)尊敬 … 人を敬う気持ちを表す
・ 先生が話される。
・師匠が来られる。
生徒たちが一番苦手とする表現のような気がします。
逆に、これがきちんと使える生徒を見ると、親のしっかりとした躾が感じられて好ましいですね。
※可能動詞
登れる・読める・飛べる・話せる・書ける・言える・なれる・作れる
さて、問題のら抜き言葉に入るその前にまず可能動詞について。
普段普通に使っている語句ばかりですね。
ただ、何となく「ら抜き」言葉のようなうしろめたさを感じる方もいるかもしれません。
これは動詞+助動詞ではなく、「可能動詞」という立派な? 動詞です。
五段活用の動詞を下一段活用に変化させたものなのです。そして、命令形はありません。
例えば、「飛べる」
「飛ぶ」という五段活用の動詞があります。
そこから「飛べる」という下一段活用になったと考えます。
少しわかりにくいですね。
「可能動詞には元になった五段活用の動詞があるんだ」と逆に考えたほうがわかりやすいかもしれません。
「話す」→「話せる」
「作る」→「作れる」
「会う」→「会える」
こんなちょうしです。
※ら抜き言葉
代表的なのは、「見れる」「来れる」「食べれる」でしょうか。
このあたりについては、文化庁のHPに詳しく書かれています。
また、最近では、「ら抜き」ではなく「れ足し」言葉まで発生しています。
可能動詞の「書ける」「読める」「飛べる」に、助動詞の「れる」を足したのです。
「書けれる」「読めれる」「飛べれる」
都立大学のHPでみつけました。
たしかに、聞いたことありますね。
しかし、さすがにここまでくると違和感しかありません。
この「ら抜き」「ら足し」には、文法的に法則性というか、日本語変化の必然性があるようなのですが、非常に細かくわかりづらい(少なくとも私にとっては)話なので割愛します。
やがて「ら抜き」言葉も正式な日本語に昇格するのでしょうけれど、現段階では「違和感」を育ててほしいと思います。
3.結局、国文法は学ぶべきか?
もちろん、「学んだほうがいいですか?」と聞かれれば、「もちろんです」と答えるほかないですね。いやむしろ「その方がいいと思いますよ」というかんじかな?
つまり、学ぶにこしたことはないが、そこにあまりに時間を費やしたくはない、そんなかんじなのです。
・読解も問題ない。物語文も論説文も韻文もよく読解できよく正解できている。漢字もことわざ・熟語も毎日練習し、得点源となっている。しかし、文法問題が出ると間違えることが多い。ここを完璧にすれば、国語で満点が狙えるのに!
そんな生徒なら、文法を学ぶのにはもろ手を挙げて賛成です。
文法がわかってくれば、まさに鬼に金棒です。しかも、文法は中学に入ってから学びます。いずれ学ぶものならば、少しフライングして今から勉強しても悪いことはないでしょう。
では、こんな生徒はどうでしょうか。
・国語はあまり得意ではない。長文問題はだいたい間違える。漢字・ことわざ・熟語、そうした知識問題は、毎日ドリル練習をしているから、点をとれるようになった。でも、文法問題はよく間違える。だから、文法を勉強して知識問題だけでも完璧にしたい。
志は買います。
しかし、文法を勉強するより前にやるべきことがありますね。
まず、読解問題をきちんと解けるようになるのが先決です。
文法は全ての学校で出るものでもないですし、出たとしてもほんの少しです。まずは長文読解できちんと得点できることを目指しましょう。
中学入試に必要な文法については、体系的・網羅的に学習することはおすすめしません。出てくる文法用語にうんざりして、かえって頭が混乱するからです。
入試問題演習をやりながら、そこに出て来た文法知識について、都度調べて身に着ける、そうしたやり方がおすすめです。
品詞分類・主述関係、そして助動詞。入試で問われる文法知識は限られていますので、問題を通じた学習で臨むのが効率的でしょう。
国文法の闇
「闇」とはまた大げさな書き方をしてしまいました。
実は、「日本語文法」には二種類あるのをご存じでしたか?
「それは、古典文法と国文法でしょ」
いえいえ、そうではありません。現代日本語の文法として、「国文法」と「日本語文法」があるのです。
◆「学校文法」・・・学校で学ぶ文法
日本語を母語としている生徒に、日本語の知識を体系化することで、古典を正しく継承することを目的とする
◆「日本語文法」
日本語を母語としない人を対象に、日本語をわかりやすく身に着けることを目的とした文法
そんなもの同じだろ!
気持ちはわかります。私も同じ思いです。
しかし、目的が異なる以上、内容も微妙に異なるのです。
「学校文法」は古典文法の系譜を継承しています。古典と現代文の橋渡しの役割のようなイメージでしょうか。そのため、わかりづらい「屁理屈」と感じる部分が多いのです。
それに対して、「日本語文法」は、現代の日本語を外国人の学習者にわかりやすく理解させることを目的としていますので、わかりやすく体系化されています。
例をあげてみます。
国文法では、品詞を10種類に分類しますね。
自立語 活用する・・・ 動詞、形容詞、形容動詞
自立語 活用しない・・・ 名詞、副詞、連体詞、接続詞、感動詞
付属語 活用する・・・ 助動詞
附属後 活用しない・・・ 助詞
しかし、「日本語文法」では動詞、名詞、イ形容詞、ナ形容詞、副詞、接続詞、助詞の7種類もあれば十分です。
イ形容詞、ナ形容詞というのは初めて聞きますね。
国文法でいうところの「形容詞」と「形容動詞」を区別しないのです。どっちも「形容」する働きがありますので。
そのかわり、活用のしかたによって、「イ形容詞」と「ナ形容詞」に分けているのです。
・険しい山
・静かな教室
・熱い風呂
・美しい女優
・厳かな雰囲気
なるほど、と思いませんか? 実にシンプルです。
論理を愛する私としては、体系的でわかりやすい「日本語文法」が好きなのですが、これを生徒に教えるわけにはいかないのが残念です。ノイズとなりますので。