中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

【塾教師の本音】臨機応変な授業と感情的でない態度で生徒に接することの大切さ(※2024.10.28加筆修正)

この記事の初出は2023.11.12です。2024.10.28にUPDATEしました。

生徒に接するときに心掛けていることはいくつもあります。

たとえばこんなものです。

◆生徒の反応で授業を変える

◆感情的にならない

今回はそんなお話です。

 

「和の思想」

 

先日、俳人長谷川櫂の「和の思想」という本を読んでいました。

とてもわかりやすく、また共感できる部分の多い本だったのですが、読みながら、こんなことを考えたのですね。

本では、フラワーアレンジメントと生け花の違いについて草月流の華道家の話がこう紹介されていました。

「フラワーアレンジメントは花によって空間を埋めようとするのですが、生け花は花によって空間を生かそうとするのです」

さらにこうもありました。

「・・一口に松、一口に桜といっても一枝ごとに枝ぶりや花や葉のつき方、色合いがみな違っていて同じものなどひとつもない。・・・刻々と変幻する花をどう生かすか・・・どう生ければ、その花がもっとも生きるかということだけを考えている。」

 

私の亡くなった母が生け花が好きでしたので、幼少期から花を生ける様子をよく見ていたものです。正月用の枝ものの大作を生けるときなど、しばらく枝を眺めた後、躊躇なく鋏を入れていた母の様子を懐かしく思い出しました。

そして、これは生徒を指導するときと同じだな、と考えてしまったのです。

 

良い教師とは?

塾の教師と学校の先生では、目的も方法論も異なります。

共通しているのは、「生徒に教えている」ことだけです。

「良い教師とは?」

こう考えて思いつくのは、自分の学校時代に出会った先生方の顔だと思います。

しかし、「良い塾の教師とは?」と考えると、だいぶ違う条件があげられると思います。

あえていえば1つだけです。

「結果を出す教師」です。

それはそうですね、成績を上げ合格させる、ただその1点のみのために高い授業料を頂戴してるのですから。

そして、「結果を出す」ためにはどのような授業をせねばならないのか、ここが出発点となるのです。

 

生徒に合わせて臨機応変に授業を変えられる

とても大事だと思います。

一口に生徒といっても、全員が別人格です。

全員に同じやり方が合うはずもなく、去年と同じやり方が通用するものでもありません。

しかも昨日と今日とでは生徒もまた変化しています。

常に生徒の様子を注視し、臨機応変に授業を変えていく、そうした技量が必要だと思います。

非を認める勇気をもつ

教師だって完璧なはずもなく、小さなミスから大きなミスまでしでかすことは多々あります。また、教科内容についても即答できぬような質問をされて立往生することだってあります。そうした際に、嘘でごまかすような教師、態度で威圧して切り抜けるような教師は教師失格だと思うのです。

授業準備に時間をかける

授業の予習は大切です。これはどんなにベテランになろうと変わりません。

私の予習スタイルは、入試問題の解説をするときの例をあげれば、だいたいこんなかんじです。

①普通に問題を解く

 まずは解きます。この場合は、シンプルに解くだけです。答を作る目的もありますが、難易度・生徒のつまずきそうなポイント・トラップ(受験生の誤誘導を目的としているところ)なども意識します。解答以外は書き込みません。ここでは、手には赤ペンを持っています。

②引っかかるところをチェックしながら書き込みを行う

 ここでいう「引っかかるポイント」とは、説明が必要と思われるところ、説明をしたいところという意味です。言葉にしづらいのですが、私の頭の中のイメージでは、何の創意工夫も見られぬ基本知識を羅列したような問題は、引っかかりのないツルっとしたイメージです。

公立高校の入試問題などまさにそれですね。

その場合は、解かせて答え合わせ、生徒が間違えたところだけを説明して終わり、そんな授業になります。

反対に、思考力・記述力問題に多く見られるような、一筋縄ではいかぬ問題、工夫をこらしてある問題は、あちらこちらにとげとげと引っかかるところがあるイメージですね。

解説しがいのある問題とでもいいましょうか。生徒に解かせるのはなるべくこうした問題を選びます。そして、説明したい派生知識なども調べまくって書き込みます。これは青ペンを使って書き込みます。

 

予習にかかる時間は、はかったことはありませんが、例えば1時間の授業を行うための予習時間は5・6時間くらいでしょうか。

ほんとうはいくらでも時間が欲しいのですが、そうもいきませんので。不思議なことに、何年たとうと予習にかかる時間はあまり変わりません。まあ、途中で予習というより、好奇心を満たすことが主軸となってしまっていますね。またニュースを見ていたり街を歩いていたりしても、「あ、これは今度教えよう」と思うことはたくさんありますので、これも広い意味では予習の一部だと思います。

 

感情的にならない

 当たり前すぎてわざわざ項目立てする事柄ではないですが、生徒に注意するときも褒めるときも、すべて生徒のやる気を引き出すことが目的ですので、感情的に接することはあり得ません。もちろん特定の生徒を甘やかしたり厳しく接したりすることもありません。

 

無駄話も計算する

 長い授業時間中、生徒の集中力が途絶えることはあります。そういうときは、生徒が喜びそうな雑談を少し入れたほうが全体の効率は高まるものです。雑談も計算のうちですね。わたしがよく話すのは、自分の経験談(旅行の面白話や学生時代の失敗談など)や、卒業生から仕入れた中学校の裏話などですね。それでもなるべくは、生徒の役に立つ情報にしようと心がけています。もっとも、卒業生に聞くと、「先生のあの話、今でも覚えてるよ」というのはだいたいこの雑談ネタなのが残念です。

 

まだまだ書き足りないですが、よく考えてみれば、私自身30年以上教師をやっているとはいえ、まだまだ発展途上な教師ですので、偉そうに語るのはこれくらいにしておくべきですね。